第十七回 語学恋愛論

2016年8月17日 / 留学のすゝめ

(写真)中国語の辞書と教科書

「語学は恋愛と相通じるものがある」

私の持論です。男女が付き合っていても、毎日会って意思疎通を図るのと、二日に一回、一週間に一回とでは二人の親密度は顕著に異なってくると思います。これと同様、外国語学習も毎日の積み重ねが重要なのです。

それでは恋愛のタブーはなんでしょうか。そう、「浮気」です。

留学すると先ずは語学班で中国語の勉強をするのが普通です。留学当初から中国人の友達なんてなかなかできませんから、当然クラスメイトの外国人と仲良くなります。彼らとの交流が深まるにつれ、徐々にその人たちが喋っている言葉に興味を持ち始め、「浮気」の衝動に駆られてしまうのです。特にその傾向がみられるのが英語。

「あぁ、みんな英語がしゃべれるのに私だけ……中国語と同時に英語も勉強しよう!」

誘惑に負けた瞬間です。

語学学習は脳の中に引き出しを作ることです。我々日本人は、すでに「日本語引き出し」を持っています。それとは別に「中国語引き出し」が作れるか否か、これが語学学習のポイントです。

ところが、入門・初級の段階では、「中国語引き出し」ではなく「外国語引き出し」しかできていない状態。つまり、日本語以外の言語はその中にごった煮状態なのです。そのような状態で他言語を学ぶとどうなるか、想像に難くありません。

私の知人で、まだ中国語を習い始めて半年しか経っていないのに、周囲に感化され英語を習い始めた人がいました。その結果、

Wo (我) will go

など、二つの言語がごっちゃになったり、文法がメチャクチャになったりと惨憺たるものでした。このように、「浮気」をすると結局どちらも中途半端になってしまい、語学をマスターするどころか、外国語をまともに使うことすら困難な状態に陥らないとも限りません。「二兎を追うものは一兎をも得ず」とはよく言ったもの。古人の言葉はいつも正しいのです。

外国語学習は同一言語の勉強を毎日繰り返すことが大切なのです。そうすることによって、語学との関係はより緊密になり、徐々に「自分のもの」になっていきます。逆に、他に気を取られよそ見をしたり、忙しいからといって邪険に扱ったりすると、必ず離れていくでしょう。恋愛でも語学でも浮気はよくありません。


第十八回 好きこそ物の上手なれ

2016年8月17日 / 留学のすゝめ

(写真)『北京孔庙和国子监博物馆』の孔子像

 子曰:「知之者不如好之者、好之者不如乐之者」(子曰く、これを知る者はこれを好む者に如かず、これを好む者はこれを楽しむ者に如かず)

 これは孔子の「論語」の一節で、わかりやすく言うと、

「どんなにそれに関する知識が豊富にあっても、それを好きになれる人には及ばない。どれだけ好きになれたとしても、それを心から楽しめる人にはかなわない」

といった感じでしょうか。これこそが私の語学学習の基本となっている考え方です。

 我々は中学校一年より英語の勉強を始め少なくとも高校卒業までの6年間は英語を学びます。現在、英語教育にこれほどの時間を費やしている日本人の中で、

「私は英語ができます!」

と自信を持って言える人はどれくらいいるのでしょう。私個人の経験では、英語学習はあくまで「試験のための勉強」でした。文法や読解を中心に、試験テクニックを数多く学びました。しかし、試験後時間が経つと、多くの時間を費やして覚えた英語もいつの間にか脳の中から消失していました。

 北京には『狗熊掰棒子』と言うことわざがあります。これは意訳すると「クマがトウモロコシをもぎ取っては脇に挟み、次のトウモロコシを取るときには最初のトウモロコシを落としてしまう」となります。

 語学はこの『狗熊掰棒子』の様に「単語を暗記し、試験が終わったら忘れる」の繰り返しでは絶対に進歩はありえません。語学とは日々の積み重ねこそがものを言うものなのです。

 ただし、語学学習のように、毎日同じことを繰り返し、単語量をコツコツと積み上げる作業というのは単調で、味気ないものです。「語学は日々の積み重ね」と口では簡単に言えますが、面白みのないものを毎日続ける事は極めて困難です。

 そこで私は、

「もし自分の好きな事だったら楽しく続けられて、いくらやっても飽きないんじゃ?」

と考えました。中国語学習と自分の好きな事のコラボレーションし、中国語習得を「勉強」から「趣味」に変える事ができれば、それに勝るものは無いと考えたのです。

 私は中国映画に非常に興味があったので、ビデオを使った学習方法を開始しました。私が日本で勉強していた頃の90年代は種類も少なく、朱旭氏主演の『变脸(邦題:変面)』や姜文氏の初監督作品『阳光灿烂的日子(邦題:太陽の少年)』が私の教材でした。

 勉強方法も試行錯誤しました。最終的にたどり着いた方法は至って簡単で、私は勝手に「モノマネ学習法」と名付けているのですが、気に入ったシーンのセリフをモノマネもしくは書き取りをするだけです。ただ、今でこそDVDは字幕が調節できますが、当時は日本語字幕を隠すために、テレビにガムテープを張っていました。今となっては良き思い出です。

 留学に来てからも映画を使った学習方法は続きました。それに加え『相声(中国漫才)』にも魅せられ、中国語「モノマネ学習」に取り入れるようになりました。毎日時間にして約30分程度でしたが、たったこれだけでヒアリングも口語もかなり上達したものです。

 味気ない語学学習も工夫と心がけ一つで効果が大きく変わります。

 中国語を「好き」になり、上手になりたい、喋れるようになりたいと思って始めた中国語学習です。面白みのない勉強に自分の趣味の要素を加える事によって「楽しみ」に変え、「学習」ではなく「楽習」の感覚でレベルアップを目指しては如何でしょう。

※映画に興味がある方は、私のブログ『村哥の中国映画で中国語楽習』も是非お役立てください。


第十九回 モノマネ学習法

2016年8月17日 / 留学のすゝめ

(写真)モノマネ学習に勤しんだ学生寮の学習机

 「学ぶ」という言葉は、「真似ぶ」と同語言だそうです。中国語でも、『学』には、『学习(学習する)』と『模仿(模倣する)』の二つの意味があります(『现代汉语词典』商务印书馆)。つまり、学ぶことと真似をすることは密接な関係にあるといえます。中国語の上達のコツはこの「真似ぶ」、つまり中国人をモノマネすることにあると言えます。

 子供は成長の過程において親のモノマネをして“語学”をマスターします。私も、中国語をネイティブのレベルまで高めたいのであれば、

 「ネイティブ・スピーカーが喋っているのをそっくりそのままモノマネすればいいんじゃないか?」

 と考え、早速これを実行に移してみました。これが大当たりで、この「モノマネ学習法」を取り入れてから、中国語、特に発音は飛躍的に伸びました。

 方法はいたって簡単。教科書に附属されているヒアリングテープやCDを使い、丸暗記してマネするだけです。このような教科書附属のテープの中国語発音は非常に正確で、単調のようにも思えますが、実は一人一人の発音、発声は異なります。私もまずはこの特徴をおさえる所から始めました。例えば、

 「この女性の『不知道』という発音は『不』が微妙に強いな」
 「この男性は随分間延びして発声するな」

 といった感じで、これを全てモノマネしていきます。このような特徴を耳で聞き分け、耳で聞いたままの音をそのまま発声するのは、決して簡単ではありません。これも毎日繰り返すことによって、徐々にできるようになっていくのです。

 次のステップでは歌手や芸能人、漫才師のモノマネを徐々に学習に取り入れていきました。この場合も学習方法は至って簡単で、気に入ったフレーズをみつけてモノマネするだけです。ラジオ、テレビ、映画などソースはどこからでもかまいませんが、繰り返し聞けるものを用意。最初の内は一言のセリフや、比較的短い文章を選び、徐々にそれを長くしていきます。最終的には10秒くらいモノマネで喋れるようになれば理想的です。

 格闘家の角田信朗さんはとても流暢な英語を話すことでよく知られています。後から知ったのですが、その彼も「ブルースリーの映画のサウンドトラックを繰り返し聞いて英語のセリフを丸暗記した」そうです。

 私の場合も、言葉を売り物としている漫才師や、役者のモノマネでは特に大きな収穫を得る事ができました。ここでは中国語の正確な発音というよりも、中国人独特の「息遣い」、「間の取り方」、「会話のリズム」を学び取る事ができます。日本人の中にも非常にきれいな中国語を話すけど、なんか中国人とはちょっと違うという人がたくさんいます。これこそまさに、「息遣い」、「間の取り方」、「会話のリズム」の訓練が不足しているのです。

 「学ぶ」=「真似ぶ」、このモノマネ学習法を一度試してみては如何でし


第二十回 話題をつくろう

2016年8月17日 / 留学のすゝめ

(写真)話のネタとなる熊本産馬刺し

 「ある程度中国語ができるようになったんで、中国人とおしゃべりして口語力を高めようと思うんだけど、あんまり話すことがないんだよね」

 よく聞く話ですが、外国人の口語力が伸びない核心をついた問題だと思います。つまり、共通の話題が少なく、会話が続かないのです。

 仕事で使えるレベルの語学力を身につける為には、「浅く広く」ではなく、「狭くても深い」議論ができるようになる必要があります。実際、私も毎週のように会議に出ていますが、話の内容はかなり専門的なものばかりです。それではどうすればそのような議論ができるようになるのでしょうか。

 私の場合は、まず一つの分野を徹底攻略することから始めました。90年代の留学の時には、幼少の頃から慣れ親しんでいるサッカー、二度目の留学では、中国語の勉強に一役買った中国映画です。

「中国人と映画の話題でとことん話す!」

 という目標の下、週末になると貪るように観続けました。まずは手始めに、幼少時代に大きな影響を受け内容をよく知っているジャッキー・チェンの作品からスタート。チャン・イーモウ、チェン・カイコー、フォン・シャオガンといった国内有名監督の映画を一通り観た後は、監督や出演役者、ジャンルを問わず幅広い映画にチャレンジしました。

 その後はドラマにも守備範囲を広げました。『我爱我家』、『编辑部的故事』、『北京人在纽约』などの誰でも知っている『经典』と呼ばれるドラマをおさえた後は、『蜗居』、『奋斗』など流行中の作品も欠かさず観ました。また、日本にいた時はほとんど観ることのなかった日本のドラマは、あえて中国語吹き替えバージョンを観ました。日本のドラマに興味がある中国人との会話のためです。

 もちろんただ見るだけでは、中国語のレベルは上がっても、深い内容の会話ができるようにはなりません。私の場合、毎回見た後で、自分なりの感想や気になったシーンに関する自分の意見をまとめました。

「『初恋の来た道(我的父亲母亲)』で、現在が白黒、過去がカラーで表現されているのは……」
「『我爱我家』で姜文が友情出演するシーンは……」

 そしてその自分の頭で考えた独自の意見を中国人にぶつけました。最初はぎこちなくても、繰り返し話をしていると、不思議なもので内容が更に深まり、会話も流暢になってくるのを実感できました。

「それじゃ、これから何の話題について学べばいいんだろう」

 と考えておられる方に私がお勧めするのは、「食」に関する話題です。中国人の「食」に対する関心は極めて高く、ほとんどの人と会話を楽しむことが可能となります。まずは、自分に身近な日本料理の中国語表現を覚え、中国人の友人に紹介する所から始めてみてはいかがでしょうか。さらに自分の地元の郷土料理などを詳しく話ができるようになれば会話はどんどんはずんでいきます。私も日本食の話になったら、必ず地元熊本の馬刺しの話をしています。

 共通の話題を見つけることで、会話も盛り上がり、相手との距離も一気に近づきます。自分に適した話題作りにチャレンジしてみてください。


第二十一回 名作『SLAM DUNK』に学ぶ基礎の大切さ

2016年8月17日 / 留学のすゝめ

(写真)ピカソと雄牛。右下が完成図

何事もそうですが、語学上達のためには基礎をしっかり固める事が何よりも重要です。私は授業中、学生によく基礎の大切さを説きます。その時に必ず例として挙げるのが、井上雄彦先生原作の「SLAM DUNK(スラムダンク)」です。

 1990~96年にかけて「週刊少年ジャンプ」で連載されていたバスケットボール漫画の傑作で、中国でも『灌蓝高手』や『篮球飞人』のタイトルで放送されました。今でも多くの中国人に愛されている名作中の名作といえるでしょう。

 そのスラムダンクでは以下のようなシーンがあります。

 『主人公の桜木花道が、全国大会前に単独合宿を行い、コーチの安西先生とジャンプショットの練習を行います。毎日同じ練習を10日間で2万本続けます。そして、物語のクライマックスでは、タイトルにもなっている大技「スラムダンク」ではなく、地道に何度も何度も練習を繰り返したこのジャンプショットが決まりタイムアップ、幕が閉じます。』

 肝心な時に成否を左右するのは、まさしく基礎力です。つまり、自分が繰り返し練習し、一つ一つ積み上げてきた努力が最後に結果を左右するのです。

 これは語学学習でも同じようなことが言えます。しかし、基礎練習というのは決して楽しいものではありません。早く次のステップに進みたいという衝動に駆られるのもわかります。私も幾度となくそのような葛藤に苛まれながらも、しっかりと基礎練習をやり遂げました。

 発音練習ではちり紙を口の前にあてて、何度も何度も有気音・無気音の練習を繰り返しましたし、口やあごが痛くなるまで苦手だった捲舌音、鼻母音の訓練も決して怠りませんでした。それが奏功し、今では発音に関しては北京人と間違われるくらいのレベルまで到達しました。文法も入門、初級の段階でみっちりやったおかげで、後々受験したHSKでは、塾に通ったり、参考書を勉強したりといった対策なしに11級に合格することができました。

 入門、初級時における基礎がしっかりできていないと、後々必ずひずみが出てきます。北京の留学生の中には、基礎が全くできていないのに、北京の『儿化音』をやたらと使いたがる学生がいます。彼らの中国語は極めて難解で、先生方も聞き取れず苦笑い。本末転倒です。

 これも授業中によく学生にする話ですが、アレンジする前に基礎をしっかり固めなければなりません。その時に例に挙げるのが、「ピカソと雄牛」の話です。抽象画の大家ピカソがアレンジをするまでの過程を見ることで、いかに基礎が大切かというものが理解できます。

 発音、文法、聞き取りのどの分野においても、基礎学習をしっかり行い、本物の中国語力を身につける心がけが必要なのです。

 「下手糞の上級者への道のりは己が下手さを知りて一歩目」はスラムダンクの安西先生の名言。自分の苦手な分野を見つけ出し、一歩目を踏み出してみてはいかがでしょう。


第二十二回 スタートダッシュの大切さ

2016年8月17日 / 留学のすゝめ

(写真)2002年に留学して初めてのクリスマス

一日どれだけの勉強量が最も適しているのでしょう。これは、人によって大いに異なるので一概には言えません。

長い中国語学習人生を振り返ってみると、語学学習は最初のスタートダッシュ期間が最も大切だと私は考えています。

つまり、最初の約1~2年の基礎学習、初級学習の段階で、できる限りの事を一気にやってしまうのです。この場合もどれくらいの期間が適しているのかは定かではありませんが、第十七回「語学恋愛論」で触れたように、「中国語引き出し」が脳にできるまで、つまり他の外国語と触れ合っても、中国語とは完全に分離して考えることができるまで、と考えていいかもしれません。

私の場合は、中国語学習を開始してから留学に旅立つ前の最初の1年間は、どんなに忙しくても毎日最低2時間は机に向かうようにしました。それ以外の時間でも、できる限り毎日中国語と接することを心がけました。例えば、車の中で今までよく聞いていた音楽を中国語のヒアリングテープに換えたり、お風呂の中で中国語の本を読んだり、一日の最後に当日あった出来事を中国語で思い出したりと、あの手この手で中国語にアタックし続けました。

また、辞書を持ち歩きわからない単語があったらすぐに調べる習慣を身に着けました。今では電子辞書もありますし、スマホにも辞書機能がついている世の中になっていますが、当時はあの分厚くて重い辞書を持ち歩くだけで大変だった記憶があります。

このような日々の積み重ねのおかげで、この期間で培った中国語は、その後の中国語学習の礎となり、今になっても決して忘れることのない血肉となっています。

数年間中国語を勉強しているにもかかわらず、なかなか進歩しない人を、私は数多く知っています。そのような人に話を聞いてみると、

「時間がなかなかとれず、集中して勉強できないため、覚えた単語もすぐに忘れてしまう」

とおっしゃっています。まさしく、第十八回「好きこそ物の上手なれ」で紹介した『狗熊掰棒子』状態なのです。

「時間が無い」は言い訳にしかなりません。余った時間を勉強に回すという考えでは、いつまでたっても『狗熊掰棒子』から抜け出すことはできないでしょう。

時間は自分で作り出すものです。

語学学習はスタートダッシュが命です。テイクオフ直前の飛行機が滑走路を疾走するが如く、エンジンフル回転で中国語学習に取り組んでみては如何でしょう。一度大空へ飛び立つ事ができれば、後は自然と素敵な中国語の世界へと誘ってくれるでしょう。きっとそこには今まで見たこと、聞いたことそして感じた事の無い未知の世界があなたを待っているはずです。


第二十三回 伸び悩みは進歩の証拠

2016年8月17日 / 留学のすゝめ

(写真)日本語の意味がびっしり書かれている留学初期の教科書

語学の学習過程において、必ずと言っていいほど大きな“壁”にぶち当たる時がきます。私もちょくちょくそのような壁にぶつかり、モチベーションを維持できなくなったことを記憶しています。今思い起こすと、その壁の多くが、

「語学力の向上や進歩を感じられない。勉強法方が間違っているのでは?」

といった自分自身に対する不信感でした。

語学学習は一歩一歩の積み重ねであり、「第十七回 語学恋愛論」や「第十八回 好きこそ物の上手なれ」でも書かせていただいたとおり、毎日コツコツと繰り返し続けることが大切です。毎日覚えた単語の数、中国語を耳にした時間数、書いた文章の量、読んだ中国語本の数、つまり学習量と中国語能力は正比例の関係にあるのです。

しかし、このように正比例の関係にあるのであれば、なぜ「中国語力の向上や進歩を感じられない」、といった現象が起こるのでしょうか?

実は、この「中国語力の向上や進歩を感じられない」事こそが、あなたの中国語能力が進歩し、かなりの状態に達している証拠なのです。能力を量化するのは非常に難しいので、ここでは単語量=能力と仮定して、このことを説明します。

毎日、コツコツと単語を暗記していっても、記憶できる一日の単語量は限界があります。ここでは毎日5個の単語を覚えたと仮定します。もともとの単語量が50である初級者が、毎日5個ずつ単語量を増やしていけば、10日後には、

5(毎日増える単語量)×10(日)+50(もともとの単語量)単語量=合計100

となり、能力(単語量)はもとの50から倍増したことになります。

しかし、もともと500の単語量をもっている中級者の場合は、10日後には550個となり、実質的には10%((550-500)÷500×100(%))しか増えていないことになります。つまり、ある程度の能力に達した語学学習者になると、絶対数は同様に伸びているが、相対比率は下がっているからその能力の伸びを感じ取ることができなくなってくるのです。

このような“壁”にぶつかった時には、どうすればいいのでしょうか。そのような時は、半年前の教科書やノート、辞書(電子辞書を使ってない方のみ)をパラパラとめくってみて下さい。きっと、今では当たり前のように覚えている単語やセンテンスにいっぱい書き込みをしているはずです。

「なーんだ、半年前はこんな簡単な単語もわからなかったのか!」

と自分の進歩を実感し、自信を取り戻すことができる事でしょう。

前ばかり見て歩くのではなく、時には後ろを振り返り、自分の歩いてきた道、自分の進歩を見つめなおしてみて下さい。きっと、今までと違った自分を発見できるはずです。


第二十四回 目標設定の大切さ

2016年8月17日 / 留学のすゝめ

(写真)講義では『10年後の自分』を学生たちに書かせている

第三回 負けず嫌い」で、負けず嫌いを巧みにコントロールし、自己のモチベーション向上にうまく利用できれば、爆発的なエネルギーとなって背中を押してくれる、と書かせていただきました。

しかし、常に負けず嫌いを駆り立てるような出来事が絶えず起こるわけでもありませんし、強い気持を持ち続けることは誰にとっても非常に困難なことだと思います。このような高いモチベーションをどうやって持続していけばいいのでしょうか?私の経験からみると、適切な目標を設定することが非常に有用でした。

目標というものは人によって千差万別です。例えば、同じ中国語学習者でも「通訳者として活躍したい」という目標をたてる人もいるでしょうし、「中国で仕事がしたい」と考える方もいるはずです。また、「通訳」でも「同時通訳」と「逐次通訳」ではまた異なる学習方法が待っています。以前、某テレビ番組で著名な映画の字幕翻訳家が「映画の字幕翻訳はジグソーパズルのようなものだ」とおっしゃっていましたので、字幕翻訳家を志す人達はこれまた違った能力を培わなければならないでしょう。つまり、まず長期の目標をしっかりと見据えることが第一歩なのです。

長期の目標が決まったら、次に「中期」そして「短期」と設定していきましょう。大体の目安としては、長期が10年後のビジョン、「中期」は3~5年後、そして「短期」は1年後のビジョンです。さらに、「超短期」として、半年後、3ヵ月後、1ヵ月後の目標をたてることも、中国語学習のモチベーションを高め、それを持続させることにつながります。

短期的には漢語水平考試(HSK)や中国語検定などの検定試験の合格を目標にするといいでしょう。「今度のHSKでは5級をとろう」とか、「今度は中国語検定2級を受けてみよう」といった、身近な目標をたてることもとても大切なことです。ここで注意すべき点は、これらのハードルを一気に高くしすぎてはいけないということです。中国語検定で2級を目指す人は、準2級をもっているべきですし、HSKでも同じです。短期の目標をあまり高く設定しすぎてしまい、なかなかその目標を達成できないと徐々にモチベーションがそがれていきます。

逆に低すぎる目標を設定しても成長しません。目標設定方法を考える上で、脳科学者、茂木健一郎氏のコメントは非常に興味深いものがあります。

『脳が一番喜ぶのは、全力でやってギリギリできるくらいの難しさの仕事に取り組む場合です。達成できると、脳内でドーパミンという報酬物質が出て、直前にやっていた行動回路が強化されます。「強化学習」といって物事が上達するコツです。夢中でやってできなければ、次回は難易度を調整すればいいのです。』

『成功しているビジネスマンは全力で疾走していって達成できるかできないかというレベルの目標を設定する人が多いようです。』
(出典)2008年3月10日 日本経済新聞コラム「仕事術」

中国の『孫子兵法』でも『知己知彼,百战不殆(敵を知り、己を知れば百戦危うからず)』と説かれています。自分が受ける検定試験のレベルを把握するだけでなく、短期的には自分の身の丈にあった目標を定めることが非常に大切なのです。


最終回 人生の目標

2016年8月17日 / 留学のすゝめ

(写真)長く険しい人生を象徴するような万里の長城

「北京商学院」での1年間の留学生活はとても充実したものでした。中国語も飛躍的に伸びましたが、人間としても大きく成長した一年でした。私の人生の目標が見えてきたのもちょうどこの時期です。

中国人の学生はとても勤勉です。「北京商学院」時代に何度か中国人の授業に潜り込んだ事があるのですが、講義では少しでも前に座ろうと、早くから教室に行ったり、友人に頼んで席を確保してもらったりと「席取り合戦」が繰り広げられていました。授業終了後も、先生を取り囲んで質問攻めにしていました。また、書店では本の内容を全部暗記するかのように、立ち読みにふける人であふれていました。中国人の「智」に対するどん欲さを見て興奮を覚えたものです。それと同時に、学力の差を痛感、「教育」の重要さを改めて実感しました。

中国留学でみつけた「中国」と「教育」という2つのキーワードから、「中国で博士号を取得し大学教師になる」という大きな目標を見出したのです。

このような経験から、講義や講演会など、学生に直接語りかける機会があれば、遠くの木を目標に雪道を歩くシーンを例に挙げ、「遠くの木(10年の長期目標)をしっかり見据え、足元への気配り(中期・短期目標)をしながらゴールを目指すことが大切」と訴えています。

近く(足元)ばかり見て進んでも真っ直ぐ歩くことは不可能です。足元ばかり見て歩いた場合、後ろを振り返ってみると、その足跡は真っ直ぐではなく、ジグザグになっている。遠くの目標をしっかりと見据えそれに向かって歩くことにより、足跡は一直線にゴールに向かってその歴史を刻んでいくのです。しかし、遠くばかりを見ていたら、足元にあるくぼみや石などに足を取られ、かえって手間取るかもしれません。つまり、

遠くの目標を定め、足元に気を配りながら進んでいく、そして障害物が現れた際には軌道修正してゴールを目指す

ことが何と言っても最大の近道となるのです。

私は帰国後、一旦就職しました。入社時点ですでに「将来は北京へ再留学」という目標がありましたので、やることは決まっていました。中国語学習と貯金です。中国語を使える職場環境ではなかったので、独学で中国語の勉強を続けました。

「西村くんの車からは音楽じゃなくて、中国語が聞こえてくる」

当時の同僚の間では「中国語オタク」としてちょっとした有名人でした。また、その職場には約4年間勤めましたが、その間に約400万円の貯金を築きました。さらに、2002年に中国政府奨学金の試験に合格。これだけの貯金と奨学金があれば「いける」と判断し、会社を辞職。2002年9月再度北京へと降り立ったのです。

それから約8年後の2010年5月17日、一通のメールが届きました。

「対外経済貿易大学の教師として採用いたします」

人生の大きな目標が実現した瞬間でした。中国という異国の地でここまで何とか辿り着けたのも、明確な目標があったからだと感じています。

そしてその目標を見つける事ができた留学。まさに、私の人生の大きな転換点となったのです。

留学を終えた今も、新しい目標に向かって一歩ずつ歩き続けています。