その時も、新しい出会いを楽しみにしながら、神戸から船に乗り込んだ。しかし、日本滞在でのタイトなスケジュールの疲れからか、 あっという間に船酔いして体調を崩し、人と会うのも声をかけられるのも億劫に感じられて、誰もいない外のデッキに逃げ出した。
海を眺めながら静かな世界をしばらく満喫していた私は、ガチャッという金属的な響きで現実に引き戻された。 30代くらいの細身の中国人男性が、ビニール袋を片手にデッキに入ってきた。
「ここに置くと、食べ物、大丈夫。天然冷蔵庫デス」
そう言うと、照れくさそうに食べ物の入った袋を手すりにぶら下げた。それから横に並んで、船で食べようと食料を多めに持ち込んできたこと、 日本で気に入ったところなど、中国語に片言の日本語を交えて話してくれた。
しかし、まだ船酔いの気持ち悪さが残る私は、 少し前の静かなひとりの時間が恋しくなってきた。しかし、 この状況で、自分が一人で過ごしたいから他に行ってくれとはまさか言えないよな……。そもそも、こうしたおしゃべりを求めての船旅ではなかったのか……。そんなことを考えながら話を上の空で聞いていたせいか、急に会話が途切れた。
そして、すっと男性が扉の方に向かって歩き出した。あ、気まずい感じの別れ方。
話は楽しかったのだけれど、船酔いで……日本でちょっと疲れていて……言い訳が頭の中を駆け巡るが、立ち去る背中に向かって声をかける勇気が出てこない。
すると、彼が船内に戻る扉を開けながら振り返り、
「我先走了〜(wǒ xiān zǒu le /お先に)」と、片手を少し挙げ、にこりと微笑んだ。
慌てて私も手を振り返す。
「我先走了」
そのひと言でその場の気まずさは消え去り、爽やかな別れとなった。ふと、『ジェントルマン』という言葉が頭に浮かんだ。再びひとりで海を眺めながら、彼の立ち去り方や言葉のスマートさに対して、取り繕う言葉を探してあわてる自分を思い出し苦笑いした。
その後も、北京で暮らして行く中で、この「我先走了」に何度も出会った。私も真似して、「我先走了〜」と、去り際に呟いてみる。あの船で出会ったジェントルマンがしたように、片手を少し挙げながら振り返り、にこりと微笑みながら。
Kiyomiy: [投稿者名]Kiyomiy [投稿者経歴] 1976年生まれ。静岡県出身。 コマ撮り (ストップモーション)映像撮影やデザイン制作、 オリジナルグッズの企画制作を行う『FrameCue』(http://framecue.net)主宰。 ブログ『ツクルビヨリ』(http://framecue. net/tsukurubiyori/)にて仕事からプライベート まで365日つくる毎日を記録中。