05「坐吧」〜全力で奪い合い、そして譲り合う人たち〜

2016年8月30日 / コトバの魔法




 日本人の感覚そのままでいると、目の前で起きている状況が理解できずに困惑することがある。中国で子どもを連れて出歩いていると、かなりの確率でバスや電車で席を譲ってくれる。そして、その譲り方は日本人の想像をはるかに超えるものだ。それは、もちろん嬉しい困惑。しかし、席を譲ってもらえる状況というのは、つまり、席がないほど混んでいるということでもある。

 民族大移動と言われる春節前後の列車は、日本の帰省ラッシュとは比べ物にならない混雑ぶりだ。 席を確保するために、降りる人を待たずに乗り込む。並んでいる列の横から入り込む。降りる駅が近づくと、一体どうやって出口に辿り着けばよいのか不安になるほど車内は、人、人、人。何が起こっているのか呆然としてしまうほどの混乱ぶりに大困惑する。

 そうした春節時にはできるだけ移動を避けているのだが、どうしてもその日の切符しか買えず、満員の車内に当時4歳の子どもを連れて乗り込んだことがある。当然、座る場所などすでにない。効きすぎる暖房と人の熱気、騒がしい車内に頭が痛い。 立っている人の間で身動きも取れず、娘も泣きそうになっている。

 その時、
「坐吧!(zuò ba/座りなよ!)」
という声が聞こえてきた。

 立っている人々の間から近くの座席を見ると、年配の女性が娘に手招きしてくれている。しかし、3歳ほどの男の子をすでに膝の上に乗せていて、彼女が席を譲ることはできそうにない。どういうことかと状況がつかめずにいると、 さらに「坐吧!坐吧!」と言いながら、座っていた男の子を左膝にずらし、娘をひょいともう片方の膝の上に乗せてくれたのだ。
最初は驚いた娘も、押しつぶされそうになっていた状況から解放され、さらに同じ年頃の子どもと並んで座れて、見知らぬおばさんの膝の上で嬉しそうにしている。

 電車やバスに乗る時は、席取り合戦と親切な席の譲り合いが同時に目の前に繰り広げられるものだから、マナーがないと憤慨したり、底抜けな優しさにほろっとしたり、プラスとマイナスの感情をいったりきたりして忙しい。

 道徳心があるようなないような、何とも判断がつかない。中国の人にとって道徳とかマナーがどうなのかということは一向にわからないが、何としてでも乗りたい、どうにか座りたい、 子どもに席を譲ってあげたい、人々のその”気持ち”はいつでも熱く伝わってくる。
 
 そして、きょうも、全力で確保したその席を、子どもを連れて後から乗り込んだ私たちに「坐吧!坐吧!」と譲ってくれる。押しのけられてムッとした、その直後に出会う優しさに心が和むのだ。



「坐吧!」(zuò ba/座りなよ!)
★「坐吧!」は、子どもに向けた言い方。
★「请坐」(qǐng zuò/どうぞ座って)


Kiyomiy

投稿者について

Kiyomiy: [投稿者名]Kiyomiy [投稿者経歴] 1976年生まれ。静岡県出身。 コマ撮り (ストップモーション)映像撮影やデザイン制作、 オリジナルグッズの企画制作を行う『FrameCue』(http://framecue.net)主宰。 ブログ『ツクルビヨリ』(http://framecue. net/tsukurubiyori/)にて仕事からプライベート まで365日つくる毎日を記録中。