その9 子育ては家族全員で担うもの。双子出産で体験した中国子育て事情 ー 天野清美さんの場合 —

2016年9月1日 / カレは中国人

北京で映像・デザインの仕事をする天野清美さんと、通訳・コーディネーターのカレ・金大成さんが出会ったのは1997年、静岡。清美さんが21歳の時だ。中国語に興味を持っていた清美さんは、瀋陽から同じ大学に留学していたカレを友達に紹介された。親戚中から留学費用を借りて留学していたカレは大学で真剣に学び、日々を一生懸命に生きていた。 流行や遊びに夢中な日本の友人とは違うものを清美さんは感じた。
「カレといると、将来の夢や人間関係など、大事なことを考えることができたのです」 
 2002年に日本で結婚すると、翌年には長女を出産。IT関連の会社に勤めていたカレは仕事が忙しく、長女の子育てはほとんど清美さんが担った。
 2006年、カレの仕事の都合でふたりは3歳になる長女を連れて北京に生活の場を移した。既に、長女はそれほど手がかからなくなってはいたが、家事と子育ては家族みんなでという北京の習慣に清美さんはうれしい驚きを感じた。清美さんが仕事で忙しければ、カレやカレの両親が子育ても家事も手伝ってくれる。日本でテレビ局のディレクターとして働いていた清美さんは、北京でも映像・デザインの仕事を始めた。

出産後中国と日本の大きな違い知る

 3年が経った頃、清美さんは双子を授かった。中国の病院では、性別による中絶を防止するために、出産間近まで子どもの性別を知らせないなど、日本との違いはあるものの、2度めの出産ということもあり、清美さんは帰国せずに北京で出産することに戸惑いはなかった。しかし、出産間近になって1人が逆子だとわかり、清美さんは不安を感じだす。中国語はある程度話せる清美さんでも出産や医療関係の言葉となると心細く、通訳としてカレの立ち会いを希望したが、地元の病院では男性が分娩室に入ることは許されず、許可されなかった。 出産は帝王切開になった。
 手術が始まった。清美さんはもともと麻酔が効きにくい。麻酔テストで医者にお腹を押されながら「どうですか」と聞かれ、「鈍い痛みがする」のを「何かを感じる気がする」というような中国語で表現してしまった。実際には、少しでも痛みを感じる段階ではまだ麻酔は効いていない。だが、清美さんの言葉から医者は「開始」の判断をし、清美さんのお腹にメスを入れてしまった。
「もう、驚くほどの痛さで、痛い〜痛い〜!と叫びました」
 医者も驚いたが、ここで手術をやめるわけにはいかない。医者は手術を続けた。
 死ぬほどの痛みを伴いはしたものの、無事に二卵性双生児の男の子2人が誕生した。

 術後の病院の対応にも驚いた。通常日本では、自然分娩でも退院までに1週間ほどかかるが、双子の帝王切開にもかかわらず、清美さんは3日ほどで病院を出された。お腹の痛みで一歩も歩けず、カレに抱えられるようにしてやっと家に戻った。
 
 そして、清美さんは日本と中国の子育の大きな違いを体験する。
 まず中国では、出産後の1ヶ月を「座月子」といい、妊婦は体を冷やさないために守らなくてはならない習慣がある。外出してはいけない、冷たいものを食べてはいけない、いつでも靴下と帽子を身につけ暖かくしていなくてはいけない、味を加えないフナのスープを飲まなければいけない、などだ。科学的根拠がどれほどかは不明で異議を唱える学者もいるが、この時期にこの習慣を守らないと、将来病気になったときに家族から「座月子にちゃんと養生しなかったからだ」と言われるので、今でも産後の習慣となっている。
「この時期はお風呂にも入れないし、日本人の私にはとてもきつかったです」と清美さんは話す。
 けれども「座月子」を終え普通の生活に戻ると、中国での暮らしが3人の子どもを持ち働く清美さんにどれほど心地よいものかを改めて知る。赤ん坊の面倒と家事はカレとカレの両親、そして清美さんの4人体制であたればいいのだ。 親もカレも、育児や家事は手伝うものではなく、主体的にするのを当たり前と考える人たちだった。仕事がある人はそれを優先し、できる人が家事と育児をするのだ。カレは言う。
「自分の子どもなんですから、男性も一緒に子育てをするのは当然のことだと思います。日本で長女が生まれた時、僕も一緒に育児をしたかったです。でも、仕事が忙しくて毎日帰りも遅く、家にいられる時間がありませんでした。それに子育てがありますから先に帰りますと上司に言えるような雰囲気ではなかったんです。中国では、子どものために休みをとりたい時や早引きしたい時、たいてい上司はOKを出します。 日本では、男性の意識の問題もありますが、社会のシステム自体が男性が育児に参加しにくいようにできているのだと感じました。また、 中国では男性同士が今妻は第何週でどういう状態と普通に会話をします。日本では週ごとに妊娠の状態がわかるような男性はいませんでした」
 
 今、清美さんは、家族とともに家事・育児をしながら、仕事も充実している。映像・デザインの仕事に加え、編集の仕事にも携わっている。8月に北京で出版される写真集「北京美少女図鑑」の編集・デザインを担当し、徹夜の作業もこなす清美さんは話す。
「私は子どもが大きくなるまでは、日本に戻らず北京で暮らしたいと思っています。家族で子育てをするのが当たり前な中国は、仕事と育児を無理なく両立できて、私にとってとてもありがたい場所なのです 」


SadoTamako

投稿者について

SadoTamako: フォトグラファー 北京大学留学後、’99年より北京在住。中国関連の写真とエッセーを内外のメディアに発表している。 『NHK中国語会話テキスト』、『人民中国』の表紙写真、『読売新聞国際版』リレーエッセーを連載。 著書に『幸福(シンフー)?』(集英社)など多数。(ウエッブサイト