その12(最終回) ただいま結婚準備中。国籍は関係なくカレはただ私の「カレ」 ー村上久美さんの場合ー

2016年9月1日 / カレは中国人

村上久美さんはその日、北京市民政局の婚姻登記所に結婚手続きの書類を取りに行った。5年前に北京で知り合った中国人のカレと2週間後に結婚の予定だ。中国では男性22歳、女性20歳から結婚でき、手続きには、二人の身分証明書、写真3枚、戸籍簿(中国人)、婚姻要件具備証明(日本人) を持って婚姻登記所に届ければよい。以前必要とされていた性病などの健康診断は今は必要条件ではなくなった。

 家の近所に台湾人が住んでいたので小学生の頃から中国語に触れ、大学では中国語を専攻し学生時代に2年間北京に留学している。大学卒業後は中国語力を生かして北京で仕事がしたいと、2006年、25歳で北京の貿易会社に就職した。

 カレは物流会社を経営していて、久美さんの勤める会社と取引があった。5年前のある日、仕事の打ち上げでふたりは一緒になった。9歳年上で色が黒く、Tシャツにジーパンと姿はまるで肉体労働者、その時久美さんは特別なものは感じなかった。しかし、ユーモアもあり日本の歴史や文化にも詳しいカレと話をしていると楽しい。ある時カレに「恋人はいるの?」と聞かれ、女性として意識されていると感じた久美さんは、半ば拒否するつもりで、
「いないし、いらない」
 と答えた。

 すると、カレから毎日ショートメッセージが来るようになった。
 久美さんはうれしいとは感じなかったが、ある時3日続けてカレからのメッセージが来なかった。久美さんは心配になり、気がつくと自分からカレに連絡をしていた。
 ある日、久美さんはカレに食事に誘われたがすでに友人と先約があり断った。しかし友人と食事をしているうちに本当はカレと食事に行きたかった自分に気づき、その思いを押さえることができなくなった。友人との食事を途中で切り上げ、久美さんはカレのところに行った。

今時の中国人らしくないカレ

 カレから正式な交際の申し込みがあった。久美さんはカレに好意を持っている自分を感じながらも中国人とのつき合い、結婚、子どものこと、文化の違い、将来のことなどを考えるとそれを自分が越えられるか心配で踏み込めなかった。久美さんはカレに聞いた。
「外国人とつき合ったり結婚したりすることがいかに大変か、あなたは考えていますか?」
 カレはこう答えた。
「外国人だから特別だとか大変だとか考えたことはない」
 久美さんはカレのこのひと言で、今まで縛られていた固定観念から解き放たれた。そうだ、国籍が違うからといって問題が起こるとは限らない。心配は問題が起こってからすればいい。起こる前から考えすぎて、行動をストップしてしまうのは愚かなことだ。
 3ヶ月後、久美さんはカレと一緒に暮らし始める。料理が得意なカレは久美さんが食事までに帰宅できる日には何品ものメニューを作り、毎晩二人でビールを飲みながらお互いその日の出来事などをしゃべって寝るまでの時間を過ごす。

 喧嘩をしたこともある。ある時、友人の奥さんとカレがゲームをしていて、それがあまりに親密に見えて久美さんは嫉妬した。「先に帰る」と席を立つと、カレは後から追いかけて来た。しかし、なだめるのではなく、
「僕のことが信用できない君はおかしい」
 と、久美さんをたしなめた。久美さんは感情から理性に引き戻された。いつでもカレの言うことは理に叶い、久美さんは納得できるのだ。
 一緒にいればいるほど、素朴で生きる道理と原則がぶれないカレと過ごす時間が久美さんは心地よかった。

 しかし今の中国、スポイルされた若い中国女性たちは、何でも自分のしたいようにしないと気がすまず、男性は女性のヒステリックな我侭を叱らず聞いてしまう傾向がある。そんな中、悪いことは悪いときちんと言うカレは、今時の中国人男性らしくない中国人だ。だが中国人女性の間では受けがよくない。久美さんの中国人の女性上司もそんなカレのことを当初評価しておらず、上司と取引先のカレとの間で困ったこともあった。しかし久美さんにとっては誰よりも尊敬でき、信頼できる人なのだ。
 

「結局、ひとは国籍ではなくその人その人で違います。私は中国人と結婚するというより、カレという一人の男性と結婚するんです。そして、その人は、素直な気持ちで好きになれた私の”カレ”ということです」(文中は仮名)


SadoTamako

投稿者について

SadoTamako: フォトグラファー 北京大学留学後、’99年より北京在住。中国関連の写真とエッセーを内外のメディアに発表している。 『NHK中国語会話テキスト』、『人民中国』の表紙写真、『読売新聞国際版』リレーエッセーを連載。 著書に『幸福(シンフー)?』(集英社)など多数。(ウエッブサイト