第2回 ボランティア活動にて

2016年8月22日 / 36歳テレビマン留学記

 私はテレビ局で働いている。なので、テレビ事情には関心が強いのだが、中国で真っ先に気になったのが、ゴールデンタイムのドラマの特殊性だ。
 
 日本のドラマは恋愛ドラマが主流で、次に来るのが刑事ドラマ、病院ドラマといったところ。しかし、中国では先の日中戦争を描いたドラマが非常に多い。このようなドラマは「抗日ドラマ」と呼ばれている。もちろん、日本人は悪役で、劇中では「日本鬼子」と呼ばれる。もはや人ではなく鬼だ。毎日こういったドラマを見ていれば、私だって日本人が嫌いになる。
 
 ただ翻って考えると、日本人の中国人観にも、画一的なイメージが無いだろうか?「マナーが足りない」「大声」などだ。それはきっと我々日本のマスコミにも一因があるのかもしれない。限られた電波を使って、多面的に物事を伝えることは、非常に難しいことだ。
 
 そんな「偏った」状況の中でも、日本に興味や関心を持ってくれている大学生がたくさんいることに、私は感動した。彼らの興味のきっかけは、主にアニメやファッション、ゲームなどだ。個人的に彼らと交流することで、私自身が抱いていた中国像もやはり偏っていたことを痛感させられた。マクロな分析も大事だが、一番大切なのは、人と人との生の交流なのだろう。そう思い、私はなるべく多くの人と交流するように心がけた。そんな中で参加した、ある病院のボランティア活動の思い出が、強く心に残っている。


(写真)病室で歌った国歌は忘れられない

 私が参加したのは、[临终关怀]というボランティアで、簡単に言うと、日本でいうホスピスのような病院に入院しているお年寄りの方をお見舞いする活動だ。入院されている方の多くは、癌のような治らない病気を抱えている。なので、私はある程度悲壮感が漂う雰囲気を想像したのだが、実際に訪れた病院は、非常に明るく清潔で、患者さんもとてもリラックスしているように感じられた。 日本人ということもあり、私たちが通されたのは、日本語を話せるおじいちゃんの部屋だった。「お名前は何ですか?」と私が尋ねると、「王です」とはっきりとした日本語で答えてくれた。聞くと、東北地方の出身で、かつての満洲国で暮らしていたという。満洲国のことは、もちろん歴史の勉強で知っている、ただ、実際に満洲国で暮らしていた中国の人と会うのは、初めての経験だ。何と話していいのかわからない私を尻目に、おじいちゃんはこう切り出した。

 「日本の歌を歌えますよ。一緒に歌いましょう」。
 
 そして、私が首を縦に振ったのを確認すると、おじいちゃんはゆっくりと歌い出した。

 「き〜み〜が〜よ〜は…」
 
 おじいちゃんが歌えるという歌は、日本の「君が代」だった。おじいちゃんに合わせるように、私もゆっくりと大きい声で歌った。「君が代」を歌うのは、何年ぶりだろうか?周りにいた中国の人達も、この歌が日本の国歌だということは、うすうすわかっているようだった。ただ、嫌な顔ひとつせず、一緒に手拍子をしてくれた。

 「ありがとうございました」
 
 私が歌い終わったおじいちゃんにお礼を言うと、間髪入れずに婦長さんが切り出した。

 「じゃあ次は、中国の歌を歌いましょう」
 
 そして、自ら手拍子を取り、歌い出した歌は、中国の国歌だった。

 「起来〜!不愿做奴隶的人们!」
 
 おじいちゃんも歌い出し、周りの中国の人も歌い出し、病室は大合唱となった。もちろん、私は歌えないので、一緒に手拍子を取るのが精一杯だった。
実は中国の国歌は、抗日戦争の時の軍歌がそのまま使われている。「奴隷になりたくなければ、立ち上がって戦え」という歌詞だ。2つの国の国歌を歌えるおじいちゃんは、きっと2つの国の間で翻弄された人生を送ってきたのだろう。
病室の他の人達も、孫の世代の大学生たちに色々な話をしてくれた。英語が堪能で、香港や上海で翻訳として活躍していたというおばあちゃん、文化大革命の時に大変な思いをしたという知識層のおじいちゃん、彼ら一人一人が、戦争や内戦の混乱を乗り越えた、まさに波乱の人生を送ってきていた。
 
 最後に病室を出る時、あるおばあちゃんが私にこう話しかけてきた。
「中国語を勉強しているのですね。じゃあ一つ言葉を覚えて帰って下さい」
 
 彼女が教えてくれた言葉は「一衣帯水」という言葉だった。日本と中国の関係は、まさに一つの帯のような川で隔てられているだけで、交流するのに何の障害もないという意味だ。ただし、その川は時には激流となり、両岸の人たちの運命を翻弄してきた。
 
 日中両国の国歌を聞いた中国人の学生たちも、色々と感じるところは大きかったようだ。
これからの21世紀、日中の間に流れる川はどんな姿を見せるのだろうか?きっと、なるべく多くの橋をその川にかけて、なるべく多くの船をその川に浮かべることが、私たちの世代にとって大切なことなのだろう。帰りのバスで、多くのおじいちゃんおばあちゃんの話を思い出しながら、私はそんなことを考えていた。


Noriaki Tomisaka

投稿者について

Noriaki Tomisaka: 1976年8月27日福井県生まれ(辰年、乙女座、B型) 1994年 京都大学法学部入学 1999年 テレビ朝日入社 朝のワイドショー(「スーパーモーニング」)夕方ニュース(「スーパーJチャンネル」)などのAD・ディレクターを担当 2007年〜 経済部にて記者職を担当 農林水産省、東京証券取引所、財務省などを取材 2011年9月〜 北京・中国伝媒大学にて留学生活を開始(〜2012年夏まで)