第3回 テレビ番組の収録を見学

(写真)Aさんとはたくさんの番組や舞台を見学した

 出会いはひょんなところから始まった。ある日、私は友達に誘われ、日本から来た先生の授業に参加した。その時にたまたま隣の席に座っていたのがAさんだった。

 「你是日本人吗?(あなたは日本人ですか?)」彼女は日本語はできないが、私の中国語のレベルにあわせて色々と話しかけてきてくれた。聞けば、彼女はすでに社会人で、空いた時間を利用して、大学の授業を聴講に来たのだという。
 
 そこから、彼女との交流が始まった。彼女は大のイベント好きで、大学の近くで講演会や音楽会がある時は色々と情報を教えてくれる。一緒に行く際には、必ずお菓子や屋台で買った食べ物を持ってきてくれる。また、私が日本に一時帰国する際には、一緒に北京の雑貨市場までいって、おみやげを探したりもしてくれた。彼女はそんな時は必ず、中国語が下手な私の代わりに、一生懸命値段を値切ってくれる。一言で言えばとても世話好きな女性なのだ。
 
 そんな彼女との思い出の中で、忘れられないのがあるテレビ局の収録を見学したことだ。中国では「春节晚会」と言って、旧正月の前後に流す娯楽番組が大変人気だ。一番人気があるのがCCTV(中国中央电视台)の作る「晚会」なのだが、各地方局も趣向をこらして独自の番組を制作している。内容は歌あり、漫才あり、コントあり、手品ありのバラエティーに飛んだものだ。日本で言えば、紅白歌合戦と、年明けの初笑い番組を一緒にしたようなイメージだろうか。
当然、出場する歌手やタレントたちも豪華絢爛、イベント好きのAさんにとってはたまらないイベントだ。彼女は欣喜雀躍として私を誘ってくれた。ただ、私には心配なことが一つだけあった。収録は北京郊外にあるスタジオで行われるため、大学から行く場合はゆうに2時間はかかる。夜から収録と聞いた私は、若干不安になって彼女に聞いてみた。
私「帰って来られるのか?」
Aさん「没事儿(大丈夫)」。
 
 力強く答える彼女。でも具体的に大丈夫な理由はよくわからない。でもあまりにも自信満々なので、私も深く追求せずに彼女と一緒に収録を見学することに決めた。
 
 スタジオの外では、すでに観客たちの長蛇の列ができていた。ただ一点、日本の番組収録と違うのは、「秩序」があまりないことだ。日本であれば、整理券を配って順番に入っていくのが一番順当なやり方なのだろうが、中国ではそれが通用しない。券らしきものはあるが、どこで誰がチェックするのか分からない。しかもみんな、良い席を取ろうと虎視眈々と狙っている。ある担当者がこっちに並べと言ったらそちらに移動、またあっちに並べと言ったらそちらに移動、その度にみんなが前の列を確保しようとするので、まさに熾烈な競争だ。また、収録中の写真撮影は禁止されているのだが、カメラの持ち込みもあまり厳格には規制されていない。見つかったら運が悪い、見つからなければ運がいい、まさにそんな感じだ。
 
 私たちもようやくスタジオに入って、番組収録が始まった時には、時間はすでに夜の8時を回っていた。収録自体のやり方は日本のバラエティー番組とそんなに変わらない。前説のディレクターが会場を盛り上げて、拍手の指示をしたりする。タレントさんたちも観客と気さくに話を交わしていて、観客と一体で番組を作っていく感覚だ。「番組を作るっていうのは、いいものだなあ〜」とテレビマンとしての感慨にしばし浸っていた私だが、気になるのはやはり時間のことだ。
 
 バラエティー番組の収録に時間が掛かるのは、洋の東西を問わず同じ事。収録が終わった時には、時間は深夜の2時を回り、電車もバスも当然ない。私はAさんに聞いた。

 私「これからどうするの?」

 Aさん「多分ネットカフェがあるだろうから、そこで徹夜しましょう」
私は耳を疑った。「多分?」実は彼女に、特に具体的な考えがあるわけではなかった。番組収録を見終わってから泊まる場所を考える、まさに「考えるより走る」という精神を実践していたのだ。
しかし、運命は皮肉なものだった。スタジオの回りにはネットカフェらしきものはあるにはあったが、すでにすべて閉店。タクシーもほとんど走っていない。ただ、それでもあきらめないのがAさんのすごい所。実はスタジオには、番組出演者が泊まる宿舎が併設されていたのだ。そこで彼女は何とかそこに交渉して泊めてもらおうと言い出した。

 「難しいんじゃないかなあ」と私は内心では思っていた。何しろ、出演者が泊まる宿舎だ、セキュリティの問題もある。スタッフは泊まれても、一般人はまず無理だろう。ただ、彼女の粘り強い交渉のお陰で、奇跡は起きたのだ。

 「ロビーのソファーで寝るんなら、寝てもいいよ」
警備員や責任者らしき人と何度もやり取りして、ようやく「ソファーで寝る権利」を獲得した彼女。収録は1月、外の気温はゆうにマイナス10度を超えていただろう。宿舎のロビーも暖房は入っていなかったので、気温は0度前後だろうか。それでも、寒風の中をさまよい歩くよりは何倍もマシだ。
 
 「实在对不起(本当にごめんなさい)」彼女は何度も謝ってくれたが、全然彼女を責める気にはならなかった。凍える思いで夜を越した翌朝、キラキラと輝く朝日の中で食べたお粥の味が、どんな高価な食べ物よりも美味しかったことは、言うまでもない。


Noriaki Tomisaka

投稿者について

Noriaki Tomisaka: 1976年8月27日福井県生まれ(辰年、乙女座、B型) 1994年 京都大学法学部入学 1999年 テレビ朝日入社 朝のワイドショー(「スーパーモーニング」)夕方ニュース(「スーパーJチャンネル」)などのAD・ディレクターを担当 2007年〜 経済部にて記者職を担当 農林水産省、東京証券取引所、財務省などを取材 2011年9月〜 北京・中国伝媒大学にて留学生活を開始(〜2012年夏まで)