第9回 再见、中国

2016年8月26日 / 36歳テレビマン留学記

(写真)ヒゲの李先生

 去年の9月に始まった私の留学生活も、あっという間に一年が過ぎようとしている。帰国前の最後の夏休みを利用して、私が何としても行きたかったのは、チベットや新疆などの「民族自治区」と呼ばれる場所だ。

 
 ほぼ単一民族国家の日本とちがって、中国には56の民族が存在する。そのうち、自治区を持っているのは内モンゴルの蒙古族、新疆のウイグル族、寧夏の回族、チベットのチベット族、広西のチワン族などだ。中国のお札の裏側には、主要な民族の文字が印刷されていて、中国が多民族国家であることを実感させられる。チベットやウイグルの民族問題は特にナイーブで、外国人がチベットに行くには特別な許可が必要だ。私も何とか許可をもらい、この夏休みを利用して、チベット、新疆、内モンゴルなどを旅することができた。

 
 彼らの漢民族に対する感情は非常に複雑だ。これまで書いてきた春節などの習慣は主に漢民族の習慣で、それぞれの民族にはそれぞれの民族の習慣がある。ただし、どうしても人数では漢民族に圧倒されるため、各地で「漢化」と呼ばれる現象が起きている。それぞれの民族の伝統や文化の特徴が薄れ、漢民族の影響が濃くなっていくという意味だ。もちろん、中央政府も少数民族の文化を保護する政策や、生活面で少数民族を優遇する政策を取っている。ただし、心の底から民族の融和を実現することは本当に難しいことだ。少数民族の友人の中には、「中国人」という意識より「カザフ族」「ウイグル族」といった意識が強い人たちが多い。民族問題は、格差問題と並んで、中国政府が避けて通れない問題の一つだろう。

 
 この問題を考えているときに、私はふと、留学中に訪問した北京の少年野球チームのことを思い出した。その野球チームの先生は「ヒゲの李先生」と呼ばれる、強面の先生だ。中国で最も人気のある球技と行ったら、なんといってもサッカー、それから卓球、バドミントンぐらいだろう。そのため、中国の野球のレベルは決して高くはない。そんな中李先生は、中国の野球のレベルを高めようと、少年野球チームを自ら設立したのだ。

 
 もっと興味深いのは、李先生はチームのメンバーを、様々な場所の、様々な境遇の子供たちから集めていることだ。貧しい農村から来た子、少数民族自治区から来た子、身寄りのない子、決して幸福とは言えない境遇の子供たちが、同じ場所に住んで、ボランティアの支援を受けながら、毎日野球や勉強に打ち込んでいるのだ。

 
 李先生自身も、かつて中国の国家少年野球チームに所属していた。しかしその後喧嘩で学校を退学になり、以来様々な職業を転々としたという。悶々とした毎日を送っていた彼はある日、やはり自分が好きなのは野球だと気づき、そこから一念発起した。そこからコツコツとチームを作り上げ、2011年には軟式野球の大会で世界一を取るまでに成長させたのだ。

 
 彼の野球チームには様々な民族の子供たちが集っているが、そこに民族差別の意識はない。なぜなら共に厳しい練習生活を過ごし、世界一という共通の目標に向かって日々汗を流しているからだ。そこで私はふと思った、もし各民族を超えて「中国人」として団結できる目標があり、そこに向けて共に苦しい経験を乗り越えていったとすれば、その時に民族の壁は取り除けるのではないだろうか?ただしそれは、日本のような外国を「共通の敵」にするといった、危険な思想にもつながりかねない。一心不乱に白球を追いかける彼らの姿を見ながら、これからの中国を担っていく子供たちは、自らのアイデンティティをどこに求めていくのだろうと、そんなことを考えていた。

 
 かくして、私の中国生活は幕を閉じようとしている。1年を振り返ってみると、瓜の種は上手に食べられるようになったし、赤信号で大通りを渡る技術も身につけた、ぎゅうぎゅう詰めのバスで乗客が大げんかを始めても、道端でおじさんがお腹を出していても、大して驚かなくなった。中国語は…?日本に帰っても頑張ろう!

 
 そして、この場をかりて、連載の機会を与えてくれたBillion Beatsのみなさん、拙い文を我慢して読んでいただいた読者の皆さん、留学の機会を与えてくれた会社、大学、そして中国で出会ったすべての皆さんに、心からの敬意を示したいと思う。

 
 中国は、知れば知るほど奥の深い国だ。願わくは、再び中国に来て、今度は取材活動を通して、日本の皆さんに中国のありのままの姿を伝えていければと思う。

 
 さよなら、中国、また会おう、中国。再见,中国!


Noriaki Tomisaka

投稿者について

Noriaki Tomisaka: 1976年8月27日福井県生まれ(辰年、乙女座、B型) 1994年 京都大学法学部入学 1999年 テレビ朝日入社 朝のワイドショー(「スーパーモーニング」)夕方ニュース(「スーパーJチャンネル」)などのAD・ディレクターを担当 2007年〜 経済部にて記者職を担当 農林水産省、東京証券取引所、財務省などを取材 2011年9月〜 北京・中国伝媒大学にて留学生活を開始(〜2012年夏まで)