特派員のひとりごと 第26回「ある朝鮮人男性」の死

2017年4月24日 / 特派員のひとりごと

(写真)クアラルンプールの北朝鮮大使館

「金正男氏がマレーシアで殺害された」

 韓国メディアが報じたのは、バレンタインデー、2月14日の夜だった。最初は半信半疑だったが、その後マレーシア政府も北朝鮮国籍の男性の死亡を発表。そこからは、怒涛の取材合戦が始まった。マレーシアは華僑が多く、中国語メディアから得られる情報も多いため、各局とも北京や上海の支局から、マレーシアに大量にスタッフを投入したのだ。

 事件は謎が謎を呼ぶ展開だった。犯行現場は、衆人環視の国際空港ターミナル。実行犯とみられるのは、北朝鮮と何の関係もなさそうな、ベトナム人とインドネシア人の若い女性。犯行時間は、わずか数秒程度。センセーショナルな防犯カメラの映像は、繰り返しテレビで放送された。殺害動機もまた不可解で、女性らは「いたずらビデオの撮影」と供述しているが、にわかには信じがたい。そして、最後まで最大の謎となったのは、事件の背景に北朝鮮が、どの程度関与したかということだ。

 当初、マレーシア政府は強硬に対応した。事件に関わったとされる北朝鮮男性リ・ジョンチョル氏を拘束したほか、数人の北朝鮮男性の顔写真と氏名を公表し、指名手配したのだ。また、遺体の引き渡しを求める北朝鮮に対し、あくまで遺族側への引き渡しを主張し、要求を突っぱねた。さらには、捜査を進めるマレーシア警察を批判した北朝鮮の駐マレーシア大使を「好ましからざる人物」として、国外追放した。

 一方、北朝鮮も反撃に転じる。「事件が公正に解決されるまで」北朝鮮国内にいるマレーシア人の出国を禁止する措置を発表したのだ。いわゆる「人質」を取った形である。また、マレーシアを追放された北朝鮮男性リ・ジョンチョル氏は、経由地の北京の北朝鮮大使館前で、深夜にも関わらず、長々とマレーシア警察の捜査の不正を報道陣に訴えた。私は取材を担当したが、リ・ジョンチョル氏が祖国を愛する歌を、朗々と歌うなど、妙に芝居がかっていたのが印象的だった。

 その間、北朝鮮政府は一貫して、死亡した男性は、「金正男」氏ではなく、パスポート名の「キム・チョル」氏であると主張した。最高指導者の金正恩氏に母親の違う兄がいることは、これまでも北朝鮮国内では報道されていない。また、北朝鮮と関係が深い中国の公式メディアも、「金正男」氏殺害といった表現を避け、「ある朝鮮人男性」の殺害という報じ方をした。中国はこれまで、マカオで金正男氏とその家族を保護してきたとされているが、そのことにも一切触れようとはしなかった。

 金正男氏はかつて、ロイヤルファミリーの一員として、金正日総書記の後継者候補にも挙げられていた。しかし、弟の金正恩氏が跡継ぎに決まって以降は、政治の世界から身を引き、主にビジネス活動をしていたという。朝鮮半島情勢に詳しい日本の関係者は、金正男氏には政治的な影響力も野心もなかったと分析している。それなのになぜ、彼は殺されなければなかったのか?そして、その身元すら公表されず「ある朝鮮人男性」として、一生を終えるというのは、あまりにも不憫ではないだろうか?

 そう思っていた矢先に、またも衝撃的なビデオが公開された。金正男氏の息子とされる、キム・ハンソル氏のビデオメッセージである。彼自身も命の危険がある中で、「私は金一族の一員だ」とはっきりと述べたメッセージからは、父親が生きた証を残したいという意志のようなものが感じられた。また、メッセージから数日後には、DNA鑑定で、遺体の身元が金正男氏だと正式に判明した。DNAの資料をマレーシア警察に提供したのがハンソル氏かどうかは不明だが、少なくとも親族の協力によって、「ある朝鮮人男性」は、本来の「金正男」という名前を取り戻したといえる。

 それから先も、マレーシアと北朝鮮のこう着状態は続いた。そもそもマレーシア政府は北朝鮮と友好的で、事件が起こる前まではビザなし渡航を認めていた。私はスマトラ島のサラワク州を取材したが、以前は工事現場や炭鉱などに、北朝鮮の労働者がたくさんいたということだ。しかし島の一般の人たちは、北朝鮮と韓国の違いも分かっていないようだった。また、マレーシアにとっては、自国民の解放こそが第一で、事件の真相究明は二の次という判断にもなったのだろう。両国は秘密裏に協議を重ね、最終的には「人質交換」が成立する。事件に関係したとみられる北朝鮮の男性たちは、何食わぬ顔で平壌に戻り、真相は藪の中となった。ある意味、北朝鮮の作戦勝ちといえる。

 ちなみに、政府どうしは関係が深い中国と北朝鮮だが、中国人一般の北朝鮮に対する感情は、必ずしもあまりよくないように感じる。かつては、朝鮮戦争をともに戦った「血の盟友」だったが、今や「何をするかわからない危険な隣人」と眉をひそめる人も多い。このような隣人とどう付き合っていくか、マレーシアのみならず、世界中の国々に突きつけられた課題だろう。


Noriaki Tomisaka

投稿者について

Noriaki Tomisaka: 1976年8月27日福井県生まれ(辰年、乙女座、B型) 1994年 京都大学法学部入学 1999年 テレビ朝日入社 朝のワイドショー(「スーパーモーニング」)夕方ニュース(「スーパーJチャンネル」)などのAD・ディレクターを担当 2007年〜 経済部にて記者職を担当 農林水産省、東京証券取引所、財務省などを取材 2011年9月〜 北京・中国伝媒大学にて留学生活を開始(〜2012年夏まで)