特派員のひとりごと第15回 天津爆発事故と、中国の安全

2016年8月26日 / 特派員のひとりごと

(写真)煙が立ち込める天津の爆発現場

 この記事を書いているのは9月11日。中国・天津の開発区で起きた大爆発事故から、およそ1カ月が経った。事故の死者数はすでに、165人に増えていたが、中国当局はもう一つ、大きな決断をした。残り8人の行方不明者について「生存の可能性はない」と結論付け、死亡宣告の手続きに入ったのだ。事故現場の跡地には、天津市主導でエコパークを作る計画がすでに発表されている。1カ月という区切りを境に、事故を乗り越え前に進んでいこうという意気込みは感じられるが、インターネット上では「原因究明もまだなのに、スピードが速すぎる」と言った批判も相次いだ。

 それにしてもこの1カ月、色々なことが起きた。爆発事故のすぐ後には、上海市場で株価が大暴落し、「中国ショック」が世界中を駆け巡った。そして9月に入ると、習近平国家主席肝いりの軍事パレードが、天安門で大々的に行われた。通勤で使っている道がパレードのために封鎖され、遠回りを強いられるたびに「面倒くさい国だ」と、つくづく思ったものだ。気が付くと、街には秋風が吹き、季節はすっかり変わってしまっていた。ただ、爆発事故を取材した8月13日の光景は、今もはっきり思いだすことができる。

 北京を出発したのは朝の7時、現場に着いたのは、午前10時ごろだろうか。車を降りてまず目に飛び込んできたのは、もくもくと立ち込める黒い煙。そして積み重なった、コンテナの山だった。すぐ横には、巨大なトレーラーが横転しており、運転席のガラスは全て割れて無くなっていた。

 「まるで映画だな」

 中国人カメラマンが、誰に言うでもなくつぶやいた一言が忘れられない。匂いはあまりないが、歩いているだけで、目がショボショボしてくる。有毒な気体が出ている可能性もあったので、我々クルーはPM2.5に対応した分厚いマスクを、もう1枚重ねることにした。

 取材した近くの小学校は、爆発で被害を受けた人たちの、臨時の避難所となっていた。校舎の壁には、探し人の張り紙が何枚も張られており、その多くが消防士だった。
校内には、1000人以上の人がいただろうか。校庭にも、びっしりとテントが設営され、一つのテントにはおよそ10人近くの人が、一緒に寝泊りをしていた。

 「何が起きたか全くわからなかった。作業場の宿舎も、ボロボロに壊れてしまった。仕事もなくなるだろうから、とりあえず田舎に帰るしかない」

 最初に話を聞いたのは、田舎から出てきて、工事現場の作業員として働いている、いわゆる「農民工」と呼ばれる人だった。爆発が起きたのは天津市の開発区だったので、全国各地から多くの「農民工」が集まって働いていた。中国経済の原動力ともいえる「農民工」の人たちだが、労働環境は決して恵まれているとは言えない。寝泊りをしているのはプレハブ小屋のようなところなので、今回の爆風では、ひとたまりもなかっただろう。彼らの多くは半強制的に田舎に帰らされ、また一から仕事を探すことになる。

 それ以上に悲惨だったのは、爆発現場の近くにマンションを買った住民かもしれない。かなり離れた場所のマンションでも窓ガラスは割れていたし、化学物質による汚染も心配だろう。

 「家の近くにあんな危険物の倉庫があるなんて、考えもしなかった。しかもあんな大爆発を起こすなんて、危険物の管理はどうなっていたのか?全く理解できない」

 多くの人がカメラの前で怒りをあらわにし、政府に補償を求めるデモを起こした人もいた。そもそも本来ならば、危険物の倉庫から1キロ以内に住宅があってはならないはずだが、今回の事故では1キロ以内に多くの住宅があり、大きな被害を受けていた。

 結局、許可を与えた当局と、倉庫の会社双方に「癒着」があった可能性が指摘され、多くの関係者が刑事手続きを受けている。また、被害を受けた住宅は、市場価格の1.3倍で買い取られることとなった。

 しかし1カ月が過ぎた今もなお、事故が起きた原因ははっきりわかっていない。消防士たちの勇気は大きく称えられているが、彼らがなぜ爆発に巻き込まれなければいけなかったのか、消火のプロセスに問題はなかったのか、十分な検証が行われたという報道もない。

 習近平国家主席は、就任以来一貫して「安全」をスローガンに掲げてきた。そのことは、2014年に立ち上げた「国家安全委員会」のトップに、自ら就任したことにも現れている。裏を返せば、それだけ中国が「安全」ではないということを、自覚している証だと言えるだろう。

 爆発事故の前から、食の安全や、大気汚染の問題は、毎日のように取り上げられていた。長江では船の転覆事故もあったし、エスカレーターの踏み台が外れて、女性が犠牲になる痛ましい事故も起きた。その都度、責任者は処罰され、原因究明が行われたが、改善の兆しはない。人々が安心して暮らしていける国になれるのか?当たり前のことのようだが、中国が真の大国を目指すうえでの、解決しなければならない大きな課題と言えるだろう。


Noriaki Tomisaka

投稿者について

Noriaki Tomisaka: 1976年8月27日福井県生まれ(辰年、乙女座、B型) 1994年 京都大学法学部入学 1999年 テレビ朝日入社 朝のワイドショー(「スーパーモーニング」)夕方ニュース(「スーパーJチャンネル」)などのAD・ディレクターを担当 2007年〜 経済部にて記者職を担当 農林水産省、東京証券取引所、財務省などを取材 2011年9月〜 北京・中国伝媒大学にて留学生活を開始(〜2012年夏まで)