特派員のひとりごと 第17回 不思議の国の美女たち

2016年8月26日 / 特派員のひとりごと

(写真)モランボン楽団が宿泊したホテル

 「おいおい、一体どこまで行くんだ?」

 12月12日、我々のクルーは北京市西部のホテルから出発した北朝鮮大使館の車を追いかけていた。乗っているのは北朝鮮の「美女軍団」の誉れが高い、モランボン楽団のメンバーたち。この日は初の海外公演となる、北京公演の初日で、多くの日本メディアが、早朝からホテルを張り込んでいた。

 公演の時間は午後7時から。しかし、モランボン楽団が出発したのは、午前11時ごろだった。私は、劇場に行くには早すぎるから、市内観光か、もしくは北朝鮮大使館に表敬訪問にでも行くのだろうと気軽に考えていた。しかし、車は市の中心部を通り過ぎ、どんどん北へと走っていく。そろそろ空港に着くというときに口をついて出た言葉が、冒頭のセリフだ。

 「誰かのお迎えだろうか?」

 空港に着いたモランボン楽団のメンバーたちは、表情一つ変えずに隊列を組んで行進していく。その周りを中国の私服警官が取り囲み、カメラを回そうとする我々を一人一人排除していく。もみくちゃになりながら、彼女たちが向かった先は、航空会社の貴賓室だった。この時点でも、私はモランボン楽団が公演をドタキャンして帰るなどとは夢にも思っておらず、北朝鮮から偉い人が来るので、お迎えに来たのだろうとばかり思っていた。

 しかし結果は、皆さんご存知のとおりである。モランボン楽団は北京公演をキャンセルし、飛行機に乗り込みそのまま北朝鮮へと帰ってしまったのだった。

 考えてみれば伏線があった、早朝ホテルにいたカメラマンが、モランボン楽団がどこかから衣装を抱えて戻ってくる様子を目撃していたからだ。となると、すでに前日の夜のうちに、帰国に向けた指示が出ており、あとは粛々と帰る準備を進めていたということだろう。

 この2日前、モランボン楽団が北京に到着した時は、様子は全く違っていた。当時も我々は取材をしており、団員の一人から、インタビューを撮ることに成功した。彼女は少し照れた様子で、我々のカメラに向かって、こう答えてくれたのである。

 「こんなに歓迎してくださって、とてもありがたく思います。素晴らしい公演にするために頑張ります」

 改めておさらいすると、モランボン楽団とは、金正恩第一書記が2012年に、肝いりで結成したガールズグループで、北朝鮮国内では絶大な人気を誇っている。また、今年10月に平壌で行われた軍事パレードの際など、北朝鮮の重要な国家行事のたびに登場することでも有名だ。さらに、団長の玄松月(ヒョン・ソンウォル)さんは、金正恩第一書記の元彼女だと、まことしやかにささやかれている。まさに北朝鮮にとって、唯一無二の女性グループであり、その海外初公演が北京になるということは、外交的にも大きな意味があった。つまり、改善の兆しが見え始めた中朝関係を一気に加速し、まだ外交デビューを果たしていない、金正恩第一書記の初訪中に向けたムードを作るということだ。玄団長は、ドタキャン前日の昼間に、中朝関係についてこう答えていた。

 「(金正恩第一の訪中の地ならしかどうか)そんなことはわかりません。
 私たちは両国の親善のために、歌を聞かせに来たのです。
 中国に来てわかったことは、両国の親善は、思ったよりずっと熱いものだということです」

 その“熱い”友好ムードは、一晩のうちにすっかり冷めきってしまい、前代未聞のドタキャン騒動となってしまった。理由については諸説あるが、有力なのは、楽団の演奏中にプロジェクターに流される映像が、北朝鮮の核開発を讃える内容で、懸念を示した中国側が、最高指導部の出席を取りやめたのが原因だという説だ。金正恩第一書記としては、拍手をしながらモランボン楽団の演奏を見る中国の最高指導部の映像を全世界に流すことで、「中国から核開発のお墨付きを得た」との印象を与えようとしたのかもしれない。しかし、やり方が少々稚拙だった。結局、公演内容の変更を飲むわけにもいかず、「それなら帰ってこい」と、逆ギレして見せたのだろう。

 前にもこのコラムで書いたことがあるが、自由に見に行くことができない北朝鮮は、真相をうかがい知れない「不思議の国」である。ただし北京には、北朝鮮大使館があり、平壌との定期便があるので、そこを行き来する人たちをウォッチすることで、我々はその不思議の国の姿を垣間見ようとする。例えると、わずかに空いた「窓」の隙間から、部屋の中を覗きみる感じだろうか。今回はその「窓」の隙間から、めったに見ることができない美女たちの姿を拝むことができたが、美女たちはあっという間に消えてしまった。

 まもなく2015年が明け、2016年を迎える。金正日総書記の死去から4年がたち、今後は金正恩第一書記が、父の影響を抜け出し、自らのやり方で国を治めようとする機会が増えるだろう。彼にどのくらいの力量があるかはわからないが、我々北京の記者たちは、一生懸命北朝鮮の「窓」を覗く機会が増えそうだ。


Noriaki Tomisaka

投稿者について

Noriaki Tomisaka: 1976年8月27日福井県生まれ(辰年、乙女座、B型) 1994年 京都大学法学部入学 1999年 テレビ朝日入社 朝のワイドショー(「スーパーモーニング」)夕方ニュース(「スーパーJチャンネル」)などのAD・ディレクターを担当 2007年〜 経済部にて記者職を担当 農林水産省、東京証券取引所、財務省などを取材 2011年9月〜 北京・中国伝媒大学にて留学生活を開始(〜2012年夏まで)