特派員のひとりごと第6回 東南アジア取材記 その1

2016年8月26日 / 特派員のひとりごと

(写真)ミャンマー・ネピドーにて

 先月このコラムで、北京支局の守備範囲は中国大陸の北半分だと書いたばかりだが、8月は珍しく東南アジアへの出張があった。

 目的地はミャンマー。ASEAN(東南アジア諸国連合)関連会議の取材で、首都ネピドーを訪れた。首都といっても、軍事政権が何もない所に無理やり作った町で、のどかな田園風景に不釣り合いな巨大ホテルが立ち並んでいる。ミャンマー人ガイドは、「会議が終わったらホテルで働いている人たち、どうするんでしょうね、ハハ」と、あっけらかんと笑っていた。

 8月7日~10日にかけて開かれたASEAN関連会議では、この人工的な首都に、東南アジアはもとより、日本、中国、韓国、アメリカ、さらには北朝鮮の外務大臣たちが集まった。まさにアジア・太平洋地域のプレイヤーが一堂に会する大舞台で、テレビ朝日も、バンコク支局を中心に、東京、ソウル、北京からも記者を入れ、総力取材の形を取った。

 我々北京クルーの取材ミッションは2つ。「南シナ海問題」と「日中関係」だ。

 前者の「南シナ海問題」については、ASEAN各国を分断する、中国の巧みな外交戦術が目立った。
最も中国に敵対的なフィリピンは、南シナ海での挑発行為を「凍結」するよう独自の提言を行った。この提言に関しては、アメリカも事前に賛意を示しており、会議前には、共同声明にフィリピンの提言内容が盛り込まれるのではという観測もあった。

 しかしそこから、中国の猛烈な巻き返しが始まる。
巨額投資の効果もあり、「親中国」のラオスやカンボジアの支持を得たことはもちろん、フィリピンと共同歩調を取る恐れがあったベトナムの態度を、軟化させることに成功したのだ。

 布石はあった。中国は会議に先立ち、ベトナムとの間で火種となっていた、西沙諸島近海の石油掘削施設を撤去していた。また、フィリピンとは行わなかった個別の外相会談を、ベトナムとは行っている。
さらに、中国は今まで消極的だった、南シナ海での「行動規範」作りに、積極的に関与する姿勢も示した。背景には、中国主導でルールを作り、アメリカの介入を防ぎたい思惑もあるだろう。王毅外相は会議で「南シナ海は基本的に平穏だ」と強調し、フィリピンやアメリカを念頭に「いくつかの国が対立をあおっている」と痛烈に批判した。
そして、議長国ミャンマーや、クーデターの影響で外交基盤が不安定なタイの協力も取り付け、最終的には、フィリピンの提案を、骨抜きにすることに成功したのだ。中国は今後も、「海のシルクロード」構想や、「アジアインフラ投資銀行」など、持てるリソースを最大限に使い、ASEAN各国の取り込みと分断を進めていくだろう。

 一方、「日中関係」でも、重要な進展があった。岸田外務大臣と、王毅外相が現地時間8月9日深夜に「極秘会談」し、1時間以上も話し合ったのだ。
この日は私も、朝から王毅外相を追いかけまわしていたが、日本との接触については何度聞いても、「何も予定はない」としらを切っていた。ただ、以前の強硬なトーンはなりを潜め、「日中関係の改善を日本が本当に望むなら、いつでも会う」とまで話していた。

 また、テレビ朝日のスタッフは、「極秘会談」の前に、廊下ですれ違った岸田外務大臣と王毅外相の姿を目撃している。助手によると、岸田氏が先に手を振り、王氏が簡単な挨拶を返したということだ。
今思えば、この時すでに「極秘会談」は決まっていたのだろう。しかし警備が厳しい国際会議の会場では、自由に代表団の車を追いかけることはできない。2人は周到に別々のタイミングで会場を抜け出し、人目に付きやすい両国代表団のホテルを避けて面会した。事前に会談に気づいていたマスコミはいない。そして、宿舎に戻った岸田外務大臣が記者団の前で話して初めて、「極秘会談」が明らかとなった。

 不思議なのは、隠し通そうと思えば隠し通せた「極秘会談」を、岸田氏がわざわざマスコミに明かしたことだ。

 翌日には中国側も、「極秘会談」の事実を認めた。あくまで“非公式”に、日本の要請で“仕方なく”会ったというニュアンスたが、「極秘会談」を最後まで隠し通しはしなかったのだ。

 おそらく日中両国とも、国内世論の影響などを考慮して、マスコミの前で堂々と会うにはまだ機が熟していないと考えたのだろう。だが一方で、「大臣同士が会えないわけではない」と、段階的に関係改善をアピールする必要もあった。「極秘会談」をわざわざ明かした背景には、「微妙なさじ加減」で、日中関係を改善していく目的があるのだろう。

 ASEAN関連会議の前には、福田康夫元総理も「極秘訪中」し、習近平国家主席と会談している。ゴールはもちろん、11月に北京で開かれるAPEC首脳会議での、日中首脳会談の実現だ、日中が間合いをつめていく中で、最大の懸案事項、「島の問題」と「歴史問題」について、どういう歩み寄りができるのかが、今後の焦点となる。

 と、ここまで会議を取材して、私は北京に戻る予定だった。
ところが、バンコク支局長の一言で、事態は思わぬ展開を見せる。

 「冨坂、悪いけど、カンボジア行ってくれない」
「カ、カンボジアですか??」(次回に続く)


Noriaki Tomisaka

投稿者について

Noriaki Tomisaka: 1976年8月27日福井県生まれ(辰年、乙女座、B型) 1994年 京都大学法学部入学 1999年 テレビ朝日入社 朝のワイドショー(「スーパーモーニング」)夕方ニュース(「スーパーJチャンネル」)などのAD・ディレクターを担当 2007年〜 経済部にて記者職を担当 農林水産省、東京証券取引所、財務省などを取材 2011年9月〜 北京・中国伝媒大学にて留学生活を開始(〜2012年夏まで)