特派員のひとりごと 第22回 威信をかけたG20

2016年9月21日 / 特派員のひとりごと

(写真)マンホールにも封がされていた

 9月2日に到着した杭州の街からは、普段の賑わいが全く消えていた。マクドナルドも、ケンタッキーも、地元の食堂も、ほとんどの店が閉店している。主要道路の交差点には、警察の車両が停まり、銃を持った警官が辺りを見回している。不審者の侵入を防ぐためだろうか、マンホールまでがシールで封鎖されていた。この地で開催される重要会議、G20(=主要20か国・地域)サミットを控え、厳戒態勢が敷かれていたのだ。

「G20の期間中に旅行に行って杭州市民の身分証を見せると、全国どこの観光地でも入場料が無料らしいよ」

 真偽のほどは不明だが、現地のドライバーが教えてくれた情報だ。大気汚染を防ぐために杭州市周辺の工場は全て閉鎖され、一般のオフィスもすべて休日となった。突然の連休が与えられた市民には、旅行に行くことが「奨励」されているのだという。

 もちろん、我々マスコミも、自由に移動することはできない。ホテルに入る際には「安全検査」、移動のバスに乗る際には「安全検査」、どこへ行っても、「安全検査」…「取材じゃなくて、安全検査にきたみたいだ」というのは、各国のマスコミ共通のグチである。

「やりすぎ」なくらい気合が入っていた理由は、やはり習近平国家主席が込めた強い思いにあるだろう。

「現在の状況下で、G20は国際経済協力の場としての役割をより大きく発揮すべきだ」

 習主席は会議で何度も強調した。そもそもG20サミットは、2008年にアメリカで起きたリーマン・ショックをきっかけに創設された。未曾有の大危機に対して、先進国が手も足も出ない中、4兆元の公共投資で世界経済を支えた中国は、「救世主」としてもてはやされた。自らを「世界最大の発展途上国」と位置付ける中国は、これまでの先進7か国=G7中心の世界秩序を、作りかえることを目論んでいる。そのためにも、中国が存在感を示せるG20という場所を、G7に代わるものに、仕立てあげたい思惑があるのだろう。

 また、開催地の杭州も、習主席には思い入れの深い場所だ。習主席は40代後半から50代前半の、まさに脂の乗り切った6年間を浙江省のトップとしてこの町ですごし、中央政界で駆け上がっていくための重要なステップとした。開幕式では「この街の山も草木も、風土も人情も、知り尽くしている」と彼自身が述べている。「自らの地盤に、大イベントを誘致したい」という思いは、古今東西、どこの政治家でも同じなのだろう。

 そんな習主席の思いをみな、わかりすぎるほどわかっているから、「どうしても失敗できない」という思いばかりが強くなる。経済分野を担当するある日中関係筋は、「中国のどの官庁に行っても、G20が終わるまではほかの仕事はできないと、けんもほろろに突き返される。仕事にならないよ」とぼやいていた。

 「失敗は許されない」から、どうしても記者の管理もきつくなる。特にいうことを聞かない外国記者ならなおさらだ。今回G20に先立ってB20というビジネス界のトップを招いたフォーラムがあったのだが、そこでひと悶着があった。取材を許された記者たちが、さらに2つに選別され、外国記者らは、習主席の演説会場に入れないことが判明したのだ。その演説が目当てなのに、入れないという虚脱感…記者たちは、何時間も映画館のような場所に押し込められ、何もすることがなかった。イライラして担当者に怒りをぶつける外国記者もいたが、もちろん何も解決しない。事前の告知をより徹底すれば、このようなすれ違いは起きないのだろうが、その辺の段取りはまだ苦手なのだろう。

 会議自体は、習主席が恐れていた「南シナ海」の問題が大きく取り上げられることもなく、無難に幕を下ろした。首脳宣言は相変わらず総花的だが、G20という会議の性質上、それは仕方がないのかもしれない。むしろ首脳たちが直接会って、様々な話題について意見交換をすることが大切なのだろう。中国のマスコミは翌日から「大成功」を、大々的に宣伝している。

 ただ、私自身にとっては、残念なことがいくつかあった。一番残念だったのは、G20に合わせて実施された日中首脳会談だ。安倍総理と習主席が握手する場面の背景に、両国の国旗がなかったのだ。日本に対して仲の良いところを見せると、弱腰と見られることを恐れての、国内向けの対応なのだろうが、世界を相手にしているG20の舞台でそんなことをやるのは、あまりにも器が小さいのではないだろうか?
 また、テレビ朝日の中継の途中に、音声が乱れるという場面もあった。中国当局による妨害があったかどうかはわからないが、都合の良いところだけ見せるのではなく、ありのままの姿を見せるだけの度量の大きさを、中国当局には求めたいと思う。

「面倒くさい国ですね」

 安倍総理の同行で、東京から取材に来ていた記者がつぶやいた言葉が印象的だ。たしかに今は、「面倒くさい国」だが、少しずつでも風通しが良い国になってくれることを、願ってやまない。


Noriaki Tomisaka

投稿者について

Noriaki Tomisaka: 1976年8月27日福井県生まれ(辰年、乙女座、B型) 1994年 京都大学法学部入学 1999年 テレビ朝日入社 朝のワイドショー(「スーパーモーニング」)夕方ニュース(「スーパーJチャンネル」)などのAD・ディレクターを担当 2007年〜 経済部にて記者職を担当 農林水産省、東京証券取引所、財務省などを取材 2011年9月〜 北京・中国伝媒大学にて留学生活を開始(〜2012年夏まで)