特派員のひとりごと 第18回 突然の失脚劇

2016年8月26日 / 特派員のひとりごと

(写真)失脚直前の会見で出されたお茶

 習近平政権が発足して以降、徹底して進めているのが「反腐敗」運動だ。

 上はかつての最高指導部の面々から、下は市や村のレベルの役人まで、新聞やテレビでは、連日のように幹部たちの失脚のニュースが流れている。

 処分を受けた党員の数は、2015年だけでおよそ3万4000人。

 というわけで、たいていの失脚のニュースには驚かなくなっているのだが、移動中の車の中で知ったこのニュースには、久々に驚いた。
スマホの速報ニュースの画面には、こう書かれていたのだ。

「国家統計局長の王保安が、厳重な規律違反の疑いで、現在組織的な調査を受けている」

 なんと、失脚したのはGDP(国内総生産)などの重要統計を担当する国家統計局長で、しかも、数時間前まで、目の前にいた人物ではないか…

 突然の失脚劇の日付は1月26日だった。

 その1週間前、1月19日に王局長によって発表された2015年のGDP成長率は、6.9%と、7%を割り込み、天安門事件の影響を受けた1990年以来の低水準となった。これまで世界経済を引っ張ってきた中国の成長に「かげり」が見え始めたとして、世界各国のメディアは大きく取り上げたが、それが王局長には気に入らなかったのかもしれない。GDPを発表したわずか一週間後に、メディア向けの記者会見をもう一度開くと言ってきたのだ。

 午後3時から統計局の会議室で開かれた会見では、王局長は終始上機嫌だった。会見開始前には、メディアのテーブルを回って一人一人と握手をし、会見中は中国経済について、大演説を繰り広げた。習近平国家主席の言葉を引用し、様々な政策について語る王局長の姿をみて、「統計局長なのに、まるで首相気取りだなあ」と思ったのが、いまでも記憶に残っている。会見後も、報道陣のぶら下がり取材を気さくに受けていたが、取り巻きに促されて部屋を出て行った。その際の一言は、意味深にもこんな言葉だった。
「これから会議があるので、私はもう行きます」
失脚が発表されたのは、それからわずか2時間後のことである。

 統計局長の失脚の理由は、まだ明らかになっていない。ただし、証券会社で幹部を務めていた妻も調査を受けているというから、インサイダー取引がらみの話かもしれない。いずれにしても、ただでさえ低い中国の統計の信頼度が、また下がってしまったのは、まぎれもない事実だ。そして、自信満々だった統計局長の突然の失脚は、いみじくも、今年の中国経済の先行きを、暗示しているように思えた。何しろ、今年の中国経済は、不安要素のオンパレードなのだ。

 まずは、乱高下が続く上海の株式市場だ。去年1月に3200ポイントから始まった上海総合指数は、6月には5200ポイント近くまで上昇した。しかし、そこからは下り坂で、今年の2月5日の終値は2763ポイントと、半値近くまで値下がりしている。まさにジェットコースターだが、そんな上海の株式市場について、とある政府高官は、「実体経済を全く反映していないから、気にするだけ無駄だ」と言い放った。投資家に「株主」といった意識は希薄で、どこまでも「ばくち」感覚なのかもしれない。そんな上海市場が、世界経済を一喜一憂させるのだから、大変な時代になったものだ。

 さらに、不安定な人民元の為替レートも、中国経済の不安要素だ。去年8月に、政府が定める人民元の基準値を、市場の実態に近づける制度が導入されたが、それ以降、人民元安が大幅に進行した。そのため、大規模な元買い介入が行われたとみられ、世界一の規模を誇る中国の外貨準備高も、大幅に減少している。世界の基軸通貨の座を狙う人民元だが、その道のりは決して平たんとは言えないだろう。

 そして最も大きな不安要素が、不動産の在庫の積み上がりと、鉄鋼や石炭などの生産過剰だ。政府は過剰な生産能力の調整を進める予定で、その過程で数万人の失業者が出る可能性も指摘されている。李克強首相は「大衆による起業、大衆によるイノベーション」をスローガンに掲げ、インターネットなどを利用した新たな産業が勃興することで、それらの失業者たちを吸収できるとしている。
しかし、本当にそんなバラ色の解決策があるのだろうか?
私が去年取材した、広東省で零細工場を経営する男性は、苦しい胸の内をこう明かしてくれた。
「40を過ぎてとても新しい仕事なんてできない。先が見えなくても、この仕事をつづけていくしかない」
一つだけ言えるのは、これから中国が経験するだろう改革は、
昔の日本で流行ったキャッチコピーのように「痛みを伴う改革」になるだろうということだ。

 「みんなが貧乏」だった計画経済の時代から、「先に富める者が富む」改革開放の時代へと、中国経済は猛スピードで駆け抜けてきた。
その過程で、富める者と貧しい者の格差はどんどん開いていったが、それでも「次は自分の番」との思いが、社会に満ち溢れていた。
しかし、もうそのスピードは期待できない。統計局長は変わっても、経済の実態は何も変わらない。
2016年も、習近平政権は、難しいかじ取りを迫られ続けることになる。


Noriaki Tomisaka

投稿者について

Noriaki Tomisaka: 1976年8月27日福井県生まれ(辰年、乙女座、B型) 1994年 京都大学法学部入学 1999年 テレビ朝日入社 朝のワイドショー(「スーパーモーニング」)夕方ニュース(「スーパーJチャンネル」)などのAD・ディレクターを担当 2007年〜 経済部にて記者職を担当 農林水産省、東京証券取引所、財務省などを取材 2011年9月〜 北京・中国伝媒大学にて留学生活を開始(〜2012年夏まで)