特派員のひとりごと 第19回 揺れる「石炭の町」

2016年8月26日 / 特派員のひとりごと

(写真)山肌をくりぬいた住居

 砂煙をあげながら、舗装されていない細い山道を、10分以上は走っただろうか。我々を乗せた車は、ようやく山の上の村にたどり着いた。視界が一気に広がり、段々畑に雪がうっすら積もっている様子がはっきり見える。暖房用に石炭を燃やしているからだろう、あちこちの民家から、白い煙がもくもくと上がっている。「窑洞(ヤオトン)」と呼ばれる、山肌をくりぬいて部屋として使っている家も、たくさん見える。「茶色の世界」いや、もっと正確に言うと、「土気色(つちけいろ)の世界」車を降りた第一印象は、さしずめそんなところだろうか。

 ここは山西省呂梁(ろりょう)市。市の面積の半分以上を炭鉱が占めるという「石炭の町」だ。中国の重要なエネルギー源として、高度経済成長を支えてきた石炭だが、経済の減速とともに、業界には異変が起こっているという。我々はその異変を探るべく、春節明けの2月中旬に、この「石炭の町」を訪れた。

 車を止めた場所から、さらに徒歩で数分登ったところが、今回取材する張さんの家になる。張さんは、今年で56歳。妻と息子夫婦、2人の孫の6人で暮らしている。以前は農業で生計を立てていたが、土地は痩せており、収穫も安定しないため、4年前から炭鉱でも働き始めた。当時は景気が良く、家族を養うのに十分な、毎月5000元(約9万円)程度の収入を得られていたが、去年の後半から状況が一変した。半年近く、給料が未払いの状況が続いているというのだ。

 「石炭の値段が暴落したからだよ。以前は一トン当たり500元程度だったものが、今じゃ100数十元だ。会社もこれじゃやっていけないだろう」

 あきらめ口調で話す張さんに、奥さんが横から口を挟んだ。

 「私たちの生活は石炭に頼り切っていたのに、このままじゃ別の町に出稼ぎに行かなきゃならなくなるね」

 張さんが働いている炭鉱は破産したわけではない。張さんも解雇されたわけではなく、自宅待機の状態が続いている。大量の失業者が出ることを恐れる地方政府は、本来破たんしてもおかしくない企業を、補助金などで何とか支えてきた。いわゆる「ゾンビ企業」だ。
多くの従業員たちは、この「ゾンビ」が再び生き返ることを期待し、給料未払いにもじっと耐えている。別の炭鉱では、50歳を超える従業員の解雇が始まったという情報もあるが、張さんはまだ、再び炭鉱で働ける日が来ると信じている。

 「問題は石炭が出荷できなくて、在庫がたまることなんだ。石炭が出荷さえできれば、状況は改善されて、仕事が戻ってくる」

 しかし、張さんの言葉とは裏腹に、状況はすぐには改善しないだろうというのが、取材した実感だ。町のあちこちでは、敷地の外からでも見えるくらい、石炭の在庫の山が巨大な姿を見せている。市の中心部には建設が途中で止まったマンションが多く林立し、商業ビルのテナントは「貸し出し中」の張り紙ばかり。タクシー運転手のボヤキが、今も耳に残っている。

 「以前はたくさん出稼ぎ労働者がいて、週末は遊びに出ていたんだ。それが今は、すっかりどこかに行ってしまった」

……

 「石炭の町」の取材から1か月、北京の人民大会堂には、民族衣装も鮮やかな「代表」たちが、数千人以上勢ぞろいしてした。年に1度の政治ショー、全人代(全国人民代表大会)だ。開会式では、李克強首相が経済運営方針を読み上げるのが恒例行事となっているが、今年は、ちょっとした異変があった。

 「過剰供給となっている石炭や鉄鋼業界の構造改革を実現する!…『ゾンビ企業』を退治し、その過程で発生する失業者対策として1000億元(約1兆8000億円)を支出する!…困難と挑戦を恐れない。克服できない困難はない!…」
力強い文面とは裏腹に、李首相の顔色がさえない。テレビカメラで確認したところ、大量の汗をかいている様子も見受けられた。さらに異例なことに、演説を終えた後、座って聞いていた習近平国家主席は、李首相にねぎらいの拍手1つしなかった。そして2人は握手もせずに、そのまま大会堂を後にしたのだ。

 全人代の期間中には、ほかにも異変があった。黒竜江省の省長が、会議で「炭鉱での給与不払いは存在しない」と発言し、怒った地元の炭鉱労働者が、地元で抗議行動を起こす騒ぎとなったのだ。私も取材したことがあるが、この省長は、頭の回転も速く、出世頭と目されていた。「失言」が、彼自身の過失によるものなのか、何者かによって「仕組まれた」ものなのかはよくわからない。この後、省長は発言を撤回し、給料不払い問題にきちんと取り組むことを誓約し、表面上騒ぎは収まった。この騒ぎからも明らかなのは、「ゾンビ企業」の整理に伴う大量の失業者は、中国社会が抱える大きな不安定要因になりえるということだ。

 「石炭の町」の取材中も、盗難事件などが増えているという証言があった。李首相の言うように、中国経済は「ソフトランディング」できるのか。それとも全人代で感じた様々な異変が、何かの大きな前触れとなっているのか。注意深く見ていく必要があるだろう。


Noriaki Tomisaka

投稿者について

Noriaki Tomisaka: 1976年8月27日福井県生まれ(辰年、乙女座、B型) 1994年 京都大学法学部入学 1999年 テレビ朝日入社 朝のワイドショー(「スーパーモーニング」)夕方ニュース(「スーパーJチャンネル」)などのAD・ディレクターを担当 2007年〜 経済部にて記者職を担当 農林水産省、東京証券取引所、財務省などを取材 2011年9月〜 北京・中国伝媒大学にて留学生活を開始(〜2012年夏まで)