特派員のひとりごと第4回 民主と自由

2016年8月26日 / 特派員のひとりごと

(写真)天安門広場

 この連載を始めた際に、3月は「政治の季節」と書いた。私見だが、同様に6月は「民主の季節」といえるだろう。

 6月4日は「天安門事件」が起きた日だ。「六四」という単語は、中国では今でも公の場で言うことははばかられる。もちろん、ネットで検索しても事件の情報はほとんど出てこない。

 「民主と自由」を求めて天安門広場に学生たちが集まったのは1989年。私が13歳、中学校に進学したばかりの時だ。当時、幼いながらも中国で大変なことが起きていると感じたのを、うっすらと覚えている。新聞で、テレビ欄とスポーツ欄以外を読むようになったのは、そのころからだろうか。

 あれから25年が経った。中学生のころは想像すらしなかったが、私は中国特派員となり、当時のことを知る人たちを取材する機会に恵まれた。中国の人たちは、「政治的風波(もめ事)」と評価されている天安門事件を、もちろんおおっぴらに評価することはできない。

 ただし、当時の指導部で、「民主化」を目指そうとした、胡耀邦氏や趙紫陽氏をしのぶ声は、私が思った以上に強かった。趙紫陽氏の政策ブレーンをしていた男性は、厳しい監視の中で取材に応じてくれ「歴史にイフはないが、天安門事件がなければ、中国は今と全く違った姿になっていただろう」と、率直に答えてくれた。

 25年前と比べて、中国の民主化は進んだのだろうか?私は中国外務省の会見で、報道官に直接聞いてみた。彼らの答えは当然「イエス」だ。中国がまとめた人権白書には、全人代(日本の国会に相当)の委員の選出方法がより「民主的」になったことなど、具体的な成果が縷々述べられている。

 しかし実際には、一般人が党の後ろ盾もなしに立候補し、全人代の委員に当選することは非常に困難だ。それどころか、民主制度に不可欠な「自由」な言論については、現在の体制になって、締め付けがさらに強まっているように感じる。

 5月3日、天安門事件に関する討論会を開いたことが原因で、著名な人権派弁護士の浦志強氏ら5人が拘束された。「騒動を挑発した」という容疑だ。その日から、当局の「圧力」は目に見えて強まっていく。

 浦志強氏の弁護士や、彼を取材していた日経新聞の助手までも、次々と拘束された。毎年北京で追悼活動を行っていた「天安門の母」とよばれる遺族の一部は、北京に近づくことさえ許されなかった。

 ネット上では勇敢にも、90年代生まれの若者5人が、浦志強氏の解放を求めて写真を投稿した。もちろん、写真はすぐに削除されたが、私は彼らの行動の原動力が知りたかった。直接天安門事件を知らない彼らが、どうしてそんな行動を取ったのか?すぐには手に入らない「民主」や「自由」を求めても、かえって面倒なことが増えるだけではないのか?

 幸運にも彼らとは連絡がつき、取材の約束をすることができた。しかし、取材予定日の前日になって、突然、予期せぬショートメッセージが入ったのだ。

 「当局にお茶に誘われている。どうしたらいいだろう?」

 『お茶に誘われる』というのは、隠語で「当局に面会を求められ、余計なことをしないよう圧力を受ける」という意味だ。彼らに迷惑をかけたくはないので、我々は仕方なく取材をあきらめた。当局が取材直前に彼らを「お茶」に誘ったのは、電話が盗聴されていたからかもしれないが、確たる証拠はない。

 「民主」制度は、確かにリスキーではある。有権者が常に正しい判断をするとは限らないからだ。戦前のドイツも日本も、「民主主義」の国家だったが、大衆の支持のもと、戦争へと突入した。

 また、アメリカ流の民主主義を、他国に無理やりあてはめることがいかに難しいかは、イラクやエジプトの混乱を見れば一目瞭然だろう。中国が自らの国情にあった民主主義を段階的に目指すという方向は、理解できないこともない。

 しかし一般の人には、深刻な悩みがある。家が借りられない、物価が上がっている、大学を出ても、仕事がない。そんな悩みを、どう解決すればいいのか。上からの政策を待っているだけで、本当に自分たちの暮らしは良くなるのだろうか?

 彼らの声を政策に反映させるためにも、私は言論・表現の自由に関しては、もう少し広く認めるべきだと思っている。そうしなければ、現状に不満を持つ人たちは、「ペン」ではなく、もっと過激な手段で自分たちの要求をかなえようとするかもしれない。少なくとも、25年前の事件について討論会を開いただけで、「騒動を挑発した」とするのは、少し無理があるように思える。

 胡耀邦氏の三男である胡徳華氏は、我々の取材に対し、「中国の民主化は30年近く、何も進んでいない」と断言した。その上で、民主化に最も重要なのは、「指導者の決断」だと、力強く答えてくれた。

 今回は会えなかった90年代生まれの若者たち。しかし、いつかはきっと、コーヒーでも飲みながら、彼らと自由に話ができるようになると信じたい。


Noriaki Tomisaka

投稿者について

Noriaki Tomisaka: 1976年8月27日福井県生まれ(辰年、乙女座、B型) 1994年 京都大学法学部入学 1999年 テレビ朝日入社 朝のワイドショー(「スーパーモーニング」)夕方ニュース(「スーパーJチャンネル」)などのAD・ディレクターを担当 2007年〜 経済部にて記者職を担当 農林水産省、東京証券取引所、財務省などを取材 2011年9月〜 北京・中国伝媒大学にて留学生活を開始(〜2012年夏まで)