今月から連載をすることになりました、テレビ朝日中国総局記者の冨坂範明と申します。このコラムでは、私が中国での日々の生活や取材の中で感じたことを、「ひとりごと」として、書きたいと思っています。読者の皆さんが、中国の姿を知るお手伝いができればと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。(このコラムで述べる見解は個人の見解であり、所属するテレビ朝日の見解ではありませんので、ご理解ください)
<以下本文>
3月は中国では「政治の季節」だ。日本の国会にあたる「全人代=全国人民代表大会」と、共産党以外の政党も含めた団体、業界の代表者らが話し合う「政協=政治協商会議」と呼ばれる2つの会議が北京で開かれるからだ。この2つの会議は「両会」と言われ、委員の数は合わせて、およそ5000人に上る。各地の有力者が北京に集結してくるため、宿泊するホテルや市内の警備も厳しくなり、新聞やテレビも「両会」の関連報道一色となる。
去年の7月に赴任した私にとっては、初の「両会」取材だ。いつも前を通るだけだった、「人民大会堂」の中にも、初めて足を踏み入れた。重厚な石造りの建築物である点や、赤じゅうたんが敷かれている点などは、日本の国会議事堂と似ているが、規模はこちらの方が数倍大きいだろう。3000人近くの代表が党・政府の指導部と向かい合う様は、まさに壮観だ。
記者にとっても、「両会」は貴重な取材機会だ。「全人代」や「政協」の代表には、政治家だけではなく、IT企業の社長や、ジャッキー・チェンのような有名人も含まれる。正式に取材を申し込んで許可が下りそうもない相手でも、大会堂から出てくるところを直撃することができるのだ。また、それぞれの省が開く「分科会」の一部は、記者にも開放され、質疑応答の機会も設けられている。記者たちは千載一遇の機会を逃すまいと、司会者から一番目立つ場所で、競って手を挙げるのだが、この記者会見が実は曲者だ。
実は中国のメディアは、大きく2種類に分けられる。「新華社通信」や「人民日報」、「CCTV(中国中央テレビ)」と言った、“官製”メディアと、「南方週末」など、独自の報道を重んじる“その他”のメディアだ。そして、“官製”メディアは、読者や視聴者に向かい合う一方で「党」や「政府」とも向かい合っている。わかりやすく言えば、「報道機関」である一方で「宣伝機関」でもあるのだ。
地方から出てきて記者会見を開くリーダーとしては、余計な質問が飛んできて、面倒な事態になることを避けたい。かといって、分科会を記者に開放しないと、閉鎖的だと批判を受ける。そこで彼らがよく使う手は、“官製”メディアと談合して、あらかじめ質問する記者と内容を決めておくというものだ。
当然、質問は「今年の目標は何ですか?」と言った、生ぬるいものとなり、答えるほうはあらかじめ用意してある解答を長々と答え始める。そのたびに、ほかの記者からは失望と怒りのため息が漏れるのだが、質問した“官製”メディアの記者は涼しい顔だ。ひどい記者になると、まだ会見が続いているのに、自分が質問を終えるといなくなってしまうこともある。それでも、ほかの記者は必死で手を挙げつづける。司会者が間違えて自分を当ててしまう「万が一」の可能性に望みをかけて…
しかし時は無情に過ぎていく。たいていの場合はそのまま時間切れとなるのだが、私が取材していた四川省の会見では、ちょっとした異変があった。会見を打ち切ろうとした司会者に対して、当てられていない記者たちが大声で質問を浴びせかけたのだ。
「反腐敗の問題を話してくれ!」「腐敗問題について一言!」
これには伏線がある。実は四川省は、去年から今年にかけて、党や政府の高官が相次いで腐敗問題で失脚しており、その背景にはかつての共産党最高指導部の一人、周永康氏の汚職問題が関わっているとされる。四川省の分科会に詰めかけた内外メディアの記者たちは、汚職問題についての見解を聞こうと、待ち構えていたのだ。
記者たちの怒声にも似た叫びを聞いた四川省トップは少し考えた後、立ち去ろうとして浮かした腰を椅子に戻した。そして、おもむろに答え始めたのだ。
「多くの高官が調査されているが、それは四川省を代表するわけではない。四川省は反腐敗の旗を高く掲げる」
やりとりとしてはわずか2分くらいで、無難な答えだったが、それでも四川省のトップが記者たちの叫びに耳を傾け、向かい合ったことを、その場の記者たちは評価していた。
私は日本でも政治家を取材した経験があるが、政治家へのアクセスは、中国よりもずっと簡単だ。国会の廊下でぶら下がることもできるし、許可を得て議員会館の部屋にお邪魔することもできる。一年生記者が総理や官房長官に質問をすることだって可能だ。しかし中国はこの「政治の季節」を逃すと、政治家へのアクセスが非常に難しくなる。だからこそ、彼らは必死でネタを捜し、政治家たちを追いかけ、会見で手を挙げ続けるのだろう。
もちろん、“官製”メディアの中にも、自分のテーマを真剣に追いかけ続ける優秀な記者もいる。“官製”メディアの在り方に疑問を感じて、辞めた記者もいる。
今回の「両会」が開かれている最中に、中国人100人以上が乗ったマレーシア機が突然連絡を絶った。乗客の家族が滞在するホテルには、「両会」の記者証を胸に着けたままの記者が多数詰めかけた。ホテルのロビーに座って仮眠をとり、乗客の無事を祈りながら取材を続ける記者の間には、“官製”や“その他”といった区別はない。結局は「正確な情報」を「より速く」伝えることが、何よりも大切なことなのだろう。私もホテルのロビーに座りながら、そんなことを考えていた。
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Noriaki Tomisaka: 1976年8月27日福井県生まれ(辰年、乙女座、B型) 1994年 京都大学法学部入学 1999年 テレビ朝日入社 朝のワイドショー(「スーパーモーニング」)夕方ニュース(「スーパーJチャンネル」)などのAD・ディレクターを担当 2007年〜 経済部にて記者職を担当 農林水産省、東京証券取引所、財務省などを取材 2011年9月〜 北京・中国伝媒大学にて留学生活を開始(〜2012年夏まで)