第5回 冬休み旅行記Ⅱ(山西省)

(写真)山西省の結婚式

 極寒の東北で「新年」を迎えた私は、次の目的地を中国中西部(陝西省・山西省)に定めた。両方とも大学で知り合った友達の実家がある場所だ。旅の楽しみは何と言っても食べること、ということで、今回は食べ物の話題を中心に筆を進めることとしたい。
 
 まず訪れた陝西省・西安は日本でも有名な「唐の長安」だった場所。街の周りをぐるりと城壁が囲み、中心に鼓楼と钟楼が聳えるなど、北京とは違った趣だ。西安料理では、乾いた饼をちぎったあとに羊のスープに浸して食べる「羊肉泡馍」という料理が有名だ。この料理を紹介してくれた友人は「これは自分の手でちぎって食べるからうまいんだ」と力説していた。確かに、面倒な作業を終えて食べることで、食事の喜びが増すのかもしれない。日本人が蟹を食べるときと、似たような感覚だろうか?そんな西安での食べ物の一番の思い出は、イスラム街で「柿子饼」という小吃に出会ったこと。簡単に言うと干し柿の中に甘い餡を詰めて揚げた食べ物で、出来立ては甘くて、暖かくて、香ばしくて、『滋味あふれる』という表現がピッタリ。目下のところ、私の中での「キング・オブ・小吃」だ。
 
 西安の次に訪れたのは山西省の祁县(チーシェン)という古い街だ。隣にある平遥(ピンヤオ)古城の街並みは世界遺産に登録されて有名だが、実は祁县も負けず劣らず昔の雰囲気を残している。「観光」色が強い平遥よりも、「生活」の匂いがする祁县のほうが、私は好きだ。
 
 そんな山西省の人たちの一番の食へのこだわりは、とにかく麺が好きなこと。日本でも有名な刀削面を始め、米粒のように丸めた麺や、キャベツやじゃがいもになすりつけて茹でる麺など、とにかく様々な種類の麺料理が存在している。聞くと、一帯は土地があまり豊かではなく、米もあまり取れないので、必要に迫られて、麺食文化を発展させたということだ。
 
 これは山西省に限ったことではないのだが、中国では麺は「自家製麺」が基本だ。飲食店はもちろん、普通の人の家でも、麺料理を作る時は小麦粉をこねるところから始める。そのあとは、もんで、ひねって、ねかして、ちぎって、切って(削って)、麺を作る。なので、買ってきた麺を茹でるだけの日本の麺料理と比べて、圧倒的に美味しく感じる。うまくいえないが、作る人の「体温」を感じることが出来るのだ。
 
 祁县でも農村出身の友達の実家に泊めてもらったのだが、果物で最も印象に残ったのは特産のナツメだ。日本にいた時はナツメをあまり食べたことがなかったが、新鮮なナツメをお酒につけた「醉枣」は格別の味わいだ。ただ酒に弱い私にとっては、あまり食べ過ぎると酔ってしまうのが難点だが…
 
 さらに彼の村では、農村の結婚式にも参加させてもらった。ほとんど全ての村人が来るということで、参加者の数は200人をゆうに超えていた。テーブルには次から次へと、数え切れないほどの料理が運ばれてくる。味付けはどれも素朴で、素材の味を生かしたものが多い。私も参加させてもらったが、おいしいものを食べている時の笑顔は万国共通だ。きっと何代にもわたって、同じご馳走をつついて新郎新婦を祝福することで、村の連帯感を紡いできたのだろう。ただ、若者がどんどん都市へと出ていく流れがある中で、彼らの子供の世代が同じように村で結婚式を挙げられるかは、まだ誰もわからない。
 
 最近、中国で大ヒットしたドキュメンタリー番組「舌尖上的中国(舌の上の中国)」も、山西省の麺食をとりあげていた。中国ではかつて、「こんにちは」の代わりに「吃饭了吗?」=(ご飯食べた?)と言うのが共通の挨拶だったというのは、有名な話だ。基本的に、中国人は食べることが大好きなのだ。ただ最近は、ドブ油や毒粉ミルクなど、食品安全の話題が次々と報道されて、彼らは自分の国の食べ物に自信をなくしている。美食番組の大ヒットは、その不安の裏返しともとれるだろう。
 
 危険な食品を作る人達は自分の利益を優先する余り、顧客の安全を軽視してしまった。「資本主義」の基本はもちろん利潤を求めることだが、やっていいことと悪いことがあるのは当然だ。「社会主義」の中に「資本主義」を急速に組み込んだ中国の矛盾が、食品安全の場面でもかいま見える気がすると言ったら、言い過ぎだろうか?


Noriaki Tomisaka

投稿者について

Noriaki Tomisaka: 1976年8月27日福井県生まれ(辰年、乙女座、B型) 1994年 京都大学法学部入学 1999年 テレビ朝日入社 朝のワイドショー(「スーパーモーニング」)夕方ニュース(「スーパーJチャンネル」)などのAD・ディレクターを担当 2007年〜 経済部にて記者職を担当 農林水産省、東京証券取引所、財務省などを取材 2011年9月〜 北京・中国伝媒大学にて留学生活を開始(〜2012年夏まで)