第2回 北京は世界の入り口だった

2016年8月23日 / ロンロン&インリ



(写真)今年も4月23日から草場地・春の写真祭が開幕する。世界から現代写真の第一線のアーティストが集う


 2001年4月、ふたりは入籍。インリは北京に渡った。

2001年の中国における現代アートを巡る状況はというと、ちょうど現代アートが社会に向かって開かれ始めた時期です。でも、写真家や現代写真の位置づけはまだほとんどないに等しいものでした。アーティストたちの間では写真がアートであるという認識はなかったので、ロンロンは立場的には苦しいところにいました。
 彼自身はアーティストとして高い志を持ち、当然のことながら、写真による自らの表現を芸術だと思っていました。でも、まわりの友だちやアーティストは、ロンロンの作品を資料的なドキュメントとしての「写真」というふうにしか認識していなかったんです。そんな状況で自分の立場や足場をどう固め、どういうふうに展開していくか、ビジョンは明確には見えていませんでした。もちろん表現者として未来への希望はありましたが、環境はそれほど恵まれてはいなかったと思います。
 それでも、状況は前へと動いていました。国外で中国の現代アートに注目した展覧会が増えてきて、写真の作品が大規模な現代アート展で展示される機会も少しずつ出てきていました。でも、自己表現として撮った彼の作品そのものではなく、被写体としてのアーティストの展覧会と取り違えられることもありました。
 ロンロンの写真が入り口となっているのに、最終的にはそこに写っているアーティストの方に展覧会の招聘の話がいくといったことが多かったんです。それには彼も「なぜなんだ」という思いがあったと思います。
 ただ、私たちにとってよかったのは、私が来たことで、一旦彼はアーティストの群れから離れたんです。

 ふたりはロンロン&インリとして創作活動を開始したーー。
 私が北京に行った頃、前衛のアーティストたちはいつも行動をともにしていて、ロンロンもそうでした。それが、ふたりで写真のことだけを考え作品本位で製作をし始めたので、つまらなくなった彼の友人たちはだんだん彼から離れていきました。おかげで私たちは作品に集中することができました。
 ひとつの被写体について、最初は私が撮って次に彼がというふうに撮影をしていくうちに、私たちはふたりで同じカメラを使うようになりました。
 撮影場所に行くと、「ここで撮りたい」と思う場所がふたりともだいたい同じなんです。そのうち自然にふたりで見つけた世界にふたりで入っていこうということになりました。そして、カメラだけを置き去りにして走ったり、リモコンで操作したりして、自然の中に自分たちが写り込んでいくようになったんです。それは実験的な試みでした。
 こうしてふたりのスタイルを生み出すまでのジャンプはあっという間でした。さまざまな写真を撮ることで、自分たちのスタイルを確立していったんです。
 彼は、自分も含めた「ふたり」を撮るという手法の作品を既に発表していました。私たちが出会う以前の彼の作品に、ウエディングドレス姿の女性の被写体とともに裸の彼が写り込んだ『Wedding Gown』シリーズがあります。初めてそれをみた時に、強い印象がありました。
 あのシリーズは、彼が自ら演出する彼自身のドラマです。一方で、私たちがふたりで写り込んでいく手法は、それとはまた全然違います。特に『富士山』や『大自然』といった「自然」のシリーズは、まず風景があってその中に入り込んでいきます。入り込んでいく先は風景であって、自分たちの世界ではない。風景が受け入れてくれないと自分たちの写真が成り立たない。

 この頃の作品『富士山』や『大自然』は、のちに海外で高い評価を受けることになる。『富士山』はスイスを拠点とする現代アートのコレクター・ユーレンス夫妻のコレクションに加わった。
『富士山』は、富士山を背景に雪一色の湖が広がり、その中に裸で駆けていくふたりの後ろ姿。『大自然』は、敦煌の大自然を背景にふたりが重なる。静けさと躍動感がひとつの作品の中に共存する。


 かなりギリギリのところまで行くので、いつカメラに撮られているのか私たち自身もわからない。シャッターチャンスはカメラに委ねていました。
 シャッターチャンスに加えて「気」も合った時に初めていい作品が生まれるのです。「気」が乱れると、「ああ惜しかった、これが入っていれば……」ということがあるんですが、「自然」のシリーズはそれらが「気」が合ったときに生まれた作品が多いんです。
 山で作品を撮ったあるときも、登る前からずっと雨だったのに、山頂についたら急に厚い雲が割れて雨が止み、光が射し込んだのです。
「今、撮ろう」
 と、すぐにふたりで撮影を開始しました。撮り終わるとまたすぐ太陽が雲に覆われ光が遮られて、一気に暗くなってしまったんです。
 そういう奇跡のような出来事が何度かありました。

 一方、この年、ニューヨークでもロンロンの展覧会が企画された。同時にふたりはオーストリアのレジデンスをベースに3ヶ月かけてヨーロッパを旅する。欧米の現代アート界の視線を惹きつけるのに、そう時間はかからなかった。


Inri

投稿者について

Inri: アーティスト 北京在住 1973 神奈川県生まれ 1994 日本写真芸術専門学校卒業 1994-97 朝日新聞社出版社写真部委託勤務 1997 フリーランスとなり自主作品制作に専念 2000 榮榮と共作開始 2001 オーストリア連邦政府のレジデンスプログラムに参加 2006 北京に三影堂撮影芸術中心を創設