第7回 2002年、北京での初個展「変容ー榮榮&映里の映像世界 1993-2003」(後編)

2016年8月23日 / ロンロン&インリ



(写真)Tui-Transfiguration. The Image world of RongRong & inure 提供:三影堂撮影芸術中心


2002年8月、翌月に展覧会を開くと決めたふたりは資金を捻出するために、世界的コレクター・ユーレンス夫妻に『富士山』シリーズの買い上げを打診したーー。

作品の値段を決めていなかったので、とりあえず「展覧会に必用な経費が30万元だ」と答えました。それから数日後、当時ユーレンス基金の中国代表であった費大為(フェイ・ダーウェイ)さんから返事がありました。夫妻が了承したと。
 なんとか崖っぷちで踏みとどまることができたことに、大変感謝しました。
 大詰めに入った展覧会の準備が、連日徹夜で行われました。

展覧会の準備は恐ろしいペースで進められ、開幕前に作品の大半はなんとか展示が終わった。しかし、全長30メートルに及ぶ富士山のシリーズは最後の最後まで届かなかった。

開幕当日の9月18日午後。
 閉ざした門の外には開幕を待つ人達がすでに集まっていました。
 5時半の開幕までもう間がないという時になって、会場に2台の大型トラックが横づけされ、中から20名近い労働者が一気に降りてきました。その中に『富士山』の大型ライトボックスのフレームを制作してくれた会社の社長がいました。彼は、
「遅くなってすまない」
 と言いました。私たちは、
「間に合ってくれてありがとう」
 と、ほとんど泣き声に近い声で答え、すぐに最後の作品の取り付けにかかりました。この作品は、規格外の大型サイズのライトボックスに更に大きな木枠をつけた仕様で、一点約200kg。それを15メートルの高さの天井から16点吊るすのに、1時間弱。さすがの人海戦術を目の当たりに見ました。



(写真)Tui-Transfiguration. The Image world of RongRong & inri 提供:三影堂撮影芸術中心


作品の設置がようやく終わった。2500平方メートル大空間。元工場という荒涼とした独特の空気感。そこに、ふたりが出会う前のそれぞれの時代の作品を対比させ、そして2000年以降開始したふたりの共作シリーズへの流れをまとめた200点近い作品が、ダイナミックに展示された。
同時に外で開幕を待つ人たちを中へ迎え入れた時、すでに予定より30分以上遅れていた。


 まず建物の中心部に無理矢理こじ開けたような小さな入り口を抜けると、突然広がる大空間に、みんながあっけにとられました。作品は地面に埋められた2メートル40センチあるガラスを壁に楕円の流れに展開する、ふたりが出会う以前の作品『東村』『MAXIMAX』『1999 東京』『Gray Zone』の4シリーズ。さらに、天井から吊るされたロンロンの『廃墟』のシリーズ、『富士山』のシリーズ。
 そして、傍らにつづくそれぞれのセルフポートレイトのシリーズなど、どこからどういう流れで見るかで作品との関わりが変わってきます。観客が作品の世界に入り込んで体感してくれていることがよくわかりました。
 代理のギャラリーも入らず、入ったお金は全て費用と消えて、友達からはこんなことをして本当にクレイジーだと言われましたが、多くの来客の反応をみて私たちはとても満足でした。 
 当時の現代アートを巡る状況はというと、海外では「中国」を主題とした大規模な展覧会がたくさん企画されていました。
 ロンロンの場合も、まず海外で作品が認められ、海外の展覧会に出品するようになりました。というのも、ロンロンが90年代に撮った『東村』シリーズは、当時国内での展示や発表は不可能と言われていたのです。海外の展覧会に出品する機会を通して、彼の作品をコレクションしてくれる美術館や個人コレクターも、少しずつ増えていきました。
 その頃の中国現代アートの表現は、主体は絵画でした。写真表現は少なく、写真家として芸術活動をしている人は、ロンロンのほかに数人しかいませんでした。写真芸術への関心や理解がない中、彼らはそれでもあきらめずになんとか自分たちの道を切り拓こうとしていました。

この時、だれもまだ取り組んでいなかった大規模な個展の開催に踏み切ったのは、徐々に、だが確実に現代アートを取り巻く状況が変化していることを敏感に察知したふたりの、アーティストとしての表現のあり方への挑戦だった。


(写真)Tui-Transfiguration. The Image world of RongRong & inri 提供:三影堂撮影芸術中心

 そのような困難な状況を乗り越え、現在では現代写真に対する認識度は高まりつつあります。
時代の流れも影響し、足場も価値観も定まらなかった写真芸術が「中国の現代アート」として、まず海外で展示される機会を得ました。そしてもともと中国の作家たちが持っていた飛躍的な感性から独特の表現へ発展した作品が、現代アートとして認められ、それが国内に逆輸入されてきたような感じですね。
 9年経った今でも、三影堂を訪れるゲストであの展覧会の印象を語ってくれる人がいることに驚きます。作品や、それを展示する機会さえも大量に消費される時代となっても、印象深い展覧会として覚えてくれていること自体が奇跡です。でも彼らの多くは当時私たちのことを知らなかったと思います。今になって「あの時、実は僕も展覧会を見に行ったんだよ」などと言われることがあります。Sアルル国際写真フェスティバルのディレクター、フォンソワもそのひとりでした。

展覧会以後、この場所に注目する人達が増え、その後この旧工場は、798芸術地区を代表する芸術空間『ユーレンス現代美術センター』となった。

 これからもあの場所は798の行方をにぎるキーポイントであり続けるでしょうね。



(写真)Tui-Transfiguration. The Image world of RongRong & inri 提供:三影堂撮影芸術中心




Inri

投稿者について

Inri: アーティスト 北京在住 1973 神奈川県生まれ 1994 日本写真芸術専門学校卒業 1994-97 朝日新聞社出版社写真部委託勤務 1997 フリーランスとなり自主作品制作に専念 2000 榮榮と共作開始 2001 オーストリア連邦政府のレジデンスプログラムに参加 2006 北京に三影堂撮影芸術中心を創設