第9回 家と家族(後編)

2016年8月23日 / ロンロン&インリ



(写真)ロンロンの故郷の農村にある土楼


日本の典型的な核家族に育ったインリ。さらに、性格的にかなり繊細な面があるインリが大勢の他人を受け入れていけるようになるまでに、どうやって自分を開いていったのかーー。

たとえば、甥っ子がなぜ彼のところに居候するのかという根本的な問題をたどると、ひとつの流れがありました。ロンロンも、昔親戚の家に世話になっていた時期があったようです。中国では思春期の男の子にとっておじさんは父親以上に重要な存在だということがわかってきました。農村の子どもたちは、手に負えない思春期にそうやって親戚の家に出されるのです。よその家で他人の世話になりながら、親戚の眼の届く範囲で自立の道を探していくプロセスは彼らにとって必要な成長過程なのです。

 考えてみれば私が子どもの頃も、うちに親戚のお兄ちゃんがしばらく住んでいたことがありました。子どもだったのであまり気にしていませんでしたが、日本も昔はそういった相互的な親戚関係がありましたね。

 昔から親戚同士で助け合いながら子どもの問題を乗り越えてきたという流れを知ってからは「ああ、今もその未来に向けての過程のひとつで、この子がいいとか悪いとかいう問題じゃなくて関係なんだ」と思うようになりました。

 仏教の教えで『現在の積徳は次の次の世代の為に成る』ということばがあります。物事のつながりというのはつまりそういうことなんだと少しずつ理解していったんだと思います。

 実際には、それぞれに問題や理由があって来ているわけで、来ることによってこちらとも何らかの縁が生まれるのですからそれを互いにどう良い方向に生かしていくかを考えていくしかありません。人が来たら来たで私たちの生活にも当然影響は出てきますが、他者との関係なくして生活もありませんし。

 私はいろんなものを受け入れやすい体質なんだと思います。その意味で、こちらの大家族の習慣はむしろ私には合っていると思えるようになってきました。特に子どもが生まれたてからは、仕事をしながら子どもを育てることの厳しさは、家族のサポートなしには乗り越えられませんから。私の母も毎年、春の写真祭の前になると日本から2ヶ月ほど手伝いに来てくれるようになりました。三人のわんぱく少年相手に奮闘する母の姿を横目に私は仕事ばかりになってるんですけど、そういった協力があってこそ、今自分が好きなことをしていられるので、身にしみて感謝しています。



(写真)土楼に住む人々


どこまでを家族にカウントするのか。「家族」の定義が中国のスケールはとにかく大きい。

 例えば同じ名字や同郷の人に対して親近感がある、それは中国人の特徴ではないでしょうか。彼が友達と名字の話をしていたときは驚きました。始祖のところまで遡っていましたからね。友達も同じように始祖の話をしていました。私に話が振られたとき、私は自分の父親の父親の……くらいまでしかわからず恥ずかしかったです。

取り壊される直前の「六里屯の家」を撮った時、ロンロンとインリはあの家との関係性を確認した。そして、そこから彼らは作品の主題を、自分たちの生活におき展開を始めた。インリがロンロンの家族のあり方に人間関係の原点を見いだし、関係について多面的なつながりを受け入れられるようになったことが、ひとつの伏線となっているのかもしれない。

 こちらの友達から「もうこの人も半分中国人だから」と言われたときには 、嬉しい半分、考えさせられるところもありました。海外で暮らすようになって、日本という国や日本人であることを改めて認識するようになりましたから。

 日本人として同時に中国人の大家族の中に存在するということは、私という個人を考えることにもつながっています。日本人の私と中国人のロンロンとの間に生まれた3人の子どもたちが、この中国で大家族に囲まれながらアイデンティティが確立していく過程を見ていくことで、また新たな発見があるかもしれません。

 先日写真祭の一環として開催した東日本を支援するチャリティイベント『愛と希望』には、ドイツ大使が共感を寄せてくださいました。ドイツ大使は私たちがこの活動を発起したときに「私は日本人。私たちはみんな日本人です。そう思って私はこの活動を全面的に支持します」と言って下さいました。それ以上の言葉はないだろうと思いました。本当に感激しました。

 表現において、個人と他者、家族、そして社会など、個人を取り巻く社会との距離感や関係性は作品から自ずと滲み出てきます。日本とは異なる家族観の中に暮らしたことが幸いして、家族が私にとって重要なテーマとなりました。ドイツ大使のこの言葉は、日本を支えるメッセージであると同時に究極の家族観として私の心にずっしりと重く響きました。


Inri

投稿者について

Inri: アーティスト 北京在住 1973 神奈川県生まれ 1994 日本写真芸術専門学校卒業 1994-97 朝日新聞社出版社写真部委託勤務 1997 フリーランスとなり自主作品制作に専念 2000 榮榮と共作開始 2001 オーストリア連邦政府のレジデンスプログラムに参加 2006 北京に三影堂撮影芸術中心を創設