第1回 你好、中国!

2016年8月21日 / 36歳テレビマン留学記

 


(写真)夜になると大学の回りには屋台が立ち並ぶ

 2011年9月1日正午、私を乗せた飛行機は北京空港に降り立った。天気は快晴。これから一年間の中国生活、一体何が待ち受けているのか?期待と不安が入り混じった心境で、入国審査を済ませた私を、大学の先生が迎えてくれた。聞くと、彼は私と同じ36歳だということだ。

 「北京は秋が一番いい季節だよ。でも秋はとても短い。暑い夏が終わると、すぐに寒い冬が来る」簡単な挨拶と自己紹介を済ませ、私たちは車に乗り込んだ。そこで開口一番、彼が発した言葉が、今でも強く印象に残っている。

 「日本の総理は今誰だっけ?どうして毎年総理が変わるんだ?」

 折しも前日、国会で野田佳彦総理が選出されたばかりだった。野田総理は、私が記者として担当したこともあったので、彼の人となりについて、先生に教えてあげることができた。しかし、「どうして首相が毎年変わるのか?」という素朴な質問については、すぐに答えることが出来なかった。そこで私は、逆に先生に聞いてみた。「どうして中国のリーダーはずっと変わらないんですか?」先生は本気か冗談かわからない口調でこういった「それはとても優秀だからだよ」

 なるほど、13億人から選ばれているリーダーだから、やはり優秀なのか。でもどうやって選んでいるんだっけ?それとも、彼は冗談を言っていて、私は笑ったほうがいいのだろうか?
そんなことを考えているうちに、車は大学へとたどり着いていた。
大学についてからの手続きはまさに「中国式」の連続だった。聞くと、本来入れるはずの部屋がまだ工事中で、部屋がないのだという。じゃあどこに住むのか?授業はいつから始まるのか?授業までに何をすればいいのか?慣れない中国語でどんどん要求しなければ、事は何も運ばない。「待っていては駄目」というのが、中国に到着してまず得た教訓だ。
翌日行われた身体検査でも、トラブル発生。ビザを取るために預けたパスポートが、何日待っても帰ってこないのだ。挙句の果てには「本当に預けたのか」とこちらが疑われる始末…。結局、大学の先生にも協力してもらい、何度も当局に足を運んで、ようやくパスポートを取り戻すことができた。でも、担当者が「对不起(すみません)」と謝ってくれることはまず無い。やれやれ、なんだか疲れるなあ〜。

 そんな私を癒してくれたのは、実は中国の屋台だった。祭りの縁日くらいしか屋台が出ない日本と違って、大学の西側には毎日屋台が何台も並び、非常に賑やかだ。しかも、とても安くて美味しい。「羊肉串」(羊の串焼き)「糖葫芦」(あんず飴)「臭豆腐」(その名の通り臭い豆腐。でもうまい)などなどが、私のお気に入りだ。中国の人たちと道端に座って屋台で買った食べ物を食べているときが、私にとっての至福の時間だ。そういえば、買い食いなんて、しばらくしていなかった。

 こうして北京をぶらぶらする中で、私はまたあることに気がついた。物の値段の感覚が日本とぜんぜん違うのだ。屋台の食べ物はだいたい5元程度(70円程度)、地下鉄は2元(30円程度)で乗り放題、でも最新のiPhoneは平気で6000元(8万円以上!)くらいする。そして、屋台で買い食いをしている人たちの中も、平気でiPhoneを操作している人がいる。ものすごい勢いの経済成長は、明らかな貧富の差を生み出した。だから彼らは、お金についてはとても敏感だ。仲良くなれば、お互いの給料を聞くことも、別におかしいことではない。後から知ったことだが、一旗揚げるために北京に来る若者たちを「北漂(ベイピャオ)」というのだという。北京の街全体を覆っている活気の正体は、実は「漂流している」彼ら一人一人が発している「焦り」のオーラなのかもしれない。

 こうして私の留学生活は始まった。もちろん、中国の人も日本の人も千差万別、一括りにして話すことはできない。だからこの連載では、私が実際に出会って、話した人との思い出を中心に書きたいと思う。そこから皆さんが、日中の相互理解に役立つ何かを見つけてくれれば幸いだ。

 ところで最後に、皆さんに聞きたいことがあります。どうして日本の総理は、毎年変わるんですか(笑)?

 


Noriaki Tomisaka

投稿者について

Noriaki Tomisaka: 1976年8月27日福井県生まれ(辰年、乙女座、B型) 1994年 京都大学法学部入学 1999年 テレビ朝日入社 朝のワイドショー(「スーパーモーニング」)夕方ニュース(「スーパーJチャンネル」)などのAD・ディレクターを担当 2007年〜 経済部にて記者職を担当 農林水産省、東京証券取引所、財務省などを取材 2011年9月〜 北京・中国伝媒大学にて留学生活を開始(〜2012年夏まで)