中国の冬休みは日本よりずっと長い。「春節」(旧正月)を挟んで2カ月近く続く。
そんな冬休みをどう過ごすか悩んでいた私に、声をかけてくれたのが、吉林省出身の社会人Bさんだった。「中国の新年に興味があるだろう、だったらうちで一週間くらい過ごせば良いよ!」彼は実家に私を誘ってくれた。しかし私は、即答を避けた。理由は単純、「とっても寒そう」だから…Bさんは私の悩みを見透かしたように、こう続けてきた。「大丈夫、家の中はあったかいから」。帰ってきたのは、なんともシンプルな答え。そうとなれば、行かざるを得ない。
北京から長春へは、高速鉄道が整備されている。長春からローカル線を乗り継いで、彼の村の一番近くの駅へ。さらにタクシーで、「満州」の広大な大地を1時間半ほど走り、ようやく彼の村に到着した。
「ようこそ、日本人の友達!」彼の家は、家族総出で私を迎えてくれた。彼は4人兄弟、お姉さんが3人で、彼が末っ子だ。一人っ子政策の中国だが、農村ではお金を納めれば、2人以上産むことも可能だという。3人のお姉さんはみんな結婚していて、子供がいる。他の親戚も勢ぞろいして、賑やかな団欒がすでに始まっていた。
彼らの春節のお祝いの仕方は、「シンプル」かつ「賑やか」だ。春節2、3日前には「対聯」といって、家族の幸せを願った紙を門に貼る。家の中には福の神の絵が飾ってあり、「お金儲け」を素直に願っているのが特徴的だ。大晦日の夜には手作りの餃子を食べる。さらに、年越しの瞬間は爆竹を鳴らし、花火を飛ばす。村には街灯も少なく、真っ暗な中を爆竹や爆竹が飛び交い、ある意味危険だが、皆楽しそうだ。そして年が明けた後はひたすら瓜の種やみかんを食べながら、麻雀、将棋、トランプだ。
東北の人はお酒が非常に好きなのが特徴で(「愛している」といっても、過言ではない…)、朝から白酒を飲んでいる。それもなぜか灯油のポリタンクのような特大容器からそのまま注いで飲んでいる。彼らの白酒は、アルコール度が60度くらいある。私は酒が弱いので、食事のたびに酔ってしまい、そのままダウンしてしまうことが多かった。そして目が覚めると次の食事、懲りずに酒を勧められ、またダウン。そしてまた…
心配していた寒さだが、家の中は本当に暖かかった。「炕(かん)」という、韓国のオンドルのような床暖房が整備されているので、体感温度は30度くらい。むしろ大変なのは、寒さではなく「温度差」だ。家の外はマイナス30度の世界で、自分の吐いた息が髪の毛の上で凍る。じゃあ外に出なければいい思うだろうが、そうも行かない。村にはまだ下水道が整備されておらず、「トイレ」に行くためには、家の外の小屋に行く必要がある。また、水は大変貴重で、お風呂はもちろん、シャワーもない。洗面器一杯の水を大切に使い、足と顔を洗って、歯磨きをする。都会の生活に慣れた身には大変だが、彼らの暮らしは決して不潔ではない。むしろ、とてもシンプルで、清潔な印象を受けた。
夕食の後はいつも、Bさんのお父さんや村の人達と話をした。彼らの村に外国人が来ることはほとんどなく、多くの村人が「見物」にやってくる。一帯はかつての「満州国」なので、日本人に対する感情も複雑だ。日本に対する批判ももちろん言われたが、暖かく歓迎してくれた人のほうが圧倒的に多かった。そして、村の人たちは悩みも色々と打ち明けてくれた。
一番多かったのは、農村と都市の格差に対する悩みだ。彼らが汗水垂らして1年間で稼ぐお金は、北京のマンションの1平方メートル当たりの値段にも満たない。村で過ごす分には問題はないが、北京で家を買うことは到底無理。農村でも暮らしは良くなっている。でも都会と比べると、どんどん置いていかれているという不安感が、特に若者に強いことが印象的だった。
旧正月を過ぎても、Bさんは北京に戻らなかった。お父さんの勧めに従い、吉林に帰ることを決めたのだ。ただBさんは、北京で働くことを諦めていない。私と話すたびに、農村はとても「退屈」だと愚痴をこぼしている。
以前も書いたが、北京には、かつてのBさんのように、農村から出てきた「北漂(ベイピャオ)」と呼ばれる若者たちが多く存在する。彼らにとっての「幸せ」は、どこにあるのだろうか。彼らはいつまで「漂流」すればいいのだろうか。
Noriaki Tomisaka: 1976年8月27日福井県生まれ(辰年、乙女座、B型) 1994年 京都大学法学部入学 1999年 テレビ朝日入社 朝のワイドショー(「スーパーモーニング」)夕方ニュース(「スーパーJチャンネル」)などのAD・ディレクターを担当 2007年〜 経済部にて記者職を担当 農林水産省、東京証券取引所、財務省などを取材 2011年9月〜 北京・中国伝媒大学にて留学生活を開始(〜2012年夏まで)