<総集編>【後編】変わり続けることこそ豊かな人生
− 立ち止まるMBAという時間 −

<筆者プロフィール>

大山廣貴:
1986年東京生まれ。私立武蔵高校、早稲田大学理工学部卒。大学在学中は体育会ラクロス部に所属。 2010年株式会社商船三井入社。関連会社出向、本社経営企画部を経て2016年8月より、上海にあるChina Europe International Business School (CEIBS)に現在会社からの派遣でMBA留学中。

ブログ: CEIBS MBA日記 (http://ceibs2018.hatenablog.com)

<総集編>(後編)変わり続けることこそ豊かな人生 − 立ち止まるMBAという時間 −

人生の充実をゴールに

BillionBeatsのこの連載を引き受けたことで、数多くの同級生をインタビューする機会を得ました。連載を通して思ったことは大きく3つあります。

1つめは、同級生たちは立ち止まる重要性を知っているということ。彼らはキャリアを一時中断して、別の環境に身を置くことをとても重要だと思っています。その期間に新しい視点を得て新しい価値観に触れることで、最終的に人生自体が豊かになると感じているからです。例えば、このインタビューシリーズでも、会社を辞めて、1年間の世界1周旅行に出て、そこで今の夫を見つけ、新しいビジネスアイデアを見つけた中国人女子のストーリーを紹介しました。
彼ら、彼女たちはむしろ、1つの場所に留まることで、自分の視座や、物の見方が固定されてしまうことを恐れているようにも感じました。
これは日本の従来型の、1つの大企業に定年まで勤め上げる思考とは相反します。また、短期的なキャリアの向上、短期的なリターンを真っ先に考える人には、なかなか真似できないことだと思います。
MBAとは自分のキャリアを追及する場所なので、もっとみんな目先の利益ばかりを考えて生きてきた人たちかと思ったら、じつはみんな、人生をどうやって充実させるかに焦点をあてて生きていて、そのために若干の目先のキャリアの利益を追求しない姿勢に感銘を受けました。むしろ、思い返せば自分の方が、目先の利益に振り回されて生きてきていたなと感じることが多かったです。
同級生たちを見習って、どうやったら人生を豊かに、おもしろく生きられるかに焦点を当てて、キャリアを含めて人生設計していこうと強く思いました。

パートナーのキャリアも大切にするということ

2つめは、子育てや結婚のために、夫婦のどちらかがキャリアを諦めるのは絶対におかしいということことです。2015年に日本総研が発表した、「アジア主要都市コンシューマインサイト比較」によると、既婚夫婦の共働き率は、北京98%、上海97%で東京は54%。じつはアジア主要都市の中で75%以下は東京だけです。

それは中国ではベビーシッターが安いからだとか、おばあちゃん・おじいちゃんが孫の面倒をみる文化が浸透しているからだとか、いろいろと理由をつける人はいるかと思いますが、中にはベビーシッターに子供を預けるコストの方が、その人の収入より多いケースも結構あり、そのようなケースは前の理屈では説明できません。結局彼ら、彼女らは、短期的なコストよりも、長期的な人生設計を考えているからそのようなことができるのかなと思います。
もちろん専業主婦自体を否定するつもりは全くありませんが、世界的にみて、レアな存在になってきていることは認識してもよいかもしれません。

3つめは、共働きだからこそ取れるリスク、選択があるということ。既婚の同級生のほとんど皆が共働きですが、こうやってMBAにこられるのも片方がその間働いているからですし、起業家精神旺盛な中国人の文化には、共働きはフィットしていると思います。
思い返せば先日同級生と話をしていて、ぼくの場合自分も妻も共に大企業で働いていると言ったら、なぜ片方がベンチャーもしくは企業してIPO(上場)を狙わないのだと言われました。それだけ守られている状態だったら、リスクも限られているし、大きなリターンを狙うべきだというアドバイスでした。これはとてもMBAに来ている学生らしい考え方です。
実際、同級生の中には起業する人も多いですが、日本人の中西さんのように片方がリスクをとって起業して片方は堅実な企業で勤めるケースは多いです。彼らなりにリスクを最小限に抑えています。
このように本当にやりたいことがあり、それに伴うリスクが大きいと判断した場合、共働きでないとなかなか踏み切れません。
同級生へのインタビューを通じて、夫婦ともにキャリアも、家庭も、子育ても全力で頑張る姿勢に感動しましたし、彼らのような家庭を築きたいなと強く思いました。

以上を踏まえて今後ぼく自身どうしていくか、ここに記しておこうと思います。

アウトプットと直感を大事にする

1つめは、アウトプットの場を意識的にもつようにすること。
留学期間中はとても多くのアウトプットの場を得ました。留学初期は、アウトプットの場がストレスフルでしょうがなかったのは事実です。しかしながら、とにかく数多くのアウトプットの場があるために、その決まったアウトプットの日までに、「知識のインプット→アウトプットの練習→アウトプット→フィードバック」を繰り返すことで着実な成長を実感しました。また、アウトプットをパブリックにすることで、たくさんの人たちとつながることができ、リアクションを受け取ることで更に成長が加速することを知りました。
日本の大企業では、なかなか特に若手がアウトプットする機会は多くないように感じます。これから意識的にブログなど含めて、積極的にアウトプットしていきたいと思っています。

2つめは、周りの批判は気にせず、重要な決断はすべて自分の直感に従うこと。
会社にMBA制度を作ろうとした時に絶対に無理と決めつけて批判する人や、なんとなく「中国」ということで中国MBAを批判する人たちに会いましたが、むしろそういう人たちが多ければ多いほど、その先にはブルーオーシャンが広がっていると考えるようにしています。
じつは、ぼく自身一度だけ、重要な決断を直感に委ねかったことがあります。大学卒業後に、単純な憧れから海外の大学院進学を考えていた時期があったのですが、費用面や周りの反対等を理由につけて諦めた経緯があり、会社に入ってからもそのしこりは残ったままでした。それ以降、一回きりの人生で、やりたいことを残したまま死ぬのは絶対に嫌なので、憧れや直感を意思決定の際の最も重要なものに置くことにしました。
最近は学生に就活のアドバイスをする機会が多いですが、散々自分の話をした後に「だけど今話したことは全部忘れて、自分の直感に任せた方がよいと思う」と言うようにしています。

大学に進学した時も、ラクロスというスポーツに直感的に魅力を感じましたし、社会人になったときは、それまで東京にしか住んだことがなかったので、漠然と関西に憧れがあり、会社に強く希望して関西勤務をさせてもらいました。そして海外に住んだことがない、外国語を操れない自分へのコンプレックスから、念願の海外でのMBA生活を経て、英語と中国語をマスターしました。

人生をドライブ、加速度的に夢が近づく

次はなにをするか。

「起業(≠今の会社を辞める)」と「デジタル領域(含むプログラミング)」なんだろうなと思っています。前者は祖父・父の影響。後者は、中国でテクノロジーが人々の生活を目に見えて豊かにしているのを目の当たりにした影響だと思います。共に今やらないと後々後悔するだろうなと猛烈に感じているので、きっとやるんだと思います。

CEIBSに行ったことでぼくの人生はドライブされ、夢に向かって加速度的に近づくことができました。
またBillionBeatsの活動にも加わることはありませんでした。
今中国と日本は大変難しい状況に置かれていますが、中国に大変お世話になった日本人の一人として、これからも少しでも両国の距離感が縮まるように、引き続き貢献するつもりでいます。
最後に、忙しい中時間を割いてくれた同級生たち、自分勝手な活動を応援してくれる会社の方々、心配をかけた家族には感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。谢谢!再见!


<総集編>【前編】CEIBS、行ってよかった!
− 感動の卒業式 −

<筆者プロフィール>

大山廣貴:
1986年東京生まれ。私立武蔵高校、早稲田大学理工学部卒。大学在学中は体育会ラクロス部に所属。 2010年株式会社商船三井入社。関連会社出向、本社経営企画部を経て2016年8月より、上海にあるChina Europe International Business School (CEIBS)に現在会社からの派遣でMBA留学中。

ブログ: CEIBS MBA日記 (http://ceibs2018.hatenablog.com)

<総集編>(前編)CEIBS、行ってよかった! − 感動の卒業式 −

家族も参加。温かいセレモニー

2018年4月14日(土)に上海にてCEIBSの卒業式があり、僕のMBAジャーニーは幕を閉じました。
卒業式には、自分のわがままで散々迷惑をかけた家族を連れて参加しましたが、他の多くの同級生も家族やパートナーを連れてきていて、授業やディスカッション中に見かける普段の彼らの表情とはまた違った表情をしていて、とっても温かい雰囲気がキャンパスを包んでいました。

自分の名前が呼ばれ壇上で卒業証書を授与するタイミングを待っている間は、会社に派遣を認めてもらうために動き始めたところから、ここに至るまでの経緯がフラッシュバックし、その場にいるのがとても不思議な感じがしました。3年前に動き始めた時には、想像もできなかった光景でした。

卒業式を終えると、両親もとても興奮していました。
1人1人名前を呼ばれて壇上に上がって卒業証書を受け取る際に、そこで周りの見守っている同級生達から、チャチャが入ったり、歓声が上がったりするのですが、家族はぼくの順番で周りの反応が渋く、シーンとするのではないかと心配していたそうです(笑)。ありがたいことに、本当に多くの同級生にチャチャを入れられ、盛り上がりました。またその場で唯一の日本人ということで(前回登場した同級生の中西さんは1年間卒業を遅らせたため、来年卒業予定)、異国の地で世界中から集まった秀才たち相手に日本人1人でよく生き延びたなと感激したそうです。
日本人がいない環境にはこの2年間ですっかり慣れ、心地よさすら感じ始めていたのですが、 そういえば、最初は日本人が全くいない環境に適応するのに苦労したのでした。

MBAはコスパが悪い?

MBAに関しては、いろいろとネガティブなコメントを目にします。
MBAを批判するコメントは主に3パターンにわかれると思います。

1. MBAという教育が今の時代に合っていない<MBA教育批判>
2. 世界のランキングにランクインしているMBAスクールが日本にはない(=世界から評価されていない)<「国内」MBA批判>
3. 学費があまりにも高く、日本の会社で普通に勤めても投資(=学費)を回収できない<「海外」MBA批判>

僕は日本国内のMBAスクールに通っていないので2についてはわかりませんが、他の主張については理解できますし、実はある程度同意です。

しかしそれでも、ぼくはMBA留学に行って本当によかったと思っています。
以下、その理由を説明したいと思います。

ありきたりな部分があるかもしれませんが、僕が感じたMBAを通じて思ったことは、以下の3点です。
1つめは、自分の生きてきた世界の狭さを知ったこと。
CEIBSには、国籍のみならず多彩なバックグランドを持ったビジネスパーソンが集まります。会社でも、違う国籍のお客さんや、社内の違う国の支店に勤めている外国人と働く機会はそれまでにもありましたが、それはあくまで会社の看板をみて自分に接してくれていた、もしくは日本の文化をよく知る外国人たちと接してきたんだなとMBA留学中に痛感しました。
例えば、MBAで出会った海外の人に自分のバックグランドを説明する時は、自分は「何の専門家なのか」ということを簡潔に言わなければいけません。日本の大企業にいるとジョブローテーションの名のもと、自分の意志とは別に、様々な部署に所属するので、「いつからいつまでは○○の部署に所属していて、その後××の部署で働いていた」と説明しがちです。でもこんなバックグラウンドの説明では、相手は決まってポカンとします。
僕の話で言うと、会社では経営企画部に所属していたのですが、経営企画部という部署の役割や位置づけは実は極めて日本的で、海外の人にはなかなか通じません。簡潔にイメージをつかんでもらうために、ある時から「In-house consultant」(社内コンサルタント)をしていた、と説明するようになりました。海外の大企業では、今まで外部の戦略コンサルティングファームにいろいろ発注していたものを、社内で自前でコンサルタントを持つことで外部に発注せずに自社内で解決するというムーブメントがあり、イメージが伝わりやすかったからです。
それでも、だいたいまず最初に投げかけられる「おまえは何ができるのか?」という問いは、脳裏に焼きつき、常に自問していました。

「おまえは何ができるのか?」

自分はいったいどこで何にどのように貢献できるのか―—。MBAの前半、このことを絶え間なく自分に問いかけながら過ごしていました。
また、どの分野の話題になっても、自分の今までの経験から仮定を立て、正しい・間違っているは別にして、ポジションをとって自分の意見をしっかりと主張する同級生達に圧倒され、特に始めは、何もコメントできない自分になんて自分は無能なのだと悲しくなっていました。
しかし、ほどなく、それは今までの習慣や考え方が染みついていることが主たる原因ということに気づきます。それからは、議論に参加する際のマインドセットや姿勢を変え、1年かからないくらいで自分の意見を主張できるようになっていきました。

2つめは、自分の憧れ、目標となる人たちに出会えたことです。
頭のよさも、社交面も、ユーモアも全て含めて到底勝てそうにないスーパーマンのような同級生やOB・OGと知り合うことができ、自分も頑張ってこういう人になりたいなと思えるようになったのは、大きな財産です。
ぼくのそれまでの経験が狭い範囲であったということもありますが、CEIBSで出会ったような、全ての項目で飛び抜けている人材には日本では出会ったことはありませんでした。
例えば一番尊敬していた憧れの同級生は、年下の南アフリカ人です。彼は公認会計士で、学業もとても優秀で、学年の代表として卒業式でもスピーチしました。
彼のすごいところは、中国語がしゃべれないにもかかわらず中国人コミュニティの中に1人でどんどん入っていく物怖じしないところです。中国人の懐に飛び込んでいき、愛されていました。間違いなくとても優秀で頭もキレキレなのですが、たまに抜けたところもあり、そこも皆から愛されていました。そして彼はぼくが知る限り、中国人同級生の中国語名と英語名(中国人は自分の英語名を持っているケースが多い)全て覚えていました。勉強も学年トップにもかかわらず、全てのイベントに参加し、リーダーシップを発揮する彼のようになりたいなと強く思いました。

トップリーダーを囲い込むアリババ戦略に驚愕

3つめは、これはCEIBSでないと得られなかった経験ですが、中国の勢いを直に感じられたことです。
例えば、ぼくの上海生活が始まった2016年2月時点では全く流行っていなかった、シェアリング自転車が、気づけば1年も経たない間に、中国人の足となり、生活の一部となりました。また、普及した当初は、法規制やモラルが追いついておらず、街中に自転車が散乱されているケースも散見されましたが、その後、サービスに規制やモラルが追いつき、状況はかなり改善されました。
さらに驚いたのは、テクノロジー系やフィンテックの先端企業が僕のクラスメートたちをはじめ有能な人材を掻き集めている様子を目の当たりにしたことです。ご存じの通り、テンセントやアリババといった中国企業は時価総額でも世界トップ10に入っています。
例えばアリババは世界のトップ大学院の博士課程修了者を対象にアリババグローバルリーダーシップアカデミーという幹部候補生用のプログラムを持っています。これは世界中から集められた20名程のエリートたちが、ジャック・マーのもと、1年間強の特別なプログラムを受け、その後、母国でアリババの普及活動に務めるというもので、日本企業では考えられないような待遇と職域の広さに惹きつけられ、昨年はハーバード等の一流校から6000人程の応募があったといいます。そしてCEIBSからも先に述べたスーパースター級の逸材がアリババの門を叩いています。
こんな人材を抱えスピードあるジャイアント企業と、我々日本人がいったいどうやって戦っていくのだ……。と、恐ろしさすら感じました。
中国の発展具合は、日本人にとっては知らない方が幸せな、ある意味「不都合な真実」かもしれません。ぼくは東京に帰って2ヶ月強が経ちますが、いまだに中国を下に見るような何十年も前の感覚のままの日本人に多く会います。実際に中国本土に行って遥か日本の先を行っている中国経済とテクノロジーを見たら、愕然とするのだろうなと思いながら接しています。


<第14話>33歳理系、上海MBA→上海で起業。型破りは武器

【後編】CEIBSが、上海での起業をかなえてくれた

<筆者プロフィール>

大山廣貴:
1986年東京生まれ。私立武蔵高校、早稲田大学理工学部卒。大学在学中は体育会ラクロス部に所属。 2010年株式会社商船三井入社。関連会社出向、本社経営企画部を経て2016年8月より、上海にあるChina Europe International Business School (CEIBS)に社費派遣でMBA留学、2018年3月卒業。

ブログ: CEIBS MBA日記 (http://ceibs2018.hatenablog.com)

<紹介文>

第14話は、大山さんと同じクラスの日本人同級生を取り上げます。CEIBS2018年3月卒業の中西豪さんは自費でCEIBSに進学。在学中に上海で起業し、中国企業の海外販路開拓支援・製品輸出入関連のビジネスを展開中です。CEIBSまでの道のりと、中国での起業体験についてのインタビューを、2回(前編はこちら)にわけてお届けします。

日本人同級生 中西 豪(なかにし ごう):
1984年パリ(フランス)生まれ。4歳までパリ、その後は横浜市で育つ。横浜市立大学大学院修士課程修了後、BASF(ドイツに本社をもつ、150年以上の歴史をもつ世界最大の総合化学メーカー)の研究職として入社。2012年香港で現地のスタートアップ企業、2014年株式会社エーザイ上海支社を経て、2016年CEIBS入学。在学中の昨年にINTEGRAL.Co.,Ltd.を創業。

【後編】CEIBSが、上海での起業をかなえてくれた

地方からのし上がったクラスメートをスカウト
中西:CEIBSの教授や卒業生のメンターから支援や助言をもらいながら、昨年上海で起業しました。

大山:どういうビジネスモデルですか?

中西:中国企業の海外販路開拓支援・製品輸出入を行っていて、INTEGRAL. Co., Ltd.といいます。日本企業の中国進出の支援は多くありましたが、中国企業の日本及びその他海外進出支援はまだまだ少ない。そこを狙っています。顧客のほとんどは中国企業で、ビジネス言語は99%中国語です。

大山:ビジネスパートナーは?

中西:創業パートナーのRafaelとはCEIBSの第一学期、同じグループで出会いました。彼は実は大山くんのBillionBeatsの記事にも登場しています。青海というとんでもない田舎からのし上がってきたヤツですね。

大山:CEIBSの第一学期は本当に大変ですが、過ごす時間もとても多い分、メンバーとは家族みたいに仲よくなりますよね。

中西:そうなんです。彼は私と同じく研究開発の出身で、若い頃に貧乏したなど共通経験もあり、すぐに意気投合しました。起業準備の段階では中国人と組むことは考えていなかったのですが、彼の人間性を見てこいつとなら一緒にやっていけそうだなという直感があったのと、やはり一人では寂しかったので誘ってみました。

大山:どうやってあんな優秀な彼を口説いたんですか?

中西:スクール近くのCEIBS学生行きつけのバーに誘い出し、リスクは全部俺が取るから、お前も起業したことがあると周りに言ってみたいだろう、という感じで口説いたところすんなり「いいよ!」と言ってくれました。それから創業し、一緒に中国のいろんなところに行きました。現在は彼は就職の道を選び、パートタイムベースで仕事を手伝ってもらっています。大企業でしっかりと経験を積んでもらい、実力がついたところで再びフルタイムで参加してもらえればと目論んでいます。彼は今でも弊社のシェアホルダーです。

製造原価は日本の1/5
大山:中国ビジネスの醍醐味とは?

中西:何と言ってもスケールとスピード感です。ここでは明確な(ちゃんとお金を生み出す)ビジネスモデルと行動力があれば、何だって実現できると思います。

大山:具体的に実感したことは?

中西:弊社は中国のある太陽光パネル・電池メーカーの海外販路開拓権を有していますが、販路開拓を始めてわずか1ヶ月で メガソーラー基地設営の需要のある南米コロンビアから、驚くほどの数量の太陽光パネルの問い合わせが入ったりします。中国の太陽光パネルは上流から下流まで原材料が自国で調達できるうえ、製造スケールが圧倒的に大きいので、製造原価が日本に比べて1/5程度です。商談も日本と違って2~3回で話がまとまってしまうことがよくあります。このスケールとスピード感が中国ビジネスのおもしろさと思いますね。

大山:難しい点は?

中西:中国人の社長さんはとても「現物主義」なところ。情報に対してお金を出す感覚がないので、コンサルティングなどのサービスはスタートアップ企業では難しいでしょうね。この市場にこのような需要がある、といった市場分析レポートを出してもまず一円も出してくれません。ちゃんとお金を生み出すことに繋がるような提案、例えば実際にバイヤーを見つけてきてすぐに販売契約できるような状態をつくり出してやっと価値を認めてもらえます。これが日本と違って難しい点です。行動力と営業センスは中国ビジネスで成功するには必須の要素ですね。

CEIBSネットワークのおかげで起業できた
大山:CEIBSで得たものは?

中西:CEIBS入学は起業の足がかりを得ることが唯一の目的でしたが、目的は十分にかなえられました。初めての中国メーカー顧客も実はCEIBS卒業生がオーナーを務めていて、私自身のメンター(*著者注:CEIBSに入学すると全ての学生に卒業生のメンターがつく)が紹介してくれたことがきっかけです。弊社の現在の顧客や協業パートナーはほとんどCEIBSや中国MBAの関係者です。CEIBSに入っていなかったらこのようなネットワークにはアクセスできていないので、CEIBSのおかげで起業できたといっても過言ではありません。あと、CEIBSのブランドは中国では強く、起業したての頃にいろんな社長さんとコンタクトを取る際に力を発揮しました。アカデミック面でも、財務、会計、マーケティング、戦略の基礎をMBAで学んだことは役に立っています。

大山:上場をめざしますか?

中西:何が何でも上場したいとかそういう気持ちはありません。上場とはあくまでビジネスをより拡大するための資金集めの手段であって、目的ではないですから。

大山:今後関心のある分野は?

中西:中国の再生可能エネルギーの方面に可能性を感じています。将来は自己発電自己消費による完全オフグリッド(*著者注:発電した電気を売電せず、自給すること)の住宅や商業施設が増えると直感的に予想しています。将来はそのような時代の流れに乗り、ビジネスを通じて社会に貢献できたらと思っていますが、具体的なビジネスモデルはまだ固まっていません。今は来たる時代に備えて、中国メーカー、バイヤー、投資家との関係構築を中心に準備を進めています。起業しながら真の起業に備える、みたいな感じですね。

家族がいちばん大事。仕事は男のロマン(笑)

大山:ところで、奥さんとは北京で知り合ったんですよね?

中西:北京の語学学校近くのカフェで勉強していて、私から彼女に話しかけたのがきっかけです。彼女は北京の大学を卒業後、アメリカのジョージタウン大学の大学院を卒業してアメリカのGoogle等で数年働いて、北京の大学で教鞭をとっていたんです。

大山:さすがの行動力ですね(笑)。昨年お子さんが生まれたタイミングで起業しましたが、奥さんの理解はどうやって得たのでしょう?

中西:つき合い始めた頃からずっと起業すると言っていましたし、CEIBSに来たのも起業するためだったので、嫁ブロックを受けることはなかったです(笑)。もちろん、MBAを持っているのにどうしてこんなに安い給料なんだとチクチク言われることはあります(笑)。CEIBS卒業生の平均給与は高いですからね。

大山:プレイベートと仕事はどうやって分けているんですか?

中西:仕事と家族は全然別です。子どもとの時間は最高ですし、家族の幸せが一番大事です。仕事は男のロマンを満たすためのものです。

大山:中西さんの夢は何ですか?

中西:まずは家族を幸せにすることです。家族を犠牲にすることなく、自分のできる範囲でがんばりたいです。

大山:中国人の奥様のお仕事は?

中西:妻はCEIBSのアドミッションオフィスで働いています。 現在は優秀な学生を世界中から集めるためのマーケティング活動を行っています。

大山:子育てはどうしているのですか?

中西:あちらのお母さんとヘルパーさんを頼っています。完全に中国式ですね。子どもの教育については、今後悩むことが多いんだろうなと予想してます。日本人と中国人の両方のよさを持ってほしいと思っているのですが……。家庭では完全に中国語なので子どもに話しかける時は日本語をしゃべるようにしています。効果があるかはわかりませんが。

起業も就活も失敗。兄に送金を頼んだ人生最大の挫折
大山:人生で一番の失敗を教えてください。

中西:北京の語学留学を終えたあと、実は一度、起業をめざしたのですが、準備がうまくいかず資金がショートして兄に頼ってしまいました。いよいよ財布の中身もゼロに近づき、兄にお金の工面を頼んだ時に、事情を知らない兄はとても心配しましたが、多くは聞かずに送金してくれました。日本を離れる時に、海外では全て自己責任、何があっても家族には心配をかけないと誓ったのに、兄に迷惑をかけてしまったこの時が、自分の最大の挫折です。

大山:そうだったんですね。

中西:でも、ここで帰国したら負け犬だと思ったので、あと3ヶ月は頑張ろうと、現地で就職活動を続けました。そしたら、前編でお話したように、前職のエーザイに就職できました。

大山:悔しい思いをしたことは?

中西:結局、中国語が中途半端で中国でのビジネス経験がゼロの自分には勝機がないことに気づき、まずは現地で就職することにしたわけですが、就活すらうまく行かなくて、ある化学メーカーの管理職の方から「日本での就業経験が短すぎる。もう一度日本でやり直した方がよいのでは?」という言葉を受けた時は、悔しかった。香港のスタートアップでビジネスをゼロから作り上げた経験は、日本で働いていた時より何十倍の重みがありますし、今の仕事のベースになっています。でも、その経験が日系企業では評価されないことを痛感しました。

大山:日本の大企業の評価するポイントは世界的に見て独特です。でも、中西さんのようにビジネスを立ち上げた経験を重要視する企業が増えていると聞きます。中西さんの会社の成長が楽しみです。中西さんも僕もCEIBSに入って本当によかったですよね。


<第14話>33歳理系、上海MBA→上海で起業。型破りは武器

【前編】上海で起業。原点は20歳のひとり旅

<筆者プロフィール>

大山廣貴:
1986年東京生まれ。私立武蔵高校、早稲田大学理工学部卒。大学在学中は体育会ラクロス部に所属。 2010年株式会社商船三井入社。関連会社出向、本社経営企画部を経て2016年8月より、上海にあるChina Europe International Business School (CEIBS)に社費派遣でMBA留学、2018年3月卒業。

ブログ: CEIBS MBA日記 (http://ceibs2018.hatenablog.com)

<紹介文>

第14話は、大山さんと同じクラスの日本人同級生を取り上げます。CEIBS2018年3月卒業の中西豪さんは自費でCEIBSに進学。在学中に上海で起業し、中国企業の海外販路開拓支援・製品輸出入関連のビジネスを展開中です。CEIBSまでの道のりと、中国での起業体験についてのインタビューを、前後編にわけてお届けします。

日本人同級生 中西 豪(なかにし ごう):
1984年パリ(フランス)生まれ。4歳までパリ、その後は横浜市で育つ。横浜市立大学大学院修士課程修了後、BASF(ドイツに本社をもつ、150年以上の歴史をもつ世界最大の総合化学メーカー)の研究職として入社。2012年香港で現地のスタートアップ企業、2014年株式会社エーザイ上海支社を経て、2016年CEIBS入学。在学中の昨年にINTEGRAL.Co.,Ltd.を創業。

【前編】上海で起業。原点は20歳のひとり旅

パリ生まれ。離婚後、母が僕ら3人を育ててくれた
大山:中西さんは昨年中国人の奥さんとの間にお子さんが産まれ、上海で起業もされました。まずは中西さんがなぜ中国寄りになったのか、生い立ちについて教えてください。

中西:実は生まれはフランスです。商社マンだった父のパリ駐在中に僕が生まれました。兄と姉がいます。4歳の時に帰国し、父と母は離婚しました。母は3人の子どもを養うために懸命に働いてくれましたが、それまで専業主婦で手に職があったわけではなかったので、僕たちの生活は豊かではありませんでした。父はその後輸入業で起業して今も商売をしています。生活費の仕送りはしてくれていたようですが、父と私が再会したのは20年後、姉の結婚式です。

大山:なんと、中西さんの起源はフランスだったんですね。

中西:そんな状況だったので小さい頃はあまり学業に熱心ではありませんでした。母から勉強について細かく言われたこともないですし。大学は横浜市立大学と慶應大学に受かったのですが、家計への負担と行きたい学部を考えて横浜市立大学に行きました。専攻は理学部機能科学科です。当時は製薬研究に憧れていて、横市はバイオ医薬の研究分野で有名だったので。

大山:今のところ、フランスで生まれた以外は、海外とは無縁の生活ですね。

中西:20歳の時に母がガンで他界し、その年に井深大奨学基金(*著者注:ソニー創業者井深大さんの遺産で設立された奨学金。毎年全国の大学から10人程度学生を選抜し、学費と学生の課外活動を支援)の奨学生に選ばれ、その資金を元手にアメリカ西海岸縦断に一人旅に出ました。貧乏旅行だったんですけど、そこで自分より若く行動的で夢を持っている外国人と出会い、一緒に旅をしました。

大山:なるほど。

中西: 中国、インド、ロシア、イギリス、スウェーデン、オーストラリア、アメリカなど世界中の若者がそれぞれの目的で旅をしていました。多くは高校生で、大学に入る前の長い夏休みに世界を旅するのだとか。一緒にメジャーリーグを観に行ったり、街を散策したり、夜には思いを語り合ったりしました。富裕層のロシアの学生は、アメリカの大学に留学することに。貧困層のインドの学生は奨学金が得られ、現地でホストファミリーも見つかったためアメリカ留学することに。オーストラリアの学生は、大学に入ったら猛烈に忙しくなるので入学前に世界を自分の目で見るために一人旅していました。その時「ああ、自分は世界のこと何も知らないんだな。世界にはこんなに多くの可能性があり、それを実行しようとしている若者がいるんだな。英語が話せないと何もできないんだな」と思いました。それから日本に帰り、すぐに英語を勉強し始めます。

大山:しっかり行動に移して英語を勉強するのはさすがです。

26歳、勝負のために香港へ
中西:生化学(糖タンパク製剤の合成研究)の研究のため大学院に進み、修士課程修了後、ドイツ本社の総合化学メーカー・BASFの東京支社にR&D (研究開発)職で入社します。同僚のインド人と仲よくなり一緒に遊びにいくようにもなりました。彼は頭がいいうえに社交的でいろいろなことを学びましたが、あり得ないスピードで昇進していく彼に疑問を持っていました。そこで初めて「リーダーシッププログラム」(*著者注:幹部候補生用のプログラム、外資企業では入社時点から幹部候補は別採用で、入社後も別のトラックを歩むことが多い)の存在を知りました。

大山: 日本企業でリーダーシッププログラムを持っている企業は少ないですね。

中西:彼はインド経営大学院(Indian Institutes of Management)を卒業していたのですが、彼のみならずリーダーシッププログラムに選ばれている外国人は頭がよく、このままでは彼らに絶対に勝てないと思いました。また、彼らとの触れ合いの中で徐々にビジネスのフィールドに興味を持ち始めていました。そこで当時既に中国が世界に台頭し始めていたので、その現状を自分の目で確かめるべく北京、上海と西安を旅行しました。今後中国でビジネスチャンスが生まれると直感し、彼らとは別のフィールドで勝負しようと、3年で退社。中国語が話せなかったので、まずゲートウェイである香港に行きました。

大山:日本で香港での職を見つけて行ったんですか?

中西:いや、香港に行ってから職を探しました。そして、日本人がオーナーのスタートアップ企業に就職し、2年ほど働きました。

大山: 業種は?

中西:商社です。断熱塗料などの機能性塗料やホルムアルデヒドを分解する化学触媒の日本からの輸入、中国および海外での販売です。元は自動車用の液晶ディスプレイなどの輸入をやっている会社で、化学品部門の新規立ち上げの際にスタッフ第1号として参画しました。そこから部門マネージャーとして、香港人や中国人のスタッフを雇い営業チームを作っていきました。カタログなど何もなく、イチからの立ち上げでした。最終的には香港ディズニーランドへ床の滑り止め塗料を販売したりするまでになりました。

中国語習得のため北京へ
大山:その後、なぜ北京へ?

中西:中国語を伸ばすには中国本土に行くしかないと、北京語言大学に半年間語学留学して、株式会社エーザイの上海の現地法人に就職しました。僕は一つの有名企業に長く勤めていたような日本の大企業ウケするキャリアではないので、職探しは苦労したのですが、たまたま運よくエーザイの上海支社副社長が、元々とあるプライベートエクイティファンドの創業者で、彼の目に止まりBusiness Development(事業開発)職でひろわれました。エーザイでは2年近く働きました。

大山:中西さんのようなキャリアはおもしろいし、意志を感じて魅力的に思いますよ。

中西:上海で実際に働いてみて、中国ビジネスでは人脈が一番大事だと身をもって感じました。そこで、中国で最も良質な人脈を築き、起業への足がかりを得ることを期待してCEIBSに入りました。

大山:CEIBSの受験はすんなりいきましたか?

中西:いやGMAT(*著者注:海外MBAを受験する生徒は必ず受験するセンター試験のようなもの)は本当に苦労しました。CEIBSからの奨学金を狙って高得点を目指していたのですが、独学だったこともあり簡単にはとれませんでした。また、直前まで職場にオープンにできなかったので、働きながらの勉強は大変でした。(後編に続く。)


<第13話>手堅くオールマイティに、自分に向いていることを探して。

<筆者プロフィール>

大山廣貴:
1986年東京生まれ。私立武蔵高校、早稲田大学理工学部卒。大学在学中は体育会ラクロス部に所属。 2010年株式会社商船三井入社。関連会社出向、本社経営企画部を経て2016年8月より、上海にあるChina Europe International Business School (CEIBS)に現在会社からの派遣でMBA留学中。

ブログ: CEIBS MBA日記 (http://ceibs2018.hatenablog.com)

<紹介文>

第1、2回では、大山さんがなぜ会社の制度がない中で、社費留学制度を作ってまで、中国MBAに行きたかったのか。第3回では、なぜ中国人エリートの働き方に興味をもったのか。第4回以降は、中国人同級生の取材を通してこれからの中国人エリートの働き方にせまります。

 

 

<第13話>手堅くオールマイティに、自分に向いていることを探して。

中国人同級生Caroline Zhu:
1988年上海生まれ、上海育ち。上海交通大学経済学部卒業後、IMI plc(イギリスに本拠を置く国際的なエンジニアリング企業)に幹部候補生として( リーダーシップ・プログラム)入社し、マーケティングのプロフェッショナルとしての道を歩む。MBA在学中に結婚、出産を経験。趣味は剣道で、日本語も堪能(日本語検定1級取得済み)。

大山:お子さんが生まれたばかりなんだよね?

Caroline:今年の1月に出産したよ。だからまだ数時間おきに授乳しているよ。今日も赤ん坊が寝ている隙をみての外出だよ(笑)
 
大山:うわーそんな忙しいなか、ありがとう!

Caroline:今は母が家に来てくれているから大丈夫だよ。子育ては大変だけど、それ以上に赤ん坊が可愛いから子育てはとても楽しいよ。

大山:Carolineは上海人なんだっけ?

Caroline:生まれも育ちも上海だよ。上海の中流家庭で育って、大学は上海交通大学に進学して、マーケティングのIMI plc(旧社名:インペリアル・メタル・インダストリーズ。イギリスに本拠を置く国際的なエンジニアリング企業)に入社したの。そこでのリーダーシップ・プログラムでいろいろな経験をさせてもらったよ。マーケティングやスウェーデンオフィス(セフレ:人口9000人程の都市)勤務のあと、 上海でマーケティングマネージャー働いた。そのとき、もっと広い世界を見てみたいと思ってCEIBSに入学することにしたよ。

大山:スウェーデンは僕も昨年行ったけど、自然が豊かでとてもよい場所だよね。

Caroline:スウェーデンでの生活は私の価値観にとても影響を与えたね。彼らはとてもワークライフバランスを重視する生活だね。例えば彼らは必ず午前と午後に毎回15分位のティータイムをとるし、遅くまで残業することもない。1つの会社に比較的長く勤めるしね。休日は大自然の中にある、同僚の家でパーティをしたりして、こういう生活を本当に豊かな生活っていうんだろうなって思ったよ。老後はこんな生活をしてみたいね。後は、上海に実家があったから、大学で寮に入っている時も週末は頻繁に実家に帰ったりしていたから、親元から完全に離れての生活も初めてで、自由を謳歌したね(笑)

大山:日本人も一つの会社に長く勤めるけど、中国人は頻繁に転職を繰り返すものね。

Caroline:日本やスウェーデンのような先進国は、急激な物価上昇もないだろうしね。だけど中国の場合は、知っての通り、毎年物価もとても上がるから、常に自分を高めていないと不安になるんだよ。だからよりよいオファーを求めて転職するんだと思うな。

大山:スウェーデンに行ったのは自分の意志で?

Caroline:実は、途中で担当の人事が辞めてしまって、自分で自分の求めている部署を探して直接担当部門とコンタクトをとって面接を受けたんだよ。リーダーシップ・プログラムの3年間の間に私はトップの成績を収めることができて、上海に戻ると最速でマネージャーに昇進することができたんだ。スウェーデンオフィスからもオファーをもらっていたんだけど、マネージャーにも昇進できるし、やりたいことができる上海の部署からオファーをもらったから、戻ることにしたんだ。

14歳から日本語を学ぶ

大山:Carolineは日本語がとても上手だけど、日本に留学したことはないんだよね?いつから日本語の勉強を始めたの?

Caroline:日本語の勉強を始めたのは、14歳の頃かな。実は、10歳くらいの頃に、親から、あなたの将来なりたい、憧れの人物は誰?って聞かれたことがあって、その質問がずっと頭の中に残っていて、14歳くらいのころに、周恩来(中国の政治家(1898-1976))のようになりたいって思ったんだ。知っているかな周恩来は8カ国語しゃべることができたんだ。だから私も何か言語を習得したいと思ったんだよ。

大山:数ある言語の中から日本語を選んだ理由は?

Caroline:実は最初はフランス語を選ぼうとしていたんだ。だけど、母がフランス語は英語と通じるものがあるから、14歳のその当時の私の英語は、まだまだ不完全だったから、まずは英語をマスターしてからフランス語を学ぶようアドバイスくれたんだ。

大山:なるほどね。だけどそれから地道にコツコツ勉強を続けたのはすごいよ。

Caroline:週1回くらい日本語の塾に通って勉強したよ。地道に続けられたのは、母の教育方針のお陰だと思う。彼女は物事に取り組む姿勢とかは厳しい人で、私が日本語を勉強する時も最後までやりきるならば、応援すると言ってくれて、私はその約束が常に頭の中にあったんだ。

大山:それを忠実に守って、やりきるのはやっぱり凄いね。CarolineはMBA期間中に出産したけど、結婚したのもMBA期間中だったよね?

MBA在学中に出産

Caroline:彼と結婚したのは、去年の5月だね。出産が今年の1月だったから、本当にこんなに早く事が進む(子供が生まれる)とは思ってなくて予想外だったんだよ(笑)。 だけど、子供を生むタイミングについてはずっと考えてはいて、一度就職してしまったら、しばらく仕事に慣れるのに時間がかかるだろうし、直ぐに子供を生むか、しばらくしてから生むかのどっちかだろうなとは思っていたから、私はすぐに生みたかったとは思っていたけど、まさかこんなに早いとはね。

大山:旦那さんとはどこで知り合ったの?付き合っている時に一緒に日本に旅行に行っていたのを覚えているから、日本語学校とか?

Caroline:実は通っている上海の剣道道場で知り合ったんだ。彼は私より、1年遅く入ってきたから私のほうが上手だけどね(笑)。 最初は全然意識していなかったけど、剣道のレッスンでランダムに組まれるグループが一緒になったりして、気づけばつき合うようになっていたね。

大山:剣道を始めたのはどうして?

Caroline:日本語を勉強して、日本の文化に興味をもったんだ。だから高校時代は空手も習っていたし、剣道もずっとやりたいと思っていたんだけど、道具を揃えるのにお金が必要だから、高校、大学ではできなくて、社会人になってからようやくできるようになったの。名前は忘れちゃったんだけど、女子が主人公の剣道のマンガを昔読んだことがあって、それが剣道に興味を持ったきっかけだったと思う。今でも日本のドラマはよく観るけど、大学時代は時間もあったから日本のドラマをよく観たね。剣道を始めてから、自分に見つめ合って、自分の弱みを知って、その弱みにどう付き合っていくかとかを考える時間が増えて、自分の人生を豊かにするのに本当に素晴らしいスポーツだと思うよ。

大山:旦那さんが剣道を始めたきっかけは?

Caroline:彼は10代の時にとても日本の文化に影響を受けたみたいなんだ、更に映画「ラストサムライ」を観て感動したらしい。そして、スペインに留学している時に、自分の内面を知って、自分のメンタルのバランスを保つ重要性に気づいて、剣道に興味をもったみたいなんだ。

大山:なるほどね、僕も剣道始めようかな(笑)。 旦那さんも日本語を喋れるの?

Caroline:いや、彼は日本語は喋れないんだ、だけどスペイン語は喋れるよ。 彼は浙江省玉環市(浙江省は人口5500万人程の省で、東は東シナ海に面している、玉環市は人口40万人程の市)の出身で高校から上海にいるんだけど、大学時代にスペイン語を習っていて、大学院はマドリード(スペイン)にあるIEビジネススクールに通っていたんだよ。

大山:とてもグローバルなカップルだね。そんなグローバルだったらやっぱり子どももグローバルに育てたい?

Caroline:私達は中国の教育は悪くないと思っているから、これはあくまで今持っている理想だけど、高校までは中国で、大学からアメリカの大学に進んで欲しいかな。

大山:Carolineにとって理想の夫婦ってどんな夫婦?

Caroline:これからお互いいろいろなことがあるだろうけど、どんなことがあってもいつでもお互いを信頼している関係かな。

大山:なるほどね。Carolineは旦那さんから影響を受けたこととかってある?

Caroline:彼はどんな小さなことでも、お祝いをしようとするんだ。私にはその習慣はなかったんだけど、彼と出会って、実際にこまめにお祝いすると記憶にも残るし、とても良い習慣だなと思った。だから今では私も小さなことでもマメにお祝いするようにしているよ。

大山:Carolineは自身のキャリアについては今後どう思っている?

まだ確信ができない、自分に向いていること

Caroline:マーケティングが自分のやりたいことかなと思ってはいるんだけど、まだ確信できていないから、外資系企業のリーダーシップ・プログラムがある会社でいろんな仕事をしたいと思っているよ。
実は、もうすでにヘッドハンターと会っていて、子育ての合間に面接も受けているよ。

大山:日本企業はどうでしょう?(笑)

Caroline:日本の文化とか精神的なものはとても興味あるんだけど、日本企業はちょっと私には向かないと思ってる(笑)

大山:子育てしながら就職活動もしているということだったけど、それはやっぱりお母さんのサポートがあってこそだね。

Caroline:この時期の子育てはタフだと思うけど、うちの母は、最近退職したばかりで、こないだまで働いていたから、その生活との比較で、子育てを楽しんで協力してくれているよ。友人の中には、夫婦それぞれの両親が交代交代で子供の面倒を観てくれるケースもあるけど、彼の実家は浙江省で遠くてそういうわけにはいかないから、どうしても私の母に頼ることになるね。だけど彼女に過度に負担がかからないようにはするつもりだよ。

大山:Carolineは今までの人生で失敗ってしたことある?

Caroline: 私は試験とか、様々なことに用意周到に準備するタイプで、試験とか面接とかほとんど失敗したことはないんだけど、唯一の失敗は高校時代に日本語検定の1級を取れなかったことかな。それから大学受験があったから、一時日本語検定の勉強は中断したけど、大学に入ってから母と最後までやりきるって約束していたから、ちゃんと日本語検定1級を取ったよ。

大山:日本語検定1級って1番難しいテストだよね、さすがだね。

Caroline:あとはこれは失敗かどうかはわからないんだけど、私はリスクを取る選択をしない傾向にあると自分では思ってるんだ。例えば、大学受験にしたって、例えば香港に行くっていう選択肢もあったけど、より確実に入れるいい大学を選んだり。転職もそうだね。私はIMIで働いている時に他に移る選択もあったけど、留まったからね。もちろん私の長所でもあるんだけどね。

大山:上海交通大学だって、中国のトップの大学で十分すごいと思うけど……。Caroline、今日はお忙しいなか本当にありがとう。


<第12話>在学中にママに。クラスメートは、スーパーキャリアウーマン

<筆者プロフィール>

大山廣貴:
1986年東京生まれ。私立武蔵高校、早稲田大学理工学部卒。大学在学中は体育会ラクロス部に所属。 2010年株式会社商船三井入社。関連会社出向、本社経営企画部を経て2016年8月より、上海にあるChina Europe International Business School (CEIBS)に現在会社からの派遣でMBA留学中。

ブログ: CEIBS MBA日記 (http://ceibs2018.hatenablog.com)

<紹介文>

第1、2回では、大山さんがなぜ会社の制度がない中で、社費留学制度を作ってまで、中国MBAに行きたかったのか。第3回では、なぜ中国人エリートの働き方に興味をもったのか。第4回以降は、中国人同級生の取材を通してこれからの中国人エリートの働き方にせまります。

 

 

<第12話>在学中にママに。クラスメートは、スーパーキャリアウーマン

中国人同級生Tianjiao Mao:
1988年、湖南省湘潭市生まれ。北京外国語大学にて、ファイナンスを学び、ゴールドマンサックス入社。その後国営の投資銀行勤務を経てCEIBS入学。CEIBS在学中に出産を経験。

猛勉強してゴールドマンサックスへ

大山:ゴールドマン・サックス出身で、MBAのめちゃくちゃ忙しい時期に出産して、すぐに復帰して、その後交換留学にも行ったスーパーキャリアウーマンのTianjiao!お話聞くのを、とても楽しみにしてました!Tianjiaoは大学は北京だよね?出身も北京?

Tianjiao:出身は、湖南省の湘潭市(面積5,000km²、人口300万人程度、毛沢東の出身地でもある)という田舎だよ。高校まではそこで育って、大学から北京外国語大学で、ファイナンスを学んで、卒業後は、ゴールドマン・サックス(上海)のコーポレートアクセス部で数年働いた後に、中国国営の投資銀行で数年。それからCEIBSに入学したよ。

大山:輝かしい経歴だね。日本でも新卒でゴールドマンサックスに入ると、頑張れば若くして数千万円の年俸が貰えるということで、採用人数はとても少ないにも関わらず、トップ大学出身でそれも英語も喋れるトップの就活生が志望しているから、人口の多い中国だったら尚のこと入るのは難しいだろうね。ところで投資銀行はとても忙しいイメージだけど、実際はどうだった?

Tianjiao:忙しかったね。ゴールドマン・サックスでは朝7時に出社して、毎日だいたい深夜の1時ぐらいまで働いていたよ。忙しい時は週末もね。なぜなら、クライアントが欧米のクライアントだったから、時差の関係で先方に合わせる必要があったからね。結局夫と相談して、3年弱で中国国営の投資銀行に転職したんだ。それからは、だいたい夜7−8時くらいには、仕事が終わるようになった。

大山:Tianjiaoのキャリアは本当に、中国人の憧れの、王道中の王道だよね。学生時代は相当勉強した?

Tianjiao:学生時代は、本当に勉強したね。全てのテストで良い点を取らなければ、将来が開けないかもしれないっていうプレッシャーはあったけど、中学・高校時代は勉強しかしなかったね。

大山:なるほどね、日本でももちろん受験勉強はあるけど、中国人同級生の話を聞いていると、競争の熾烈さの次元が違うように思うね。僕だって受験はしたけれど、部活動とか課外活動もエンジョイしたからね。ところで、Tianjiaoは旦那さんとは職場で出会ったの?

夫は武漢で教育ビジネスを起業

Tianjiao:大学で知り合ったんだ。私の2つ上だね。その後、夫もゴールドマン・サックスで働いていたから、数年間同僚だったね。

大山:すごい夫婦だね……。僕はMBAに来て、自分がファイナンスのバックグラウンドをもっていないから、とても苦労したし、Tianjiaoみたいなファイナンスのプロをうらやましく思うよ。キャリアのオプションも多いだろうしね。

Tianjiao:CEIBSに来た理由のひとつはキャリアチェンジなんだ。今行ったとおり、私は大学での専門もファイナンスだし、社会に出てからもそれしか知らないからね。変化の速いこれからの時代は、もう少し幅を広げておいた方がいいと思ったんだ。

大山:なるほどね。具体的にはどのような職を考えているの?

Tianjiao:今考えているのは、インターネット企業の財務部とかかな。ゴールドマン・サックスの後に働いていた投資銀行は、国営企業だったから、意思決定とかも遅くて、それとは真逆の会社を見てみたいと思ったんだ。中国のインターネット企業は変化が凄まじく速いからね。あと、夫が昨年末にゴールドマン・サックスを退社して、彼の地元の武漢で起業したから、武漢でいい会社が見つかったらベストだね。

大山:旦那さんはどのようなビジネスを始めたの?

Tianjiao:夫は、教育ビジネスだね。具体的には海外の高校、大学、大学院に行きたい中国人学生向けのビジネスだよ。

大山:最近、中国の新聞で、昔は富裕層だけだったのに、中国の中間層の家庭もどんどん欧米に子供を留学させているっていうニュースをみるよ。

Tianjiao:そうだね。上海や北京は、競合他社も多いんだけど、武漢とか、他の第二級都市以下には、まだまだ競合他社も少なくて、夫は競合を避けるために、地元を企業の場所として選んだね。

大山:なるほどね。Rolexと同じ戦略だね(笑)(*著者注:同級生インタビュー第7回で紹介)。中国の二級都市に行くと、その発展具合に本当に驚くよ。こないだ成都(*著者注:四川省にある二級都市)に行った時、東京以外の日本のどの都市よりも発展しているんじゃないかと思った。

Tianjiao:成都は内陸部で、地理的な条件が武漢と似ているから、この2都市はお互いに意識していて、切磋琢磨しているんだよ。有名な大学もあって、武漢大学とかは優秀な生徒を積極的に集めて、質が上がって、地元の学生も北京・上海には行かずに武漢に残るという人が増えてきたね。ちょっとだけ空気が上海に比べて汚いのが難点だけど(笑)。

大山:なるほどね。でも旦那さんのビジネスが中国人学生の海外留学支援だったら、Tianjiaoの子どもも、インターナショナルな教育を受けることになるんだろうね。

Tianjiao:そうだね。私自身は、全員に平等にチャンスを与える中国の教育に感謝しているけど、子どもはインターナショナルな教育を受けることになるかな。まだわからないけどね。

大山:TianjiaoはMBA留学中に出産したばかりだけど、旦那さんがこのタイミングで起業したのは、子どもが生まれたのも関係しているのかな?

Tianjiao:いや、夫は自分の年齢との兼ね合いで、いつまでに起業したいっていうのが自分の中であったみたいで、昨年末に私の卒業前に武漢で起業したよ。まだビジネスも始めたばかりで軌道に乗っているわけではないから、私も学生の身分だし、家計は大変だよ(笑)。もちろんそんな彼のことが好きだし、尊敬もしているけど、私は私でしっかり家計を支えるためにちゃんとした就職先を探さないといけないね(笑)。

大山:Tianjiaoにとって理想の夫婦って?

Tianjiao:お互い独立していて、刺激し合える関係かな。もちろんリスペクトもしつつね。

大山:Tianjiaoの夢ってなに?

Tianjiao:うーん。まずは金融以外の世界に飛び込んで、全然違う世界を見ることでキャリアの幅を広げたいね。現実的だけど、今はそれが私の夢かな。

大山:Tianjiaoの今までの人生で一番の失敗とか、後悔とかってしたことある?

Tianjiao:実は、出産によってMBAライフをエンジョイできなかったことが、人生最大の後悔なんだよ。もちろん子どもが生まれたことはすばらしいことなんだけど、想定外だったから。今まで話したように、私は、今まで極めて直線的に生きてきたから、勉強以外のパーティに参加したり、新しい友達をたくさん作ったり、夜遅くまでみんなで飲んだりっていうMBAライフを満喫できなかったことは本当に後悔しているよ。特にみんなが一気に仲よくなるタイミングで抜けてしまったから、新しい友達を作る機会を逸してしまったのが本当に悔しい。あなたともこんな機会がなかったら、長く話す機会はきっとなかったろうしね。

大山:だけど、僕たちはTianjiaoを大切な仲間と思ってるから気にする必要はないし、これからもなかよくなる機会はあるはずだよ。とりあえず、来週武漢に行くので、観光案内お願いいたします(笑)。


<第11話>キレッキレで人望アツい台湾人の「出来杉」くん。サムソンの熱烈オファーによりソウルへ

<筆者プロフィール>

大山廣貴:
1986年東京生まれ。私立武蔵高校、早稲田大学理工学部卒。大学在学中は体育会ラクロス部に所属。 2010年株式会社商船三井入社。関連会社出向、本社経営企画部を経て2016年8月より、上海にあるChina Europe International Business School (CEIBS)に現在会社からの派遣でMBA留学中。

ブログ: CEIBS MBA日記 (http://ceibs2018.hatenablog.com)

<紹介文>

第1、2回では、大山さんがなぜ会社の制度がない中で、社費留学制度を作ってまで、中国MBAに行きたかったのか。第3回では、なぜ中国人エリートの働き方に興味をもったのか。第4回以降は、中国人同級生の取材を通してこれからの中国人エリートの働き方にせまります。

 

 

<第11話>キレッキレで人望アツい台湾人の「出来杉」くん。サムソンの熱烈オファーによりソウルへ

台湾人同級生Ernesto Chien :
1985年台北(台湾)生まれ。国立台湾大学、同大学院卒業後、グラクソ・スミスクライン(本社イギリス・ロンドン)に就職。台湾の実績が認められ、同社のリーダーシッププログラムのメンバーに選ばれ、ロンドンで1年間働いた後、同社の上海支店で働き、中国で更なるチャンスを掴むためCEIBSに入学。

台湾から上海MBAへ

大山:学年でもトップクラスに優秀なErnestoは、いろいろな会社からオファーをもらって、逆に進路に悩んでいると聞いたよ。キャリアの話は後で聞くとして、Ernestoの生い立ちについて教えてよ。大学までは台湾で育ったんだよね?

Ernesto:ハハハ。実は先週進路を決めたから後で教えるよ。そうだね。台湾の首都・台北で育って、大学、大学院と国立台湾大学に進んでバイオロジーを学んだ。そして、グラクソ・スミスクライン(*著者注:イギリス・ロンドンに本社を置く世界有数の規模を持つグローバル製薬企業、以下GSK)に入社したよ。

大山:国立台湾大学はErnestoに案内してもらったことあるけど、素晴らしいキャンパスだね。最初はGSKでは最初は台湾での勤務だったんだよね?

Ernesto:はじめはGSK台湾で勤務していたね。そこで営業やマーケティングをやっていたよ。そこでの実績が認められて、GSKロンドン本社のリーダーシッププログラムのメンバーに選ばれて、その後ロンドンに移ったよ。

大山:奥さんも国立台湾大学卒じゃなかったっけ?同級生?

Ernesto:同級生ではないよ。大学時代は知らなかった。GSK台湾で働いていた時に、そこで担当していた病院で今の奥さんと知り合ったんだ。彼女は違う製薬会社だったんだけど、同じ病院を担当していたんだよ。妻は台南出身で国立台湾大学の大学院を出て、薬剤師の資格を持っているよ。

大山:じゃあ、奥さんもキャリア思考なのかな?

Ernesto:CEIBSの女子みたいにバリバリ野心があるというわけではないよ。ただ、薬剤師の資格を持っていることで、ちょっとのブランクがあってもすぐに職を見つけることができるというのはあるね。ロンドンに一緒についてきた時も、その後台湾に戻った時にすぐに職を見つけたし、上海に移ってきてもそうだったしね。

台湾へ戻らず韓国へ

大山:Ernestoの今後のキャリアについて聞きたいんだけど、結局どこで働くことにしたの?

Ernesto:最後はイーライリリー(*著者注:世界最大級の製薬会社)のリーダーシッププログラムとサムスンのリーダーシッププログラムで迷ったんだけど、最終的にサムスンで働くことに決めたよ。サムスンでは中国・台湾の製薬・医療関連のビジネスデベロップメントの仕事に就く予定だよ。

大山:さすがね。イーライリリーのリーダーシッププログラムだって、超難関なのに……。台湾に戻るという選択肢はなかったの?

Ernesto:台湾に戻る選択肢はなかったね。台湾の経済は今あまりよくないし、人口も減少している。台湾にある有力な企業は限られているし、そこにある魅力的なポジションも限られているから、先が見えないと感じて若者の多くが海外に出て行くよ。台湾国立大学の同級生の6割くらいは、海外で働いていると思う。 これはまずいということで、台湾政府も若者の起業の支援に乗り出していて、海外で経験を積んだ友人が、台湾で起業するために戻るって話はちらほら聞くけど、僕が台湾に戻るのは、もう少し先だね。しばらく海外で経験を積んでからかな。

大山:そういえば昨年Ernestoの実家にお世話になった時に、ErnestoのGSK台湾の同僚の方々と一緒に食事したよね。同僚の方々がみんなアメリカの一流校のMBAホルダーで驚いたよ。台湾でいい仕事を得るのは本当に大変なんだね。

Ernesto:職を得るのが難しいだけじゃなくて、給料も全然違うんだよ。例えばイーライリリーでは、同じ仕事でも上海の給料は台湾の倍くらいになる。もちろん上海の方が生活費が高いから、簡単には比べることはできない。だけど、それもあってか、台湾から出て行く人が多いね。

台湾人は大陸に対して複雑

大山:Ernestoが思う台湾の問題点ってなんだと思う?

Ernesto:政治だね。個人的には台湾の政治は上手くいっているとは思えないし、多くの若者は支持していない。台湾には2つの大きな政党があるんだけど、少子高齢化の影響もあって、この2つの政党は共に若者のことを真剣に考えているとは思えない。互いに人気取りや相手の揚げ足取りばかりしているように見える。政治の混迷が、台湾経済の悪化を招いて、結果若者がどんどん海外に出ていっているように思うよ。

大山:台湾に行ってみて、日本と同じで、中国に対してネガティブな印象を持っている人が多いなと感じたよ。Ernesto がCEIBSに行くと決めた時に、周りの反応はどうだった?

Ernesto:多くの台湾人は中国のことを正しく理解していないし、しようともしていないから、一部の人からはどうして中国に行くの?って聞かれたよ。だけど、うちの母親はオープンマインドな人だから何も言わなかった。中国にチャンスがあるのは、誰の目から見ても明らかだからね。

大山:なるほどね。
話をキャリアに戻すと、最終的にイーライリリーとサムスンでサムスンを選んだ決め手はなんだったの?Ernestoは韓国語はしゃべれないよね?

Ernesto:韓国語は全くしゃべれない。これから勉強しなきゃいけないね(笑)。 実は、このサムスンのリーダーシッププログラムに今までCEIBSの卒業生が合格したことはないし、このポジションの台湾人も初めてなんだ。それに僕はCEIBSに来た当初の目的は中国でのキャリアアップであって、韓国なんて思ってもいなかった。だけど、最もチャレンジングだと感じたんだ。二番目は、待遇だね。給料含め、本当に破格のオファーをもらったんだ。おまけにサムスンは妻も雇うっていってきたんだ(笑)。

大山:それだけErnestoに来て欲しかったんだね。じゃあ奥さんもサムソンで働くの?

台湾人は日本人と家庭観が近い

Ernesto:いや、妻にはまずはゆっくりしてもらおうと思っているよ。僕がMBAに通っている間、慣れない上海でずっと働いて支えてくれたし。韓国でゆっくり何か勉強でもしたらいいんじゃないかな。子作りもしたいしね。

大山:台湾人女性の仕事に対する価値観って、中国人女性と似ているのかな?

Ernesto:いや、中国人女性とはちょっと違うかもしれない。むしろ日本に近いかな。未だに専業主婦の割合が高いしね。最近は、共働き家庭が増えたけど、それは単純に生活費を賄うのに一人の稼ぎでは難しいからっていうのが大きな理由かな。

大山:なるほどね。日本とシチュエーションが似ているね。Ernestoも子供が生まれたら、奥さんには家に入って欲しいの?

Ernesto:個人的には、お互い独立して働き続けた方がいいかなと思っているよ。お金のためというよりは、内の世界に入っちゃうと、ストレスが溜まった時に全部僕に来そうだしね(笑)。

大山:Ernestoの夢は?

Ernesto:世界中の国々を旅することだね。妻もメジャーではない国を旅するのが好きなんだ。そして、世界中に友達がほしいね。

キャリアのために父の最期を看とれなかった後悔

大山:輝かしいキャリアだけど、Ernestoは人生で失敗したことってある?

Ernesto:失敗かどうかわからないんだけど、ふたつあるよ。ひとつは、GSKの台湾での成果が認められて、本社のロンドンで働くことになって、キャリアとしては順調だったんだけど、そのために父親が亡くなった時に立ち会えなかったことだね。これは本当に難しい選択だったんだけど、キャリアを優先して台湾に帰国しなかったことを後悔していないと言えば嘘になるね。

大山:もうひとつは?

Ernesto:もうひとつは、大学受験の時だね。最初に入った大学は、台湾にある国立清華大学で、もちろんトップスクールだったんだけど、ほとんど学校にも行かずにゲームばかりして遊んでたんだ(笑)。本当に時間の無駄をしたよ。それに気づいた時、これではいけないと思って、国立台湾大学に入り直したんだ。だから、同級生よりも1歳年をとっていたんだけど、今思えば、あの経験は無駄じゃなかったかなって思うよ。あの時1年間遠回りしたことで、今後は同じような失敗や時間を無駄にしたりすることは絶対にしないと思う。仕事にしても、仕事場で愚痴を言ってる同期とかを見ていると、彼らより忍耐力があるのはあの経験があったからじゃないかなと思う。

大山:Ernestoでもゲームに夢中になってた時期があったんだね(笑)。 たしかに、Ernestoが弱気になったり、ネガティブな発言をしているのを見たことがないよ。どんな状況でも常にポジティブに打開策を探しているよね。
今日は本当にありがとう!


<第10話>キャリア女子の王道、仕事と子どもとMBA

<筆者プロフィール>

大山廣貴:
1986年東京生まれ。私立武蔵高校、早稲田大学理工学部卒。大学在学中は体育会ラクロス部に所属。 2010年株式会社商船三井入社。関連会社出向、本社経営企画部を経て2016年8月より、上海にあるChina Europe International Business School (CEIBS)に現在会社からの派遣でMBA留学中。

ブログ: CEIBS MBA日記 (http://ceibs2018.hatenablog.com)

<紹介文>

第1、2回では、大山さんがなぜ会社の制度がない中で、社費留学制度を作ってまで、中国MBAに行きたかったのか。第3回では、なぜ中国人エリートの働き方に興味をもったのか。第4回以降は、中国人同級生の取材を通してこれからの中国人エリートの働き方にせまります。

 

 

<第10話>キャリア女子の王道、仕事と子どもとMBA

中国人同級生Andrea Zhang:
1987年河南省洛陽市生まれ、高校から上海に移り、复旦大学にて会計学を学ぶ。卒業後、PwCへの勤務を経てCEIBS入学。趣味はスペイン語の勉強、水彩画、スキューバーダイビング等。

バルセロナ留学は、2歳の娘と母連れ、女3代で

大山:バルセロナのIESEに交換留学に行って以来だね。お久しぶりです。バルセロナにCEIBSから交換留学に行った中で、Andreaは唯一スペイン語をしっかり勉強していたけど、今も継続してる?

Andrea:2歳の娘が、上海に帰ってきてからもう3回くらい風邪を引いてしまったよ。今年は上海はとても寒いからね。スペイン語の勉強は続けているよ。私の趣味だね。スペイン語の勉強と水彩画が私の趣味なんだ。自分の時間ができた時にこれらをやると心が落ち着くし、最高に贅沢な時間だね。

大山:すごいなぁ。みんな仕事以外にもしっかりとリフレッシュできる趣味を持っているよね。それにしても交換留学に娘さんとお母さんを連れて行ったのにはびっくりしたよ。旦那さんはその間上海で働いていたんだよね?

Andrea:そうかな?娘にとっても、母にとってもとてもいい機会だと思ったからね。IESEは授業もハードにあったから、娘を連れて行く場合は、娘の面倒をみてくれる母は絶対必要だったね。夫はその間はもちろん上海で働いていたよ(笑)私の場合は、高校からずっと地元を離れて、両親と離れ離れで育ったから、バルセロナで母親と過ごした3ヶ月はとても貴重な時間で、母親との関係もよくなったよ。ただ、知っていると思うけど、中国人が欧州の旅行ビザをとるのはたいへん。娘と母のビザ取得に2ヶ月以上かかって、本当に一緒に来れるかは直前までわからなくて、ドキドキしてたよ。

大山:Andreaって大学も上海で、上海人っていう印象があるんだけど、ずっと上海で生まれ育ったわけじゃないんだね?

高校から選抜で上海の高校へ

Andrea:私の生まれ故郷は洛陽市(河南省の中の人口600万人程の都市、人口の9割以上は漢族)という場所で、そこで中学生まで育ったんだ。たまたま中学を卒業した時に、上海の学生の人口が少ないということで、上海市と洛陽市のプログラムで洛陽市の成績優秀な学生が上海市に移り住んで、上海の高校に進めるというプログラムがあって。それに応募して運よく採用されたんだよ。

大山:いやいや、それは運じゃなくて、間違いなくAndreaがめちゃくちゃ優秀だったからだよね(笑)中国人が他の市に移るのは大変なことだもんね。それから、上海の名門、复旦大学に進むんだよね?絵に描いたようなサクセスストーリーだ(笑)

Andrea:ほんとに運がよかったんだよ。たまたま私が応募した時は、まだそのプロジェクトの二期生で、応募者もそこまで多くなかったからね。翌年以降は、プロジェクトの認知度も上がって、グンと応募者も増えたと聞いているよ。

大山:复旦大学での専攻は会計学だよね?中国ではほんとに多くの優秀な学生が会計学の分野に進む印象があるよ。

Andrea:生物学とかも興味があったんだけど、生物学だったらアメリカの大学じゃないとだめだという周りの人の勧めもあって、会計学に進んだよ。そうだね。今はまた流行りの学科が変わっていると思うけど、私が高校生の時は、優秀な学生は、ファイナンスや会計学の学科に進んでいたよ。

大山:CEIBSの授業で教授も言っていたけど、当時は監査法人とかの給料がよくて、監査法人で働くことが社会人としての成功のモデルケースだったと聞いたよ。もちろん今はBAT(バイドゥ・アリババ・テンセントの中国の3大インターネット企業の総称)が出てきて、その時とは状況が全然違うのは明らかだけど。旦那さんとは大学で知り合ったの?

Andrea:夫は、复旦大学の同級生だよ。彼はIT系の学部に進んだ後に、ファイナンスの道に進みたくて、香港に留学して、ファイナンスを学んで、今は上海の投資銀行で働いているよ。出張も多くて、とても忙しそうだけど、彼は、今の仕事をエンジョイしているよ。

大山:Andreaは复旦卒業後PwCで働いていたんだよね?当時の中国人のキャリアとしては、これまた王道中の王道だと思うんだけど、AndreaはなんでPwCでのキャリアを捨ててCEIBSにMBA留学しようと思ったの?

キャリアチェンジのためにMBAへ

Andrea:一番の目的は、キャリアチェンジだね。これは自分の人生を懸けて、やりたいことじゃないかもしれないってPwCで働きながら思ったんだ。もちろんうちの両親は、一昔前の典型的な中国人で、私のPwCでのキャリアを誇りに思っていたから、反対されたけどね。今はちょうど就職活動中だけど、事業会社とか幅広くみているよ。二番目の理由は、いろんなバックグラウンドの人達にあって視野を広げたかったことだね。あなたみたいに面白い人がいっぱいいて来てほんとうによかったよ。

大山:MBAに行く決断をした時の旦那さんのリアクションはどうだった?

Andrea:私達は基本的に互いの決断はリスペクトしていて、応援しているから、夫はとても応援してくれたよ。彼はどうせだったらアメリカのMBAスクールも検討したらってアドバイスくれたんだ。彼がもし私の立場だったらということで、アドバイスをくれたんだけど、実は私たちは、大学卒業して一度別れていた期間があって、復縁してからまだそこまで時間が経っていなかったから、私としては、離れ離れで住むのは嫌だったんだ。これは男女の考え方の違いでもあるかもしれないね(笑)結局、MBAはCEIBSしか受けなかったよ。

中国の転職市場では、女性は子どもがいることが有利

大山:なるほどね。Andreaは娘さんがまだ2歳ということだけど、子育てとMBA生活の両立と大変だった?

Andrea:私はほんとうは、1年早く入学する予定だったんだ。それが入学前に、妊娠がわかって入学を1年遅らせたんだ。子育てとMBAの両立は、家族の支えがなかったらできなかったね。うちの場合は母親が助けてくれている。実は、MBAをとり終える前に子どもが欲しいっていうのはずっと考えていたことなんだ。

大山:ええ?ただでさえMBAはたいへんなのに、どうして?

Andrea:海外では考えられないことだと思うけど、中国では、女性の採用の際に、結婚していて子どもがいないと、採用に不利に働くことがある。せっかく採用しても産休に入っちゃう可能性があるからね。それに私の両親は古典的な中国人だから、結婚したらいつ子ども産むんだってずっとプレッシャーをかけてきていたからね(笑)いまうちの母親は、一人の子どもを育てる大変さを身にしみて感じているから、二人目を産みなさいっていうプレッシャーはなくなったね(笑)

厳しかった父、今は感謝

大山:Andreaの両親はどんな方々なの?

Andrea:二人とも、古典的な中国人だよ。父は地元で医者を、母は小学校で先生をしている。母はとてもオープンマインドで、それこそバルセロナにもついてきちゃう感じだね。父は、それとは対象的に、堅物な人で、バルセロナはもとより、上海にもめったにこないよ。もちろん医者という職業柄、責任感がとても強いというのもあるんだけど、私には彼がたまに理解できないことがある。それでもとても感謝していて。

大山:それはどんなこと?
Andrea:私が高校で上海にやってきた時に、今までとは違う言葉、環境に耐えきれなくてなって上海にやってきて2週間で両親に泣きながら電話したんだよ。私は地元に帰りたい。私はここにいるべきではないって。その時に父だけは、きっぱりと上海に残るべきと言って、聞いてくれなかった。その時、私は父のことが本当に嫌いになったけど、今になって思うと、本当にあの時の父の助言には感謝しているし、正しかったと思う。地元に戻っていたら今の私はないからね。多分复旦大学にもCEIBSにも来ていないと思う。今でも彼の考えや感情を理解するのは簡単ではないけど、本当に両親には感謝しているし、愛しているよ。

野心はそれほどないけど着実にステップアップしたい

大山:子育てについて、小さい頃からインターナショナルスクールに通わせて、海外の高校、大学に行かせる親が増えているけど、Andreaはどう考えている?
Andrea:今のところ、私と夫が受けてきたような、中国式の教育を受けさせようと思っているよ。もちろん娘のやりたいことや、才能に合わせるつもりだし、彼女がやりたいことが見つかれば、それを全力で応援するけど。もし海外の学校とかに娘が行った場合は、私か夫のどちらかがキャリアを中断してついていく可能性が高いから、今はそれは考えていないよ。

大山:Andreaにとって、理想的な夫婦像ってどんなの?

Andrea:お互いの決断をリスクペクトして、応援する今みたいな関係だね。私自身は、他のCEIBSの多くの女子同級生達みたいに、起業して大きな成功を収めたいとか、CFO、CEOに早くなりたいっていうのはないんだけど、着実にステップアップはしていきたいと思っているよ。

大山:Andreaは中国人女子のサクセスストーリーの王道だと思うんだけど、失敗したこととかってあるの?

Andrea:もちろんあるよ。大学受験だね。复旦大学はもちろん素晴らしい大学なんだけど、中高生の頃から私のドリームスクールは清華大学だったんだ。世界中の人々のドリームスクールがハーバードなように、私の中で現実的なドリームスクールは清華大学だったんだけど、結局入ることはできなかった。あとは、私は決められた道を これまで上手く走ってきたけど、実際の社会は違う。これから働く会社が、今まで働いていたようなインターなショルな監査法人みたいな整備された環境じゃなくて自分で何から何までやらなきゃいけないってなった時は、苦労するだろうね。それでもうまくやってしまうかもしれないけど(笑)

大山:Andreaならきっとどこでも成功するよ。今日はほんとうにありがとう!


<第9話>いなか町からアメリカへ 「勇敢である」「世界を愛する」「リスペクト」を教えた母

<筆者プロフィール>

大山廣貴:
1986年東京生まれ。私立武蔵高校、早稲田大学理工学部卒。大学在学中は体育会ラクロス部に所属。 2010年株式会社商船三井入社。関連会社出向、本社経営企画部を経て2016年8月より、上海にあるChina Europe International Business School (CEIBS)に現在会社からの派遣でMBA留学中。

ブログ: CEIBS MBA日記 (http://ceibs2018.hatenablog.com)

<紹介文>

第1、2回では、大山さんがなぜ会社の制度がない中で、社費留学制度を作ってまで、中国MBAに行きたかったのか。第3回では、なぜ中国人エリートの働き方に興味をもったのか。第4回以降は、中国人同級生の取材を通してこれからの中国人エリートの働き方にせまります。

 

 

<第9話>いなか町からアメリカへ 「勇敢である」「世界を愛する」「リスペクト」を教えた母

中国人同級生Rafael Tong:
1987年青海省西寧市生まれ。高校卒業まで青海省西寧市で育ち、ハルビン工科大学卒業後、シンガポール国立大学の大学院にて機械工学を学ぶ。卒業後ハリバートンに入社。シンガポールで2年弱勤務後、幹部候補に選ばれ、ヒューストンの本社で1年間のリーダーシッププログラムを受ける。シンガポールで2 年半同社プロジェクトマネージャーを経て、CEIBS入学。

(写真)CEIBSのキャンパスをバックに

青海省のいなか町から、米国のエネルギー会社へ

大山:Rafaは青海省の西寧市出身だよね?

Rafa:そうだね、CEIBSの同級生に同じ出身地の人はいないね。上海からはとても遠いし、とってもとっても田舎だからね(笑)。同級生は都会の裕福な家庭出身が多いから、僕みたいなバックグラウンドは珍しいね。

大山:Rafaの故郷で Rafaみたいに海外経験豊富な人は本当に珍しいだろうね。だけど自分の努力でのし上がって、本当にすごいと思うよ。Rafaの生い立ちについてまずは教えてよ。

Rafa:地元に、海外経験がある人なんてまずいないね。CEIBSのアドミッションオフィスにも確認したけど、CEIBSのEMBA(*著者注:起業家や上場企業幹部向けのMBAプログラム)とMBA卒業生合わせて2万人以上いるけど、僕の地元からは僕がはじめての入学者らしい。それくらい田舎なんだよ(笑)。 高校卒業まで、地元の青海省西寧市で育ったよ。

大山:西寧市のRafaのふるさとって、どんなところなの?

Rafa:青海省は、中国のチベット高原に広がる広大な省で、その割に人口は約500万人ととても少ない。チベット文化やモンゴル文化の伝統が強く残っている土地だよ。西寧市は漢族、回族、チベット族、モンゴル族等の民族が住んでいて、青海省では1番目の都市だけど、決して大きくないし、富裕な都市ではないんだ。

苦労して育った母に教わった「勇敢であること」

大山:ご両親は、どんな方たちなの?

Rafa:僕の両親について紹介すると、うちの母親はとてもたくさんの苦労をしてきた人なんだ。僕の母の母親は彼女が生まれてすぐに亡くなって、更に不幸なことに、母には兄と姉がいたんだけど、共に若くして亡くなってしまった。母は彼女の父親に育てられたんだけど、母の父親はアルコール依存気味で、僕の母にたびたび暴力を振るっていたらしんだ。僕の母親がどれだけ困難な環境の中で育ったか、想像がつくと思う。彼女は自分が受けられなかった愛情を、その分僕に注いで育ててくれたんだ。そして彼女同様に、常に勇敢であるように僕は育てられたよ。逆に僕の父親は、地元のとても裕福な家庭で生まれたんだ。父親はとても優しいんだけど、規律とか挨拶とかにはとても厳格な人だよ。

大山:そうか。もちろん、Rafaもひとりっ子なんだよね?

Rafa:そうだよ。父親は家庭ファーストの人で、僕が小さい頃、雨の日も雪の日も毎日、父が早朝学校まで車で送ってくれて、帰りも必ず迎えに来てくれた。家族の幸せのために自己犠牲できる人なんだ。

大山:大切に育てられたんだね。そのぶん、期待も大きかったんじゃない?

Rafa:そうだね。大学入試がうまくいって、奨学金付きでハルビン工科大学(*著者注:HIT。工学系では清華大学に続き中国で2番目に有名な大学)に進んで機械工学を学んだよ。その後、海外に行ってみたくて、シンガポールに行くことにしたんだ。シンガポール国立大学(*以下NUS)の大学院から奨学金付きのオファーをもらえたから。

リーマンショック後の就活は厳しかった

大山:ハリバートン(*著者注:テキサス州ヒューストンに本社を置くエネルギー会社)にR&D職で就職するんだよね。大学院での専攻と異なるのはどうして?

Rafa:僕が就職したのはリーマンショック後で、メーカーの機械エンジニアのポジションの募集がとても少なかったんだ。結局、機械エンジニアのポジションで内定をもらえた会社もあったんだけど、希望の会社ではなかったから、それ以外のポジションも受けることにしたんだよ。そんな中でハリバートンから内定をもらえて、世界中から優秀な人が集まっているのを知っていたから、とっても嬉しくて働くことにしたんだよ。同期50人のうち、中国人は僕1人だったね。

大山:就職活動では中国企業もみていたの?

Rafa:いや、海外で経験を積みたかったからシンガポール中心に、海外での就職に絞っていたよ。

大山:なるほどね、シンガポールで数年働いた後に、アメリカ・ヒューストンの本社でも働いていたって聞いたけど。

Rafa:1年半シンガポールで働いて、会社のリーダーシッププログラム(*著者注:多くの外資系の企業で、 優秀な社員をピックして、幹部育成のために年単位で特別なトレーニングを積ませる)のメンバーに選ばれたから、1年間アメリカの本社でトレーニングを受けたんだ。その後、シンガポールに戻って2年半働いたね。

大山:バリバリのエリートコースだね。リーダーシッププログラムなんて少数精鋭だろうし。

中国へ、戻りたかった

Rafa:リーダーシッププログラムに選ばれた社員は世界中から10人強だったね。本当にいい経験をさせてもらったよ。その後、シンガポールに戻って最年少でプロジェクトマネージャーに昇進することができたんだ。

大山:そんなエリートコースにのっかっていたのに、なぜ辞めてCEIBSに来ることにしたの?

Rafa:リーダーシッププログラムの中で 、アメリカのMays Business Schoolで1ヶ月間ハリバートンのリーダーシッププログラム用のカリキュラムを受ける機会があったんだ。そこで自分は今までR&Dしか知らなかったけど、マーケティングとかファイナンスとか今まで自分が全く知らなかったものに触れて、とても面白くてMBAに興味を持ったんだ。それに将来的には起業したいと思っているんだけど、そのための経営全般の知識が僕にはなかったからね。だからリーダーシップが終わったら、会社にお願いしてR&D職からプロジェクトマネージャー職に変えてもらったんだ。だけどそれでも、アメリカのビジネススクールでかじった、あの全然知らない世界に触れる刺激が忘れられなかったんだ。

大山:CEIBS以外のMBAスクールは考えなかったの?

Rafa:ハーバード、イエール、INSEAD(*著者注:フランス、シンガポールにキャンパスを持つ世界屈指のMBAスクール)を受験して、イエールとINSEADは合格したんだ。だけど、MBAに行きたくなった理由の一つに、中国に戻りたいという気持ちが芽生えていたこともあるんだよ。昔は中国から出たいとずっと思っていたのに、外で働いて中国のものすごい成長スピードを外から見ていて、母国に戻ってこの成長を肌で実感したいと思ったんだ。だけど僕には中国で働いた経験がないし、まずは中国でMBAをとって、ビジネスの全体の知識を身につけると同時に、中国のビジネス事情も学びたいと思ったんだ。僕が中国にいなかった間にものすごいスピードで中国は成長したからね。シンガポールにいた時は、年に数回しか中国に帰らなかったんだけど、それでも帰る度にその成長具合に驚いていたよ。

大山:そういえば、CEIBSの受験の際に、待合室でRafaに出会ったのを思い出したよ。その時、INSEADからもオファーをもらったと言っていたから、絶対にこの人はINSEADに行くんだろうなと思っていたよ。なんせ世界一のMBAスクール(*著者注:Financial TimesのMBAランキングでINSEADは2年連続世界1位に選ばれている)だからね。

Rafa:ハハハ。僕にとってはランキングより、中国で学べることの方が大きかったね。それにCEIBSのランキングだってとても高いし、僕にとってはCEIBSの方がメリットが大きいと感じたんだ。

(写真)奥さんと

妻はアムステルダム。信じ合ってるから別居は没問題

大山:奥さんとはどこで知り合ったの?

Rafa:妻とはNUSにいる時に知り合ったよ。彼女が学部生で僕が大学院で学んでいて、友達の紹介で。彼女は中国・武漢の出身で、NUS卒業後に、コグザント(*著者注:アメリカのIT企業)にITコンサルタントとして入社したよ。実は彼女も会社のリーダーシッププログラムに選ばれて、今オランダのアムステルダムにいるんだ。

大山:ものすごいエリート夫婦だね。彼女ももちろんバリバリのキャリア志向なんだよね?日本では、共働き夫婦を政府が後押ししようとしてはいるんだけど、Rafaはどうやってキャリアと家庭とどうやってバランスをとっていくつもり?

Rafa:妻もキャリア志向が強いね。大学からずっと海外で生活しているというのもあって、とても独立した女性だよ。もちろん将来的には子どもは欲しいんだけど、今この瞬間は、二人ともキャリアに集中するべきだと思っているんだ。よく周りから、離れて生活していて寂しくないかと聞かれるけど、そりゃ寂しいけど、お互いの考えを理解して尊重して、信じ合ってるから問題ないよ。だから去年籍を入れたんだけど、結婚式はまだしていないし、する予定も今のところないんだ。親からは、いつ結婚式するんだと聞かれるんだけど、親の世代とは考え方も価値観も違うからね、僕らはとても忙しくて、結婚式のプライオリティは今現在そこまで高くないんだよ。だけど、将来子どもを持ったら、3つ選択肢があると思ってる、1つ目は、両親に面倒をみてもらう、2つ目は、ヘルパーを雇う、3つ目は僕と妻で1年間くらい交互に仕事を休んで、面倒を見る。

大山:えっ? Rafaも1年間くらい仕事を休むの?

Rafa:妻と僕は完全に平等だと思っているからね。女性だけキャリアを中断して子育てをするのはおかしいと思っている。お金より、キャリアより、幸せな家庭を築くのがいちばんだからね。そのためには1年くらい仕事しなくても全然問題ないよ。

大山:Rafaにとって理想の夫婦像って?

Rafa:お互い刺激し合えて、互いに尊敬できる関係かな。彼女は全然僕と違うバックグラウンドだから話していて、常に新しい刺激がもらえるよ。

妻も、CEIBSをめざす

大山:奥さんは、ずっと海外で働く予定なの?

Rafa:いや、実は奥さんも中国に帰りたいと思っているところなんだ。彼女の場合、僕より長く中国から離れているからね。それで実は僕は、奥さんにCEIBSを勧めていて、彼女も前向きで、今受験の準備をしているんだよ(笑)。

大山:夫婦ともCEIBSを卒業するなんて素敵だね。そしてRafaは本当にCEIBSが大好きだね。もちろんみんな大好きなんだけど、その中でもRafaは特にCEIBSのことが気に入っているように感じるよ。

Rafa:CEIBSのことが大好きだし、CEIBSの全てに大満足で、本当にCEIBSに来てよかったと思っているよ。授業の質もさることながら、本当に生徒が多彩なバックグラウンドで、優秀な同級生ばかりで本当に世界が広がったよ。

失敗を失敗としてとらえない

大山:卒業後はすぐに起業するの?

Rafa:まだ中国で働いた経験がないから、まずは数年は中国のどこかの企業で働こうと思っているよ。

大山:最後にRafaのキャリアはピカピカだけど、今まで失敗したことってあるの?
Rafa:そりゃたくさん失敗はしてきているよ。例えば、リーマン・ショックの時に就職活動をしてエンジニアの職を得られなかったことだって、失敗といえば失敗だよね。だけど、親の教育の影響もあるけど、昔からあまり失敗を失敗としてはとらえないんだ。チャレンジしたら失敗はつきものだし、その度に成長できるしね。僕は本当に貧しい田舎の出身で、チャレンジしてここまで来ることができたからね。だからこれからも失敗を恐れずにチャレンジしていくよ。

大山:両親から教わったことで大事にしていることってある?

Rafa: 2008年の四川の大地震を覚えているかな?彼はその時約3ヶ月程、ボランティアに励んでいたよ。そんな両親の影響で、僕は勇敢であること、世界を愛して、常にリスペクトを忘れないことを学んだよ。確かに僕の家庭は、他のCEIBS同級生に比べて豊かではないかもしれない。だけど、彼らは僕にそれよりもとても大きなものをくれたんだよ。

大山:それはなんだろう?

Rafa:大学卒業を控えて、海外に行こうか悩んでいる時に、母親に言われた言葉を忘れたことはないよ。
息子よ。広い世界を見てきなさい。もしあなたが、そこで幸せを見つけたのなら、私はそれ以上の幸せはない。もし幸せになれなかったら、だいじょうぶ。いつでも故郷に帰ってきなさい


<第8話>マルチリンガル、コンフォートゾーン出て東京へ 夢は仕事で社会をよくすること

<筆者プロフィール>

大山廣貴:
1986年東京生まれ。私立武蔵高校、早稲田大学理工学部卒。大学在学中は体育会ラクロス部に所属。 2010年株式会社商船三井入社。関連会社出向、本社経営企画部を経て2016年8月より、上海にあるChina Europe International Business School (CEIBS)に現在会社からの派遣でMBA留学中。

ブログ: CEIBS MBA日記 (http://ceibs2018.hatenablog.com)

<紹介文>

第1、2回では、大山さんがなぜ会社の制度がない中で、社費留学制度を作ってまで、中国MBAに行きたかったのか。第3回では、なぜ中国人エリートの働き方に興味をもったのか。第4回以降は、中国人同級生の取材を通してこれからの中国人エリートの働き方にせまります。

 

 

<第8話>マルチリンガル、コンフォートゾーン出て東京へ 夢は仕事で社会をよくすること

Christine Fan:
1987年上海生まれ。高校まで上海。フランス・ディジョンフランスのバーガンディビジネス学院卒業。卒業後、スポーツブランド・デカトロンで働いた後、上海でデカトロンの上海ビジネス立ち上げに従事。1年間のバックパック旅行を経て、アメリカで半導体会社へ。同社の上海進出のタイミングで自身も出資し、上海でビジネスを立ち上げる。2016年、MBAを取得するため日本のグロービスへ進む。卒業後はオイシックスドット大地で働きながら、上海で自身の会社を経営。東京在住。
*今回のインタビュイーは、CEIBSとパートナーシップ関係にあるグロービスの卒業生です。

オイシックス勤務と、上海の会社経営

大山:すごいキレイなオフィスだね(*著者注:品川区大崎の高層オフィスタワー)。

Christine:オイシックスと大地を守る会が経営統合してオイシックスドット大地(以下オイシックスhttps://www.oisixdotdaichi.co.jp)になったのは知っているかな?それ以降、このオフィスに引っ越してきたよ。

大山:そもそもCEIBSとグロービスはパートナー校で、毎年CEIBSには1週間海外モジュールがあって、その際にグロービスにお世話になるんだけど、その時にオイシックスのケースを学んだのと、実際に企業訪問もして興味を持ったから、もちろん知っているよ。

Christine:私はオイシックスでインターンをする機会があって、ちょうどオイシックスが中国に進出するタイミングでもあったから、とてもおもしろいタイミングで、いい経験をさせてもらったよ。

大山:それで今オイシックスでフルタイムで働いているの?Christineは自分のビジネスを持っているって聞いたことがあったけど。

Christine:うーんフルタイムの定義が難しいけど、オイシックスでしっかり働いているよ。同時に上海で会社も経営しているよ。

大山:なるほど、さすがオイシックスは働き方とか多様で進んでいるね。仕事の話の前に、まずはChristineの生い立ちについて教えてよ。

英中バイリンガル。大学はフランスへ

Christine:上海で生まれて、高校までは上海で育ったよ。インターナショナルスクールに通っていたから、英語は小さい頃からできたね。それで大学は海外に出ることにしたんだ。英語も中国語も通じない場所でチャレンジしたいと思って、フランスのディジョンにあるバーガンディービジネス学院(Burgundy School of Business)に進学したよ。そこでは主に国際ビジネスを専攻していた。大学にいる時から、きちんと独立したビジネスウーマンになりたいと思っていたし、起業のアイデアもたくさん考えていたよ。
卒業後は、デカトロン(フランスのスポーツブランド )に就職して、1年弱働いたところで、中国に進出する話が出て、その会社の上海支店の立ち上げをするため、上海に戻ったんだ。

大山:なるほどね。あれっ、だけど旦那さんはアメリカ人だよね?フランスで知り合ったの?

Christine:上海で働いていたんだけど、会社を辞めて1年間休暇をとって、バックパックで世界中を旅することにしたんだ。その旅先のルアンパバーン(ラオス)で、ちょうど一人旅中の彼と出会ったんだ。

大山:えっ、僕もルアンパバーンは5年ぐらい前に行ったことあるけど、そんなロマンチックなことが起こる場所だったなんて……(笑)。

Christine:具体的には、ルアンパバーンにあるお寺で朝僧侶さんのいろいろな儀式がみられるんだけど、そこで出会ったね。その後彼と一緒にバックパックで旅を続けたよ。

大山:日本では、Christineみたいに会社に入ってからキャリアを中断して、1年以上休みをとって旅や留学する人は少ないんだけど、Christineはキャリアが中断されることに対して恐さはなかった?

Christine:全く恐くなかったね。上海ではスキルを持った人に対する需要、求人がたくさんあったし、自分のスキルなら旅から戻った後にちゃんと仕事を得られる自信があったよ。旅に出る準備をしている時はとにかく興奮していて恐さは全くなかったね。

ギャップイヤーは自分を強くしてくれる

大山:1年間の旅行に出ることのメリットとデメリットって何だと思う?

Christine:ほとんどデメリットは思いつかないね。旅に出てよかったことしかないし、全てが私によい影響を及ぼしているよ。例えば旅の経験からポジティブシンキングを身に着けたよ。最初は気持ちが落ち込むことがあったんだけど、旅の最中に、夜空に浮かぶ月、星、透き通った青空、朝日と夕日を見ればそんなものはどうでもよくなって、未来は必ず明るいと思えるようになったんだ。だから、気持ちのコントロールはできるようになったね。後は、今上海で会社をやっているけど、そのビジネスのアイデアもこの旅の途中に思いついたんだ。なによりも、夫と出会ったのが旅の一番の宝物だね。

大山:家族は心配していなかった?

Christine:両親は心配していたよ。旅に出る前も、両親との関係は悪くはなかったけど、ときどきうまくいかないこともあったんだ。だけど、旅に出て、家族のありがたさを感じる時間も多くて、旅から戻ってきた後の方が断然、両親との関係は良好だね。この1年間での様々な経験が、その後の私の全ての意思決定に影響を与えているね。

大山:なるほどね。その後は上海に戻ったの?

Christine:いや、その後2年間、夫の故郷であるアメリカ・ペンシルベニア州に移住したよ。半導体の会社で働いていたんだけど、その会社が中国進出することになって、私自身が出資して、その会社とのジョイントベンチャーを上海につくることにしたんだ。それで夫と話し合って上海に移ることに決めたんだ。

大山:なるほど、それが今、Christineが経営している会社なわけだね。その後、日本のグロービス(http://www.globis.co.jp)に行くことになるわけだけど、それは何がきっかけだったの?

コンフォートゾーンを出て、日本へ。グロービスでMBA取得

Christine:上海に夫と住んでいて、上海はあまりにも快適過ぎる(Too Comfortable)と感じ始めたんだ。コンフォートゾーンに安住してしまっていて次のチャレンジをしづらくなる。このままここにいちゃ行けないっていう感覚。わかるかな?

大山:僕自身も、数年おきに住む場所を変えているし、同じような感覚がMBAに行くひとつの動機だったからとってもわかるよ。それで日本が候補に上がったんだね。

Christine:中国、ヨーロッパ、アメリカと住んだことがあって、それ以外の国でビジネスとしても文化的にもおもしろそうな国ということで日本が候補に上がったよ。そんな話をしている時に、上海でMBAのイベントがあって、そこにグロービスが来ていたんだ。MBAはいつか取りたいと思っていたから、そこでグロービスの担当者の話を聞いて面白いと思ったのと、ちょうどフルタイムMBAの一次締切が迫っていて、奨学金のチャンスがあると聞いて、夫と相談して応募したんだ。本当にタイミングだね。

大山:なるほど、よくわかったよ。グロービスのフルタイムMBAは通ってみてどうだった?僕は1週間しかお世話になっていないけど、講師のレベルは本当に高いなと感じたけど。

Christine:全体の評価として、とても満足しているよ。MBAのハード面とソフト面とあるとしたら、内容とか講師陣とかはハード面だね。この点には本当に満足している。ソフト面のインターナショナルな卒業生ネットワークは発展途上だね。もちろん日本人のネットワークは素晴らしいものがあるし、ある程度経験を積んだマネージメント層の方々もいるんだけど、インターナショナルMBAは学生も全体的に若いし、人数も少ないからね。だけどこれから必ず発展していくと思うよ。

大山:グロービスの日本人ネットワークは国内イチだからね。Christineもそのグロービスの日本人ネットワークを上手く使ってオイシックスで働くチャンスを得たわけだし。オイシックスで働いてみてどう?

Christine:オイシックスで働くことを決めた理由は大きく3つあって、1つ目は、フレキシブルに働けるということ。自分の会社もあってそっちも続けながら働くことができるから。2つ目は、事業が何かしら社会貢献につながっていること。オイシックスが上海で流行ることで、中国の食の安全問題に少しでも貢献できるからね。オイシックスは昨年中国市場に進出して、安心安全な食材を中国でも広めるべくがんばっているよ。私はマーケティングを中心に責任者として何でもやっているね 。3つ目は、そこで働いている人だね。オイシックスの人達は本当にいい人が多い。特に海外事業部の上司の高橋大就さんには本当にお世話になっているよ。彼は海外経験も長いし、一方的に命令されるというよりは、常にディスカッションという感じで、とても自然なコミュニケーションがとれるよ。

大山:高橋大就さんは僕も存じ上げているけど、ご自身が「東の食の会」(https://www.higashi-no-shoku-no-kai.jp)と兼業しているし、Christineの状況に理解があったんだろうね。では、難しい点は何?

Christine:やっぱり日本語かな。オフィスの共通言語は日本語だから、たまにとてもストレスを感じることはあるよ。だけど、この数ヶ月でグロービスでの1年分よりもはるかに日本語が上達したと感じているよ。日本語の上達という点ではいい環境だと思うよ。

今度は、逃げない。仕事を通じて社会をよくしたい

大山:ところで毎回 、ここで取材する人達はあまりにも皆成功している人達ばかりだから、全員に聞いているんだけど、Christineにとって一番大きな失敗って何?

Christine:最初のフランス企業で働いている時に、中国進出の話が出て、それで上海に移ったって言ったけど、実はそれは私の中では、その場から逃げ出したということでもあるんだ。初めての、それも海外での就職で、なかなか会社に馴染むことができず、楽なところに逃げ出したいと思ったんだ、それでたまたま上海進出の話が出たから、10ヶ月くらいで諦めて中国に戻ってきてしまった。あの経験は私にとっての人生のターニングポイントだったよ。

大山:その状況ってオイシックスでのChristineの今置かれている状況に似ていたりしない?

Christine:その通りなんだよ。日本人の働き方で疑問に思うこともあるし、日本語が話せる中国人もいるから、自分だけ日本語が話せない時は、歯がゆい思いをすることもあるね。だけど、あの時の経験があるから、私はもう絶対に逃げ出したりしないよ。

大山:Christineのキャリアを通しての夢は何?

Christine:仕事を通じて、社会をよくしたい。オイシックスでの仕事はまさにそれが実践できていて、満足しているよ。

親の期待と投資を受けたひとりっ子に、専業主婦の選択はないの

大山:旦那さんも、オイシックスで働いているの?

Christine:いや、夫は日本で独立して働いている。彼は今、海外のMBAとか大学院に行きたい受験生や、日本の大学院でも英語のカウンセラーが必要な受験生はいるから、彼らを対象に英語の総合的なカウンセリング業務をやっているよ。実は彼と私は全然考え方が違うんだ。私は、これをクリアしたら次の挑戦、という具合にどんどんアグレッシブにやっていくタイプなんだけど、彼は、ゆっくりリラックスしながら働きたいタイプ。でもいいバランスで、住む場所含めて二人で相談して、毎回決めているよ。

大山:Christineにとって理想の夫婦像、家族像って?

Christine:お互い独立しているけど、大事な決断は2人でちゃんと話し合える今みたいな関係だね。他の場所に移り住むなら必ず2人一緒に移るからね。あと、子どもはまだいないけど、2人とも子どもが大好きだから、絶対に欲しいね。中国では、おばあちゃんが孫の面倒をみることが普通だから、子どもが生まれても仕事を続けられると思っているよ。もちろん私と夫も平等に子どもの面倒をみるけどね。そしてできれば、子どもにも1ヶ所にとどまることなく海外でいろいろな経験をしてもらいたいね。

大山:Christineもご存じの通り、日本では女性の社会進出を後押ししようと政府、企業ともに努力しているけど、中国との違いは何だと思う?

Christine:2つ理由があると思っていて、1つはよく言われている、家族のあり方の違い。日本の家族の方が、1人1人がより独立しているね。中国では、必ずと言っていいほど、おばあちゃんが孫の面倒をみるからね。もう1つは、ひとりっ子政策の影響がとても大きいと思う。私たちは小さい頃から、男女関係なく、家族から教育面で金銭的に多額の投資をされ、期待されてきた。それは幼い頃から感じていて、だからそれだけの期待と投資を受けて、専業主婦になるという人はなかなかいないと思うよ。

大山:なるほどね。ひとりっ子政策の影響は間違いないね。今はふたりっ子政策で、これからまた変わっていくだろうけど、それが将来どう女性の働くことに対する意識に影響を及ぼすかとても興味深いね。今日は本当に貴重なお話をありがとう!