<第14話>33歳理系、上海MBA→上海で起業。型破りは武器

【前編】上海で起業。原点は20歳のひとり旅

<筆者プロフィール>

大山廣貴:
1986年東京生まれ。私立武蔵高校、早稲田大学理工学部卒。大学在学中は体育会ラクロス部に所属。 2010年株式会社商船三井入社。関連会社出向、本社経営企画部を経て2016年8月より、上海にあるChina Europe International Business School (CEIBS)に社費派遣でMBA留学、2018年3月卒業。

ブログ: CEIBS MBA日記 (http://ceibs2018.hatenablog.com)

<紹介文>

第14話は、大山さんと同じクラスの日本人同級生を取り上げます。CEIBS2018年3月卒業の中西豪さんは自費でCEIBSに進学。在学中に上海で起業し、中国企業の海外販路開拓支援・製品輸出入関連のビジネスを展開中です。CEIBSまでの道のりと、中国での起業体験についてのインタビューを、前後編にわけてお届けします。

日本人同級生 中西 豪(なかにし ごう):
1984年パリ(フランス)生まれ。4歳までパリ、その後は横浜市で育つ。横浜市立大学大学院修士課程修了後、BASF(ドイツに本社をもつ、150年以上の歴史をもつ世界最大の総合化学メーカー)の研究職として入社。2012年香港で現地のスタートアップ企業、2014年株式会社エーザイ上海支社を経て、2016年CEIBS入学。在学中の昨年にINTEGRAL.Co.,Ltd.を創業。

【前編】上海で起業。原点は20歳のひとり旅

パリ生まれ。離婚後、母が僕ら3人を育ててくれた
大山:中西さんは昨年中国人の奥さんとの間にお子さんが産まれ、上海で起業もされました。まずは中西さんがなぜ中国寄りになったのか、生い立ちについて教えてください。

中西:実は生まれはフランスです。商社マンだった父のパリ駐在中に僕が生まれました。兄と姉がいます。4歳の時に帰国し、父と母は離婚しました。母は3人の子どもを養うために懸命に働いてくれましたが、それまで専業主婦で手に職があったわけではなかったので、僕たちの生活は豊かではありませんでした。父はその後輸入業で起業して今も商売をしています。生活費の仕送りはしてくれていたようですが、父と私が再会したのは20年後、姉の結婚式です。

大山:なんと、中西さんの起源はフランスだったんですね。

中西:そんな状況だったので小さい頃はあまり学業に熱心ではありませんでした。母から勉強について細かく言われたこともないですし。大学は横浜市立大学と慶應大学に受かったのですが、家計への負担と行きたい学部を考えて横浜市立大学に行きました。専攻は理学部機能科学科です。当時は製薬研究に憧れていて、横市はバイオ医薬の研究分野で有名だったので。

大山:今のところ、フランスで生まれた以外は、海外とは無縁の生活ですね。

中西:20歳の時に母がガンで他界し、その年に井深大奨学基金(*著者注:ソニー創業者井深大さんの遺産で設立された奨学金。毎年全国の大学から10人程度学生を選抜し、学費と学生の課外活動を支援)の奨学生に選ばれ、その資金を元手にアメリカ西海岸縦断に一人旅に出ました。貧乏旅行だったんですけど、そこで自分より若く行動的で夢を持っている外国人と出会い、一緒に旅をしました。

大山:なるほど。

中西: 中国、インド、ロシア、イギリス、スウェーデン、オーストラリア、アメリカなど世界中の若者がそれぞれの目的で旅をしていました。多くは高校生で、大学に入る前の長い夏休みに世界を旅するのだとか。一緒にメジャーリーグを観に行ったり、街を散策したり、夜には思いを語り合ったりしました。富裕層のロシアの学生は、アメリカの大学に留学することに。貧困層のインドの学生は奨学金が得られ、現地でホストファミリーも見つかったためアメリカ留学することに。オーストラリアの学生は、大学に入ったら猛烈に忙しくなるので入学前に世界を自分の目で見るために一人旅していました。その時「ああ、自分は世界のこと何も知らないんだな。世界にはこんなに多くの可能性があり、それを実行しようとしている若者がいるんだな。英語が話せないと何もできないんだな」と思いました。それから日本に帰り、すぐに英語を勉強し始めます。

大山:しっかり行動に移して英語を勉強するのはさすがです。

26歳、勝負のために香港へ
中西:生化学(糖タンパク製剤の合成研究)の研究のため大学院に進み、修士課程修了後、ドイツ本社の総合化学メーカー・BASFの東京支社にR&D (研究開発)職で入社します。同僚のインド人と仲よくなり一緒に遊びにいくようにもなりました。彼は頭がいいうえに社交的でいろいろなことを学びましたが、あり得ないスピードで昇進していく彼に疑問を持っていました。そこで初めて「リーダーシッププログラム」(*著者注:幹部候補生用のプログラム、外資企業では入社時点から幹部候補は別採用で、入社後も別のトラックを歩むことが多い)の存在を知りました。

大山: 日本企業でリーダーシッププログラムを持っている企業は少ないですね。

中西:彼はインド経営大学院(Indian Institutes of Management)を卒業していたのですが、彼のみならずリーダーシッププログラムに選ばれている外国人は頭がよく、このままでは彼らに絶対に勝てないと思いました。また、彼らとの触れ合いの中で徐々にビジネスのフィールドに興味を持ち始めていました。そこで当時既に中国が世界に台頭し始めていたので、その現状を自分の目で確かめるべく北京、上海と西安を旅行しました。今後中国でビジネスチャンスが生まれると直感し、彼らとは別のフィールドで勝負しようと、3年で退社。中国語が話せなかったので、まずゲートウェイである香港に行きました。

大山:日本で香港での職を見つけて行ったんですか?

中西:いや、香港に行ってから職を探しました。そして、日本人がオーナーのスタートアップ企業に就職し、2年ほど働きました。

大山: 業種は?

中西:商社です。断熱塗料などの機能性塗料やホルムアルデヒドを分解する化学触媒の日本からの輸入、中国および海外での販売です。元は自動車用の液晶ディスプレイなどの輸入をやっている会社で、化学品部門の新規立ち上げの際にスタッフ第1号として参画しました。そこから部門マネージャーとして、香港人や中国人のスタッフを雇い営業チームを作っていきました。カタログなど何もなく、イチからの立ち上げでした。最終的には香港ディズニーランドへ床の滑り止め塗料を販売したりするまでになりました。

中国語習得のため北京へ
大山:その後、なぜ北京へ?

中西:中国語を伸ばすには中国本土に行くしかないと、北京語言大学に半年間語学留学して、株式会社エーザイの上海の現地法人に就職しました。僕は一つの有名企業に長く勤めていたような日本の大企業ウケするキャリアではないので、職探しは苦労したのですが、たまたま運よくエーザイの上海支社副社長が、元々とあるプライベートエクイティファンドの創業者で、彼の目に止まりBusiness Development(事業開発)職でひろわれました。エーザイでは2年近く働きました。

大山:中西さんのようなキャリアはおもしろいし、意志を感じて魅力的に思いますよ。

中西:上海で実際に働いてみて、中国ビジネスでは人脈が一番大事だと身をもって感じました。そこで、中国で最も良質な人脈を築き、起業への足がかりを得ることを期待してCEIBSに入りました。

大山:CEIBSの受験はすんなりいきましたか?

中西:いやGMAT(*著者注:海外MBAを受験する生徒は必ず受験するセンター試験のようなもの)は本当に苦労しました。CEIBSからの奨学金を狙って高得点を目指していたのですが、独学だったこともあり簡単にはとれませんでした。また、直前まで職場にオープンにできなかったので、働きながらの勉強は大変でした。(後編に続く。)


Hirotaka Oyama

投稿者について

Hirotaka Oyama: <プロフィール> 1986年東京生まれ。私立武蔵高校、早稲田大学理工学部卒。大学在学中は体育会ラクロス部に所属。 2010年株式会社商船三井入社。関連会社出向、本社経営企画部を経て2016年8月より、上海にあるChina Europe International Business School (CEIBS)に現在会社からの派遣でMBA留学中。 ブログ: CEIBS MBA日記