第17回:中国式アポイント

2016年9月11日 / カイシャの中国人



(写真)そういえば、自分のスケジュール帳を持っている中国人は少ない


 中国で仕事をした経験のある方なら、中国でのアポイントの取り方が日本とはずいぶん違うと感じるはずだ。特に政府機関とか企業でも偉い人のアポイントを取る時は、みんな苦労したことがあるだろう。

 僕の経験をもとに言うと「中国式アポイント」には2つ特徴がある。まずひとつは「直前まで返事がもらえない」ということだ。特に日本本社の偉い人を中国の要人に会わせようとした場合、日本側は中国出張手配の都合もあるから、せめて1週間前ぐらいにはアポイントの可否について返事が欲しい。しかし結果的に断わられるのは仕方がないのだが、1週間前ではアポが可能なのかどうかの返事すらもらえない。ひどいケースだと前日になって結果がわかることもある。

 どうしてこうなるか?中国の偉い人のアポイント対応はおそらくこうだ。基本的にダブルブッキングでも受けておく。そしてアポイント当日に近くなると自分にとって最も会う意義がある人を選び、それ以外の人にはお断りを入れる。もし中国側の相手が政府機関のトップ(主任等)のアポイントの場合だったら、次席である副主任クラスの人でどうかと言って来ることもある。いずれにしろ対応はあくまで自己都合的だ。そう言えば中国の偉い人が自分のスケジュール帳を見る光景はみたことがない。でも直前にアポイントを断られた側にとってはたまったものではない。

 僕はもう中国に8年以上いるので、もう何百件もこうしたアポイントをアレンジしてきたのですっかり慣れっこになってしまった。しかし中国でもこうした“悪しき文化”はビジネスの世界に入らないと経験できないので、僕の会社の中国人社員でも最初は面食らう。日本側からは「俺の予定が立たないから、早く返事をもらえ」とプレッシャーをかけられ、中国サイドからは「主任のスケジュールは、○○が終わらないと確定できないから待ってくれ(つまりまだ値踏みされている段階)」などと言われ、その結果、この社員は双方の板挟みになって苦しむことになる。

 中国式アポイントの2つめの特徴は「アポイントの優先順位」だ。第1番は自分の組織上の上司、第2が親しい友人、第3がその他外部という順番だ。つまり日本のビジネスマンとはまったく逆だ。たとえ外部の人からのアポイントにOKを出して日程が確定していても、自分の組織の上層部とか中央政府からのアポイントが来たら、外部からのアポイントは前日でもひっくり返す。それが例えば重要な顧客だとしてもおそらく断るだろう。

 一昨年のことだったかと思うが、北京の日本大使館の大使が在北京の日本企業トップらを引き連れてある省の書記(省のトップ)を訪問する予定が組まれていた。これだけの人数の使節団だから当然、日程はおよそ1ヶ月前には確定していた。ところが1週間ほど前にキャンセルになったのだ。聞くところによれば、その日に中央政府の偉い人がその省を訪問することになったという。こちらは在中国の大使でいわば国の代表だし、訪問する企業トップはその省への投資について相談に行くのだからいわばお客様だ。日程は急きょ変更されて数週間後に訪問団は無事に書記に会うことができたが、まさに「身内優先」という我々の常識ではありえない対応だった。

 中国がなぜこういう習慣、文化になっているかは容易に想像がつくだろう。国全体が党や政府を頂点としたヒエラルキー構造になっているからだ。だから仕事に関するいろんな行動も上からの命令が絶対的になる。中国人の仕事がとかく“内向き”になってしまうのも仕方がない。しかしグローバルなビジネスの世界になるとこういう文化は通用しない。市場経済を標榜しグローバル経済に組み込まれた中国には、そろそろこういう悪しき習慣を変えてもらわなければならない。

 もうひとつ例をあげよう。今年の春頃、僕はある政府の方から日本訪問に関しての協力依頼があった。現在日本への入国ビザ取得に際しては、日本のしかるべき機関からの「招聘状」が必要になっている。それで政府の方から僕の会社にその招聘状を出してもらえないかと依頼がきた。僕の会社はこの政府の訪日活動とは直接関係はなかったが、いつも日本入国で煩わしい事務手続きを課しているのは日本国の方なので、何とか協力してあげたいと思い、日本本社の決裁を取り招聘状を作成してもらった。

 ところが、訪日の1週間前になってこの政府から訪問中止の知らせが入った。その理由は「訪問する政府要人の訪日に関して、上層部からの許可が出なかった」というものだ。なぜ許可が出なかった等々については、中国政府の事情なのでよしとしよう。しかしこの政府の担当者からは、招聘状を作成した僕や僕の会社には何一つお詫びの言葉が来なかった。人にものを頼んでおいてそれをキャンセルしたというのにだ。僕はこの対応には少々頭に来た。

 訪日予定だったこの政府の要人から見れば、自分の出国を許可しなかったのは政府の上層部であり、自分の責任ではないということなのだろう。自分の責任ではないからお詫びするということも思いつかないのか。かように中国式アポイントは、未だにどこまでも自己中心的だ。中国の役人にとって、訪日アポイントであっても面会を“お願いする”類のものだと認識していないのではないかと思う。

 中国人の友人は、日常のビジネス行為における「相手への気遣い」の考え方が日中でちょっと違うのではないかと指摘してくれた。中国人はとても友人関係を大切にする。もし僕がこの政府の人の大切な友人だったりしたら、訪日キャンセルしたことでお詫びの言葉どころか何か贈り物を送ってきたりするだろう。しかしそうでない、ましてや日本入国ビザといった中国側からみればやや屈辱的な手続きで支援を受けた相手など、気を使う対象ではないというわけだ。

 日本人は、親しくない他人に頼まれたりすることにはえらく気を使ってしまう。中国人とはまったく逆だ。アカの他人にこそ最大限の気を使う。そう言えば思い当たることがある。日本人は電車の中や会議では自分の携帯電話が鳴っても出ない、目の前にいる他人に失礼だからだ。親しくない人に思わずお世話になった時などには丁寧なお礼をすることもいい例だ。社会の文化の違いで、大事な人の順番が日中では違うのだ。

 そう思えば、中国政府のスポークスマンの外国メディアへの高飛車な態度は、あながち大国のプライドとかいうものだけではなさそうだ。中国人はアカの他人には媚びないのだ。僕は「中国式アポイント」には辟易しているが、日本人の例えば身内を紹介するときに名前を呼び捨てにするといったような極端な“身内軽視主義”も、改めて考え直してみた方がいいかもしれないと思う。



第18回:日本人の見分け方

2016年9月11日 / カイシャの中国人



(写真)こういう場所で日本人だと分かると、ちょっと怖いんです(汗)


 中国人、韓国人と日本人、同じ顔をしていても背景となる歴史・文化が微妙に違い、考え方に大きな違いがある。欧米人から見れば同じ東洋人だから考え方なども同じじゃないかと思うかもしれないけど、我々日本人は、この違いこそが中韓両国との争いの原因なのかもしれないと思っている。まあ、我々もドイツ人とフランス人の違いなんてよくわからないわけだが、彼らに言わせれば全然違うということになるだろう。

 中国人の友人に言わせると、日本人は「見てすぐ分かる」という。その主なポイントは「外見」と「動作」だと言う。まず外見で言えば、服装がそもそも違う。中国人がスーツを着る場所は、正式な儀式や相当大きな会議とかに限られている。公式の会議でも夏の暑いときなどは、国家のリーダークラスでも開襟シャツを着ているのをテレビでよく見る。日本はクールビズが許されるようになったのはごく最近のことだ。真夏でも暑苦しいスーツを着ていたりするのは、世界中では日本人だけかもしれない。

 日本人の男性はスーツを着ている人が多いので、すぐ見分けられると言う。最近はそういうことが日本でも伝わっているので、仕事の時でも中国ではカジュアルな格好をしている日本人が多くなったが、それでも「着こなし」が中国人と違うので、やっぱり日本人だと分かるらしい。一方女性の場合は、服装の「色使い」ということになるのだろうか。日本の女性は淡色を好むし、ゆったりめの服を着る人が多いが、中国の女性は原色系が多く、身体にぴったりした服を着る人が多いと感じる。だから日本人女性も分かるらしい。

 僕が絶対中国人だと確信できる見分け方がある。男性の場合はベルトのバックルだ。金色や銀色のでっかいバックルをしている男性は絶対中国人だ。ボタンダウンのワイシャツなんかもほぼ日本人だ。女性の場合、大きな花の刺繍柄の入った服を着ていればだぶん中国人だと思う。でも女性はフォーマルな服装の場合はちょっと見分けがつきにくい。一般的に言って、服装は日本人と中国人を見分けるのに重要なファクターになる。

 次は「動作」の違いによる見分け方だ。中国人と日本人はいわゆる「立居振舞い」が違うのだと言う。よく知られていることは、中国人はおしゃべりで声が大きく、公衆の場でも他人にあまり気を使わないが、日本人は声が小さく、何かと周りの人に気を使いながら行動するという違いだ。列に並ばないとか痰を吐く(最近は都会ではかなり減ったが)とか、中国人の特徴を表す動作はいろいろある。逆に日本にいる中国人は、やたらとお辞儀をする等々、日本人の特徴を表わす動作がたくさん指摘できるだろう。

 でも僕の前秘書だった劉纉さんが教えてくれた見分け方は秀逸だ。彼女曰く「椅子にすわる動作で見分けられます」。日本人は椅子に座る時、まるで椅子が壊れてないかを確かめるかのようにそっと腰かけるが、中国人はたいてい「ドン」と音がするほど重力に任せて座る。僕はこのことを教えてもらってから観察をし始めたが、なるほど百発百中だ。

 反応の「動作」で言えば、絶対中国人だとわかる動作がある。驚いた時「アイヤ」って言うのは100%中国人。人に話しかけられてわからないときなどに、「あ~?」って聞くのも絶対中国人だ。まあ、中国人と日々接している皆さんには常識でしょうけど。

 さて、このコラムは「カイシャの中国人」だから、ビジネス上の日本人と中国人の見分け方をご披露しなければならない。このコラム自身は、ずっと日本人から見た会社の中国人の行動観察を書いてきているので、ここではあくまで「ぱっとわかる方法」を示そう。

 中国人ビジネスマンの特徴の第1は「名刺」だ。中国人は挨拶する時に名刺を出さない人が多い。日本人はと言えば逆に、相手の顔も見ないでとにかく名刺を出すので、それもちょっと滑稽だ。中国人で特に役職の高い人はだいたい名刺をくれない。清華大学のある教授は「俺の顔が名刺だ」とおっしゃったので、僕は思わず吹き出してしまったことがある。もうひとつ、中国人は名刺を日本人とは逆に向けて差し出すので、これもちょっと面白い。

 中国人ビジネスマンの第2の特徴は、「うなずき」動作だ。僕の観察によると、中国人がうなずく速度は日本人の2~3倍だ。ともかく速く縦に何度もうなずく。これに対して日本人は相手の言うことがわかっていてもわからなくても、ともかくゆっくりうなずく。中国はビジネスのスピードも速いのでみんなせっかちなのだろうか。実はこれは僕のとっておきの見分け方なのだ。

 まだまだある。中国人の若い人は「鉛筆回し」がお得意だ。オフィスで脱いだ上着を丁寧に畳んだりしたらそれは日本人だ。スケジュール帳とか大きなノートとか、日本人に特徴的なビジネスアイテムも結構ある。でも最近はスマホなどの普及で見分けがつかなくなってきた。中国人は電話でのおしゃべりが大好きだから、スマホの細かい操作は苦手かと思っていたら、結構年配のビジネスマンも、スマホでちまちまスケジュールを入れていたりする。意外にスマホは、中国人に受け入れられているのではないかと思う。そうなると日本人を見分けるビジネスアイテムが、だんだん少なくなってきている。

 中国での日本人の見分け方なんか、どうでもいいことじゃないかと読者は思うだろう。でもこういう分析も、実は役に立つことがあったのだ。ちょっと悲しいことだけど、去年の秋のように日中関係が悪くなったとき、中国にいる僕たちは、いかに「日本人と見分けられない」かをあれこれと考えたのだから。



第19回:日本本社って?

2016年9月11日 / カイシャの中国人



(写真)日本本社はちゃんと会議を開いて相談にのってくれるのだが・・


 中国の日系企業の駐在員がよくぼやく流行語がある。「OKY」だ。本社の上司や企画部の連中が電話の向こうでいつもこう言ってくる。「中国なら売上は最低20%伸びるはずだ、中国人社員をちゃんと管理すればそんな問題は発生しないはずだ」云々。「そんな簡単に言うな!お前がきてやってみろ(OKY)」。中国にいる駐在員でこの言葉に異議を唱える人はいないはずだ。中国の日系企業の駐在員に「中国でのビジネスで最も難しいところはどこですか?」と聞くと、「日本の本社との戦いですね」と言うコメントが少なからず返ってくる。まさに、“敵は身内にあり”というのが実態なのだ。
 
 日本の本社から派遣されてくる駐在員は、ビジネスの基本動作などはきちんと躾けられている。しかし、一般的に言ってグローバル企業で最も重要な「権限移譲」というシステムには慣れていない。しかもその原因の多くは日本本社にあったりする。日本本社は、口では現地に任すというけれども、本社に一言でも相談しないで意思決定したりするとこうも言って来る。「その件、現地で決めていただいて結構なのですが、本社にひとこと相談していただきたかったですね」。こうしたやり取りを傍で見ている中国人社員は、とても不思議に感じることだろう。

 
 中国人社員から見れば、中国に会社を作り老板に権限を委譲しているはずだから「すべてを任せて、結果についても責任を取らせる」というのが当たり前の概念だ。これは欧米企業でもまったく同じだろう。それなのに、任せると言っておきながら報告・相談を求めてくる日本本社はとても不可解に映るだろう。さらに極めつけの言葉はこれだ。「こんな重大な決定、貴方に責任をとらせるわけにはいかないから、ちょっと本社と会議を開いて相談してください」。これじゃあ日系企業の老板は、中国人社員になめられてしまうこと請け合いだ。

 
 だいぶ前のことになるが、僕が上海現法の総経理だったとき、上海市のある区長と会食をする機会があった。こちら側の構成は、日本本社の社長と事業本部長(役員)、僕、そして中国人社員数名だった。もう内容は忘れてしまったが、ある案件で我が社の意向を表明しなければならない事態になった。区長は当然、意思決定するのは僕でそれを承認するのが社長だと思っていた。しかし僕は日本式の意思決定メカニズムに従い、事業本部長に聞き彼の返事を待った。そしてその通り本部長が区長に返答した。

 
 区長は何かいぶかしげな表情を見せた。なぜ僕が返事をせずに本部長なる人間が答えるのか?あとで区長の秘書に確認したところによると、我が社の序列は社長、僕の順で、同席していた本部長は社長の秘書ぐらいに思っていたそうだ(中国では社長秘書は偉いのだが)。上海市の区長にとっては、“大中国”の現法社長である僕は、少なくともこの会食の場では日本本社の社長の次に偉いと思っていたようだ。

 
 実際、中国人社員にとっては、日本本社にいる社長以外の役員、事業本部長、それに本社直轄組織の経営企画部長とか海外事業部長、そういう役割の人たちが自分たちの事業にどうか関わり、どういう権限を持っているのかはとても理解しにくい。またクライアントとの契約交渉などで、自分の老板(つまり中国現法の総経理)が決めたことを本社の法務担当社員が認めなかったり、財務課長が経費申請を却下するといったことにとても困惑してしまう。

 
 中国人社員にとって私たちのボスは、中国現法の老板であり、事業戦略も人事評価も経費処理も全部彼が決めるものだと思い込んでいるし、事実、仕組みとしてはそうなっている。少なくともグローバル企業では当たり前のことなのだ。だから業績が悪かったり不祥事が発生して自分の老板が突然人事異動で飛ばされたり、会社を辞めたりしても別に驚かない。しかし日系企業の老板は、中国の業績がよくても悪くても、会社のコンプライアンスをきちんと守り、本社に報連相をしていさえすれば、数年の任期を経て本社に帰ってそれなりのポストが与えられるというケースが多いのではないだろうか。

 
 日本本社っていったい何なのだろう。ある中国人社員がつぶやいた。「日本企業だって、資金を投資して利益を上げるために中国に進出しているんでしょう?私にはどうも儲けてやろうという覇気が感じられませんね。事業がブレイクしそうな状況でも本社は思い切って投資せず“そこそこ”の利益を求めるみたいだし、老板がミスをして本社の社長にどなられるといった場面も見たことがありません。日本人老板の中にはすごく優秀でビジネスセンスのある方もいました、でもみんな日本本社との軋轢で疲れてしまっているように見えました」。僕は日本式の「和の経営」も良いところはいっぱいあると思うけど、中国ではそれが却って仇になっているのではないかと思う。



第20回:優秀な社員

2016年9月11日 / カイシャの中国人



(写真)優秀な学校は出たけれど・・・


 「あいつはとても優秀なやつだ」。日本でも中国でもよく使われる褒め言葉のひとつだ。でも”優秀“の中身は、日本と中国ではちょっと違うのではないかと思う。日本人が「優秀なやつ」と呼ぶ時は、言外にその人は「学校の成績が良い人だ」というニュアンスがある。またどちらかと言えば、その人をやや批判的に評する時に使うことが多い。「あいつは優秀なやつなんだけど・・・」と言う時は、良い学校を出ていて頭は良いのだけれども、仕事上での成績はあまりよくない」といったニュアンスになる。
 
 これに対して中国で「優秀なやつ」と言われる人は、ちょっと日本人とは違う気がする。ある日、中国のニュースでこんな記事を見たことがある。ある地方政府の役人が汚職で捕まった。そしてその役人の同級生だというタクシーの運転手が記者のインタビューにこう答えた。「あいつは昔から優秀だった。大学の時に食堂を開いて大儲けしたらしい」。中国で「優秀な人」というのは、学校の成績ではなく、如才がなく抜け目のない人、もっと直接的に言えば「お金設けのうまい人」というニュアンスが含まれるのではないか。

 
 中国人は日本人より起業精神が旺盛である。だから”優秀な“社員は、大企業に入っても機会を見つけて独立しようとする人が多い。中国の会社では優秀な社員からどんどんやめていくのだ。だから中国の大企業は、優秀なトップとそれほどでもない社員で構成されている。なるほど、そうだから意思決定はトップダウンで行わなければならないのか。

 
 日本人は会社をやめる人が少ないから(もっとも最近はそうでもないが)、“優秀な”社員もずっと会社に残り、ゆっくりでもいいから出世していく道を選ぶ。日本の大企業は、時間をかけて昇りつめた“優秀な”トップと、優秀だがお金儲けはあまり得意でない社員で構成されている。なるほど、だから意思決定はいつもボトムアップなのか。

 
 では“優秀な”日本人トップと“優秀な”中国人で構成された中国の日系企業は、どうなっていくのか。トップを務める日本人は優秀だけれども、お金設けはあまり得意ではない。その会社で働くことになった部下の優秀な中国人は、お金設けのアイデアをたくさん持っている。だから部下の中国人は、日本人トップに対してお金儲けのいろんな事業アイデアを具申するだろう。

 
 トップの日本人は頭がよいので、そのアイデアの秀逸さは理解できる。でもそれを実行すべきかどうか決めるのにはすごく時間がかかる。秀逸な事業アイデアでも、時間をかけて考え過ぎるといろんなリスクが思い浮かんでしまうものだ。かくして意思決定は遅れ、優秀な中国人部下に呆れられ、あげくの果てにその部下は会社をやめてしまう。そしてその中国人部下はこう考える。「うちの会社のトップは優秀じゃない」。何を隠そうこの僕も、上海の会社でこういうことを何度か味わって貴重な部下を失った経験がある。

 
 日本にある日本人だけの会社であれば、優秀な社員ばかりを集めてもみんな辞めないし、みんなでゆっくり考えミスの少ない経営をしていけるし、それは決して悪い経営ではない。日本の会社の存続性、継続性は世界に誇れるものだ。しかし中国の日系企業ではそうはいかない。

 
 日系企業の幹部は、みんな口を揃えて言う。「優秀な中国人社員を採用しなければ、中国でビジネスを成功させることはできない」と。でも本当だろうか、ちょっと考え直してみよう。“優秀な”日本人トップがいる日系の会社が“優秀な”中国人を採用すると、本当はうまくいかないのではないだろうか。

 
 たいして“優秀でない”、つまり学校の成績はよくないがお金儲けはうまいかもしれない日本人トップがいる会社こそ、優秀な中国人を雇うべきなのだ。そうすればきっとその会社は成功する。でも日本の優秀な社員が揃う大企業は、“優秀でない”人を中国のトップに派遣するなんていうことは、やっぱり思いつかないのだろうな。



第21回:企業秘密

2016年9月11日 / カイシャの中国人



(写真)カイシャ携帯の連絡先リストも当然、「企業秘密」だ


 今、日本ではちょうど国家秘密法案の議論がかしましい。日本では情報の公開非公開の基準をどうするかという境界の議論になるのだが、翻って中国はというと、「ほとんど公開されない政府や行政の情報」と「何でもかんでも公開されてしまう巷の情報」の2つにくっきり分かれてしまう気がする。この国は政府があまりにも情報を公開しないので、その反動からだろうか、世間に公開されてしまった情報は瞬く間に広く拡散する。しかしビジネスをする観点から言えば、これはとてもやっかいな習慣なのだ。
「企業秘密」は文字通り企業のビジネス上の秘密のことで、通常は契約書などには必ず書かれている事項だ。ビジネス上で得た相手方の情報を勝手に使ったり、契約当事者以外の第三者に公開してはならないという規定だ。例えば自分の会社がどの会社といくらで取引きしているかということは、重要な「企業秘密」のひとつだ。自分の会社のことだからといって仕事の内容を社外の人に漏らすと、相手方との秘密保持違反になる。

 中国の会社で仕事をしてみると、この「企業秘密」の概念がとても軽く扱われてしまっていることに気がつく。僕が最初に上海で仕事を始めたときに驚いた例をいくつかあげてみよう。まず社員が自分の関係している仕事のこと、例えば相手の会社名とかその内容までを友人などに気軽にしゃべってしまうことだ。うちの会社はコンサルティング会社だから、特に仕事の内容は人に漏らしてはいけないのだが、例え普通の会社でも、やっている仕事の内容を外部の人にぺらぺらしゃべってはいけないのは当り前のことだろう。

 また僕は仕事柄、調査会社や大学の先生にお会いすることも多い。しかしその調査会社のパンフレットに、堂々と顧客名とテーマ(何を調査したのか等)が掲載されているのを見たときには唖然とする。またある著名な大学の教授にお会いして共同研究の相談をしたことがあるが、教授が過去に日本企業と実施した共同研究の契約書(そこには研究の内容や金額も当然書いてある)を何の抵抗もなく僕に見せてくれたことにも驚いた。

 調査会社からみれば、自社をアピールするために会社の業務実績を見せたいと思うのは当然だろうし、大学は公的機関なのだから情報は公開してもよいはずだと言ってしまえばそうかもしれないが、少なくとも僕は、「企業秘密」という概念のない人たちと一緒に仕事をすることはできないと思った。

 話しは少しそれるが、中国では電車の中で携帯を使って話すことは特に禁止されていないし、マナー違反だともみなされていない。なぜマナーの問題となるかと言えば、近距離にいる周りの人がうるさく感じるからだが、しかし僕がもっと不思議に思うことは、中国ではビジネス上の重要な相談や指示を堂々と携帯電話で話している人が多いということだ。当然ながら周りの人はその内容が聞こえる(しかもたいてい声もデカイ!)ので、もし関係者や知り合いがいたらどうするのだろうと心配してしまう。日本だと携帯どころか、電車やエレベーターの中では仕事の話はしてはいけないことになっている。

 では機密主義が厳格な中国の行政機関はどうなのだろうか?僕はここでも「企業秘密」は結構軽んじられていると思う。中国は外貨送金をする場合は、当局の許可を取らなければならない。あるとき僕の会社が海外(日本)の会社と契約し、その代金を日本に振り込もうとした。ところが外貨送金の申請時に、当局からその取引に関わる契約書と報告書を一緒に提出するように言われた。おまけにそれは中国語である必要があり、我々は契約書や報告書の概要を翻訳して添付しなければならない。そしてその手間や費用は、当たり前のように申請側が負担しなければならないのだ。中国では、行政が企業の活動より上位にあるという位置づけになっている。

 このことは中国政府が民間企業の取引情報を収集している、というほどの大げさなことではない。要するに外貨送金を伴う取引が本当に行われたかをチェックするための手続きなのだろう。しかし僕ら民間人からみれば、契約書や報告書までを当局に提出しなければならないというのは、政府が「企業秘密」というものの存在を軽んじているとしか思えない。中国の当局が「提出された貴社の情報の機密は守ります」と文書で保証してくれたという記憶もない。

 僕も長く中国にいるから、この国で国家が民間のビジネスやプライバシーに干渉することには慣れてしまっていて、ある程度は仕方がないと腹をくくっている。しかし「国家機密情報」と「公開情報」という“2者択一”の概念で暮らしているカイシャの中国人が、「企業秘密」というビジネスでは当たり前の概念を理解しないのはとても困るのだ。しかしこう書くと、中国にも個人情報保護などの法律もあるし、企業取引では機密保持の条項もちゃんと書かれているではないかと反論が来そうだ。

 断っておくが、僕は中国人が契約を守らないとか情報が軽んじられていると言いたいわけではない。中国では“情報”がどれだけ重要な意味を持つ社会であるかも知っているつもりだ。そういう意味では、むしろ日本の方が口の軽い輩がたくさんいるかも知れない。僕はカイシャの中国人には、個人とは別の「企業活動」という概念が欠けていると思う。カイシャで行われる仕事の情報は個人や自社だけのものではない。関係するすべての主体で共有され尊重されるべき情報なのだ。

「この市場予測値は、私たちが考えているよりかなり大きいですね。どのようにして導き出されたのですか?」ある時、報告会の席で顧客が我々に質問した。僕の同僚はこう答えた。「いろいろな情報から算出しました。しかし詳細なやり方は企業秘密です!」。僕は焦った。おいおい、企業秘密とは“不都合な事実”を隠すという意味ではないんだぞ。