第2回 中国の父・ワンさん、そして天津

さて、僕が知っている範囲でものを言うのだが、中国での留学は大まかに二通りある。語学だけを学ぶ進修生と本格的に学部で学ぶ本科生だ。
さらに、その本科生の中には留学生コースと現地の学生達と一緒に学ぶコースとがある。
多くの学生は、進修生として半年から1年、語学勉強を終えたあとにHSKという中国語の試験(英語で言うTOFEL,TOEICのようなもの)を受験し、ある基準まで達すると(この基準は、僕の時と違うので割愛)本科に移る。
会社から語学研修のために派遣されてきている人や、日本ですでに社会経験があり中国で就職や起業を考えている人は、半年から1年間進修生として語学勉強をして、それぞれがその進むべき道に就いていく。その学費は半年間で5000元から10000元、日本円にして約7万円から14万円(2011年7月現在)。

僕の場合は、天津大学にて進修生を1年間経験してから仕事を始めた。
当時、幸いにして僕には、中国の父親というべき人が存在していた。大学の入学手続きから住処の手配、そして日々の生活用品の買い物から食事まで、さらには、夜の遊びというところまでお世話になった。彼は、父親が経営する電子部品関係の会社の取引先の総経理(中国では、社長のことを総経理とよぶ)で、僕は、ワンさん(王偉)と呼んでいる。父親との関係からこのような世話をしてくれていたということもあると思うのだが、僕にとっては、かけがえのない存在だ。父親の愛をそれほど知らない僕は、この献身という愛情を心から感じることができた。
「中国人とはどのような考え方をするのか」という問いをすること自体があまりグローバルな考え方ではないと僕は思うのだが、少なくともこのワンさんは、とても人情に熱い人である。ワンさんは、午年で僕よりも24歳年上。初めて会った当時は、49歳であった。年齢の差をみても実際に父親でもおかしくない年の差でそのようなことを感じたのかもしれない。
 僕が天津という町に降り立った当時は、まだまだ発展した都会とは言えず、常に靄がかかったような天気で衛生的とは言えない場所だった。
このような外国の町の感覚というものは、日本にだけに住む日本人にとっては、想像が難しいかと思う。田舎といえば綺麗な自然がのこった町並みを期待するのが日本人だが、なぜか中国では、地方都市の方が汚い。もともと中国の北方地区は、砂漠に近くさらに乾燥している場所が多い。天津北京も年間を通して、雨が少なく砂埃が多い。当時の天津は、それに加えて至る場所で開発が行われており、空気は酷いものだった。洗濯物を外で干すことができない状態と言えば言葉だけで実感できると思う。当然町にもゴミが多く、夏は生ゴミの臭いが町中ただよったような感じがした(現在、その衛生状態は、非常に改善されている)。




(写真)中国の父のような存在、王偉さん


食事、買い物、時々、カラオケ

 そんな状況ではあったが、生活に嫌気が差すことはなかった。なぜなら毎日学校が終われば、ワンさんが僕を迎えにきて食事に連れて行く。ワンさんの仕事の関係もしくは、友人達と食事をするときにも招待してくれる。欲しいものがあれば休みの日でも一緒に買い物に来てくれて、僕の手助けをしてくれた。さらに週に2,3回は、夜の街に一緒に出かけていた。食事の時は、中華料理の注文の仕方を勉強させられ、夜の街ではホステスさん達との遊び方、中国語のカラオケと本当に教科書にない中国を教えてくれたのである。
僕の留学時代は、こんな王偉さんとの出会い、そして、中国語の習得に集中した。
外国に住むということは、一筋縄ではいかない。信頼の置けるガイドとなる人がいること自体で大きな差がでる。ただ、ここで間違えてはいけないのは、人任せにしてしまうことである。
天津や北京で起業をしている人の大部分は、このガイドとなる人に面倒なことを押しつけ、騙されて失敗をしている。あくまでも援助を求めるだけであって、当然のことながら自分で理解をして自分で勉強をして自分で判断をくださなければ、成功の道は、開かれない。信頼をすることと丸投げすることは、違う意味だ。自分自身で切り開くということが起業である。




(写真)パリッとした皮が人気のバケット


すぐれたガイドに出会えるかが分かれ道

 企業家は、自分の理想とする企業のあり方について、輪郭のハッキリとしたイメージを持たなければない。丸投げという仕事の仕方では、そのイメージづくりを他人や従業員に任せてしまうことになってしまう。ガイドとなる人間がもしも優れた人間であれば、彼の力量によってある程度はうまくいく。それに刺激され、状況を学んでいけば自分自身も成長できる。しかし、それでは企業家ではない。甘えが出てくる。そこから起こる不信感は、埋めることのできない溝となる。[時によっては、裏切りも起きる。僕は、そのようになっていく日本人を何人も見てきた。
 日本語ができるスタッフが通訳をすること自体は当然だ。でも実際に従業員を管理したり、人間を面接したりする能力があるということではない。それを中国語ができないからという理由で、通訳に任せてしまう。しかし、そのスタッフのする仕事に文句を言い続ける。なぜならイメージを伝えずに仕事を任せているからだ。
立場を置き換えて考えてみるとあることに気づく。もしも中国人が日本で起業して、日本人が彼のパートナーとなるとしよう。そして、その中国人が日本人に同じような問いかけをしたり、仕事を丸投げしたり、気持ちを踏みにじったりする。それにも関わらず出した結果が彼のイメージと違い、罵声されたりしたら、日本人は中国人のパートナーを信頼できるだろうか?忍耐強く、彼の優秀なガイドとしてついていけるだろうか?
それが、中国で失敗を重ねる日本企業の実態だと思う。
 僕が今でも倒産せずに会社を運営できている要因の1つは王偉さんという優秀なガイドがいたこと。そして、王偉さんという存在に依存しすぎることなくひとつひとつ自分で勉強をして、彼がやってくれていた仕事や手続きを消化していったことにあると思う。
そんな僕は、1年の語学留学の後、ついにカレー屋さんをオープンする。
さてそれは、次回に。


HabukaTakeshi

投稿者について

HabukaTakeshi: 生年月日:1978年12月25日 血液型: O型 出身地: 日本国静岡県袋井市 大学卒業後、サラリーマンを2年経験、退職後中国に渡りパン屋をオープン。 趣味は、バスケットボールとボードゲーム。