第10回 資金の余裕、時間の余裕、そしてリーダーシップとは……




(写真)自社で生産するケーキ、パン、自社で仕入れをしている精肉、有機野菜。外国人向けの価格の高いスーパーマーケットとは違い、手ごろな価格で高品質を提供。


 疲労とは、どこから来るのか。
 フィジカルとメンタル、日本語にすると心と体。

 2010年7月28日に4店舗となる食品スーパーとレストランの併合店舗をオープンしてからの約半年間、僕は心身ともに疲れていた。
 人手不足のために労働時間が多くなり、目の前のシフトをこなすだけで精一杯で改善ができない。やってもやっても理想に近づかない店舗に落胆し始め、負のイメージばかりが頭を一杯にさせていた。
 そして、追い討ちをかけたのが資金不足である。
 ここの内装工事費を月賦で支払うことにし、その資金は毎月のキャッシュの増加(=売上額のアップ)を見込み、それを充当するという方法をとったのである。
 しかし、そんなに上手いこといくわけもなく、計画よりもそのキャッシュの増加ができず、オープンしてから3カ月たった頃から、このまま行くと2011年の1月、2月頃には資金がショートする可能性が出てきた。これが僕の疲れを一層大きくした。
 さらに、人材も思ったように機能せず、ストレスがたまるばかりだった。
 会社の社長が経営判断をするための時間が確保できないことは、大きな問題である。
 最終的な判断が全てゆだねられる存在がその判断ができない。部下達は、迷走するばかりで機軸を失ってしまう。このままでは、状況が悪化してしまうということがわかっていながら改善が進まない毎日ということが僕の一番悩ましいことだった。




(写真)スーパーは午前10時から夜10時まで営業、レストランは11時半からのランチタイムと17時半からのディナー。いつも満席


人事にメス、自分にも改革のメス

 僕は、経営判断の時間をつくるために、まずは新店舗の月曜日休業を決めた。 
 そして人事にメスを入れて、考え方が共有できない人達には退職してもらうことにした。 考え方が違う人間、向上心がない人間、努力をしようともがくことすら放棄する人間は、集団にとってはマイナスに働いてしまう。
 管理者側の問題に、スタッフが辞めてさらにシフトが厳しくなることを恐れて、問題スタッフに強く指摘できない、解雇できない、ということがある。実は、これが一番よくない。つまり、「現場シフトは人数が多ければよい」という考え方は誤っている。
 思い切ってその人の問題点を指摘したり人事異動をすることによって、組織は急速に改善されていく。たとえ人数が少なくなっても同じ意識の人間の集団であれば、作業上の問題はたちまち改善されていき、精神的に余裕が生まれる。そして、なぜか人が集まり始めて、体力的にも余裕が生まれてくる。逆に言うと、負の影響を与える人間がいることは、人件費の無駄以上の無駄が起こるのだ。そうした環境は、稼働日数や営業時間を減らしてでも改善するべきだと実感した。人事にメスを入れたことにより人手不足は進んだが結果的に精神的余裕が生まれた
 さらに必要と思えたことが自分改革だった。
 だらしない自分を脱却することが会社を飛躍させる重要なポイントであると。




(写真)地元の食材を使い、日本料理を基本に中華やイタリアン、フレンチの要素をとりいれた料理。食に興味のある地元の人に向けて低価格の料理に加えて食の情報も提供する楽しいレストラン


 常に奢ることのないように行動しようと心がけていたが、自分の本質も改善してしまうほどの勇気はなかった。
 もがき苦しむ状況があってこそ飛躍的な成長が望める。そのためには自分自身が考え実行しなければならない。人から言われたことは、なかなか身につかない。なぜなら自分自身が感じて実践しないと本質的な理解はできないから。現在読む本や以前聞いていた諸先輩方の言葉が、実際に自分の身体を通り抜けることによってよくわかる。自分自身の苦悩は、自分自身でしか解決できないし、その苦悩を招いた原因は、過去に行ってきた自分自身の判断によるものだ。
 その改革の取り組みとして、簡単なことを毎日継続しようと考えた。
 それは、非常に簡単なことからである。

 毎日ゴミを捨てる。
 朝起きたらベットをきれいに整える。

 こんなことから始めたのである。
 人の能力の差は、それほどはっきりと現れない。例えば101の能力の人間と100の能力の人間であれば、瞬間の結果において大差ない。
 しかし、どちらかがひとつのことを365日続けた後にはどのような差が生まれるのか。その差は、歴然である。
だからこそ継続が大切なのだ。現在でも僕の『継続して行うリスト』の項目は増えている。なかなか達成できないこともあるけど、継続する習慣が少しずつ身についてきた。自分にも多少自信が出てきて、新たな自分に生まれ変わっている実感がある。

 精神的に余裕が生まれた僕は、徐々にその他のことにも眼がいくようになった。また、月曜日の休業によって経営判断の時間が確保できて、やっと資金について頭が回り始めた。 そして資金を借用しようと考えた時、最初に頭に浮かんだのが、僕の父親




(写真)レストラン新作の娼婦風スパゲッティーとまとアンチョビ味。プッタネスカというパスタで、セロリの葉っぱを散らしています


父に恐る恐るかけた電話

 他の人の顔も頭によぎったが、やはり身内に頼むことが一番と考えた僕は、2010年10月末のある夜、僕の使い古した携帯電話から父の電話番号を検索してカーソルをそこにあわせて恐る恐る電話をかけたのである。

 父は、いつものように『もしもーし』と冗談めいた声で電話にでて、僕は世間話から会話を始めた。
当然、僕は、本題に踏み込めずただただ父親の会社のことを聞いたり、重要でない近況を話したりと。
しかし、ここで電話を切ってしまえば、僕と一緒にすすんできている従業員達の希望を踏みにじるということが頭によぎり、思い切って話を『借金』の話題に踏み込んだ。父の声色が一変すると思ったのだが、、、
 父は、これまで波乱万丈の人生を歩いてきた。大学で電子工学を学び、技術者として電子部品メーカーに就職した。そして、若い頃に独立して現在の僕と同じような歳で会社を潰した。その後、僕が高校生の時に再度起業して特殊電源の設計メーカーの経営を始め、今に至る。
 苦労をしているため、僕が子供の時から余分な小遣いをもらったこともない。父にものをねだっても無駄なことだし怒られるだけだというのが僕の父に対する印象である。そのイメージが頭に浮かぶだけにお金の話をするのが億劫になる。そのため、恐る恐るの電話だった。。




(写真)苺アイスも自家製。アイスの甘み、苺の酸味、チョコレートの苦味が調和しています


 しかし、父は経営者として大先輩である。こんなことは当然お見通しで、むしろこれまで資金不足に陥らずにきたこと、資金不足が起こりそうな事態を予測し事前に準備をし始めていることを褒めてくれた。
 もちろん、父と子という関係であっても、資金借用にあたっては、借用書をつくること、利子をつけて返済すること、といった一連の手続きを踏むことを要求された。ただ、これも父親として僕に学んで欲しいというところから甘くしなかったのだろうと思う。
 そして急遽、父が天津に来ることが決まった。
 2010年11月13日、やって来た父から、借用書のサインと、代わりに現金を受け取った。
 リーダーシップを発揮するには、切羽詰った状況を回避しなければいけないことを、この時、身をもって感じたのである。事を成すには、緊急でないもっとも重要なことを考える時間が必要であると。

 ここで僕の心は軽くなり、いよいよ新店舗を本格的に改革していくことになる……


HabukaTakeshi

投稿者について

HabukaTakeshi: 生年月日:1978年12月25日 血液型: O型 出身地: 日本国静岡県袋井市 大学卒業後、サラリーマンを2年経験、退職後中国に渡りパン屋をオープン。 趣味は、バスケットボールとボードゲーム。