開発区のクローズ処理、天津のストライキ、それぞれの問題が解決され、北京店の売上も伸びていった。2008年3月頃から利益率も伸びていき、やっとのことで僕達2人の給料もそれなりに取れるようになってきた。(日本での新卒社員額面ぐらいですが……)
そして、内部固めということで、幹部達への教育をもっとやっていこうという矢先に、今度は北京のコック長が失踪したのである。
彼は、カレー屋さん時代からのスタッフ・シャオチェン(小陳)。真面目な性格で、経験も長いということでコック長に抜擢したのだが……。
さて、彼のことを語る上で中国における問題と思える、農民戸籍と都市戸籍(非農民戸籍)という区別を僕の知っている範囲で説明したいと思う。
中国では、農民と呼ばれる人が単純に農業に関わる人というわけではない。農民戸籍の人々は、都市生活において制限がある。社会主義計画経済を推し進めるために人々の職業選択や移住の自由を制限する必要があると考えられたと聞いている。当時の状況では、これが国家としてのイメージで国民もこの方法が理想社会を実現するために必要なことだと納得していたのだと思う(あくまでも私的推測。)。僕達資本主義の経済の中で育った人間には理解しがたいことだけど、国家を第一と考えればそれも必要だったのかもしれない。しかし、現在の状況は、1958年にこの戸籍登記条例が制定された当時とは、まったく違う。経済が開放されて貧富の差が出始め、農民は豊かさを求めて都市に出稼ぎに。そして出稼ぎ先で安定した仕事を得て子供を作り生活をする。その中で歪みが生まれてきた。
都市での生活を基本的に認められていないということは、ある農民が天津で生活、仕事をした時に社会保険に差がある。もしも社会保険に加入したとしてもそれは、意味のないことになりかねない。天津で契約された労働契約のもと社会保険に加入ということであれば、天津の社会保険基金に課金される。しかし、彼らが出身地に帰った時にこれが適用されるのかがまず不明だ。しかも労働法にも農民は社会保険に加入する必要はないという規定(このように明文化されているわけでは、なくそのような意味)になっていて、企業側はコストを軽減するために彼らを社会保険に入れていなかった、さらにその本人も社会保険の加入によって自己負担があるくらいならそんな還ってくるかもわからない保険にも入りたくないというのが大部分で国家としてもそれでよしとする風潮があった。(あくまでも個人的見解であり、その状況は、その当時のことである。)
そして、子供が都市で義務教育の学校に通いたければ費用が必要である。
農民戸籍は、確かに不利なことが多い。しかし、農民には土地の所有権が与えられている。そのため社会保険などの国家としての福利がないという理解もある。実際、土地があれば農作物を作れるしまたその使用権も貸付もできるし、権利を売ることもできる。
でも、都市に出ることで不平等に感じられる。同じ国の市民に対し2つの異なる制度があると、有利不利があるのと同時に不公平、不平等という感覚は起こるものだと僕は思う。
実際、中国の80%の市民は農民であり貧乏が多いのは農民である。一部の土地使用権の売買などで儲けた農民以外は貧困であり、文化的生活を送れず、日本人の僕の視点から見れば制限されている。
(現在、この問題に対して国家は、統一化の方向で向かっており、改善されつつある。)
ガンガンでは、いまでも約90%の社員が農民戸籍である。敢えて選んでいるということではなくて、結果このようになってしまっただけだ。現場仕事は、けっして楽なことではない。そして多くの都市戸籍の人間達は、少なからず心の中で農民戸籍の人間とは、違うと思っているところがある。これは、仕方のないことで、農村に育った人たちは、ビジュアルでもやはりどうしても田舎くさいし教育の水準も低いのが否めない。一部のエリートは別として全体として見た目でわかるのである。ただ、雑草根性とかハングリー精神、向上心をもっているのは、どちらかと言えば、農民戸籍の人間であるこては、明らかだ。
これが全ての人間に当てはまるのではなく、実際に僕が接して来た人間、友人、社員を見ての結論である。そして、ガンガンではその農民戸籍の人間ばかりが結果として残ってしまった。シャオチェンも当然農民戸籍。そして、北京のコック長になるまでにもいろいろなドラマがあった。もしも時間があればこの部分を書きたいが話をメインストリームに戻したいと思う。
重圧に耐えきれず消えたシャオチェン
そんな農民戸籍のシャオチェンが失踪した理由は、責任の重圧に耐えられなかったということだろう。失踪を知ったその日は、ストライキの時とは違い、失望が大きかった。紆余曲折を経て彼と一緒に仕事をしてここまで来た。もちろん僕達の力でここまで来たということもあるが、もちろん彼が支えていた部分だって少なくない。現在考えるとかなり未熟だった僕達は、まだ経営者、指導者としての魅力が無いのかという惨めな気持ちにもなった。
あくまでも推測で物を言うのだけれど、失踪するまでいくつかのサインは、彼から出ていたと思う。頭の回転は遅い方で、常に消極的な性格だった。彼をコック長にしたのは、社歴が長く、技術的にみてもその他のスタッフよりも良かったというということが理由だ。しかし、リーダーや管理者はその他の能力も必要とする。
スタッフを管理するには、人間を動かさなければならない。人を動かすには、それなりの能力が必要だ。みんなから慕われなければ彼が指し示すことに従うことはない。徹底的に会社の要求を現場においてスタッフに言い続けて習慣化させる必要がある。
管理というものは、管理者になって初めて経験することで、実際に直面しなけれなば習得することが難しいスキルだと思う。
これは、まじめだけが取り柄である人間には少々厳しい要求だ。
そして彼は、まじめだけが取り柄だった。出世欲というものがまったくなく、以前から新しいことに挑戦することに躊躇して現状維持であればよいという彼。僕は起業している身であるためこの感覚は理解しがたい。そして会社としてもその存在の位置を決めることは難しい。
社員のモチベーションをあげるには昇給制度が必要な一方、現状維持でよいという人間ほど仕事に目的をもたせるのも難しい。そういうタイプ人間のシャオチェンを、前もって管理職としての教育を与えないまま管理職の位置に移行した結果がこれだった。プレッシャーに打ち勝つ精神というものは程度というものがそれぞれある。極論を言うとサッカーをやったことないのに国の代表に選ばれてワールドカップに出場する。そんなの怖くてできない。プレッシャーに押しつぶされても当然なことだ。僕自身も起業したわけだが、それなりの準備とちょっとした勝算があって始めたのである。
新店舗の準備を始めてその初期投資の支払が始まると、僕自身そのプレッシャーから逃げ出したくてどうしようもないこともある。朝起きてお店に行ったら1人もお客さんがこなかったらどうしよう……なんてことも考えることもある。それを考えれば、このシャオチェンが失踪した理由も理解できる。
僕達は、新たな問題に直面し、新たな変化を必要とする状況に追い込まれ、新たなステップを踏まなければならかった……
HabukaTakeshi: 生年月日:1978年12月25日 血液型: O型 出身地: 日本国静岡県袋井市 大学卒業後、サラリーマンを2年経験、退職後中国に渡りパン屋をオープン。 趣味は、バスケットボールとボードゲーム。