第十一回『September』

2016年8月26日 / Let it Beijing



(写真)日本で楊冬夫婦の結婚記念パーティーにて


日本に戻って真っ先に両親に「北京に引っ越すことにしたから」と、報告をしました。
いきなりのことに驚いていたようですが、直接会って話をするとわかってもらえたようでした。

沢山の友人達にも報告をして反応は様々でしたが、唐突かつ早過ぎるテンポに困惑しているようでした。

ただ、一人予想もしない答えが返ってきました。

「河原さん、僕も北京に住むことになりました。」

彼の名は「楊冬(ヤン•ドン)」、青島出身の中国人です。

当時特別講師していた「東京スクールオブミュージック専門学校渋谷(以下TSM渋谷)」のレコーディング学科の学生でした。

直接教えたことはないのですが、日本にも溶け込んでいて友人や学校からも期待されている真面目な青年。という印象で、6月に海外に行くことを決めたときに個人的に中国の音楽シーンの話を聞いていました。

年齢は私より1つ上なのですが、本当に謙虚で真面目。「日本の居酒屋でバイトしながら、学校に通ってます。」なんて、言うので(学校には内緒で)自分の家に来てもらって旅行の前には語学講師のアルバイトをしてもらうことにしました。

おかげで中国語には音程のようなもの(4声)があること、日本の漢字と中国の漢字(簡体字)で違うものがあることetc…。様々な知識が旅行中も役に立ちました。

何より「洗手间哪里?」(トイレはどこですか?)を教えてくれたことは、私の命を救ったと言っても過言ではないでしょう(笑)

私が旅行に行く少し前に「河原さん、北京に行って少し研修をしてきます。すぐに戻ってきます」と言っていたのですが、彼もまた北京で研修する中で様々なことがあって中国で仕事をすることを決めたそうです。

私が驚かせる側のつもりがこれには本当に驚いてしまいました。しかし同時に、北京に友人がいてくれるというのは、とても嬉しく思いました。

引っ越しの当日も楊冬(ヤン•ドン)が迎えにきてくれると言うので、本当に心強かったです。

それに北京で最も歴史のあるライブハウス『MAO』にて副店長として採用されるということで、彼のキャリアのスタートとしても素晴らしいと思いました。(もちろん、彼の実力や人間性を考えれば当然の結果に思えますが)

そんなこんなで友人やお世話になった方々に挨拶をしているとあっという間に時間が過ぎていきました。

そして、2013年10月18日。25歳の誕生日に出発することを決めました。

北京行きの便に乗ったとき、不思議と涙が出ませんでした。

それは、素敵な未来が待っていると知っていたからなのかもしれません。



第十二回『Live at MAO』

2016年8月26日 / Let it Beijing



(写真)ライブハウス「MAO」


北京に到着すると「楊冬(ヤン•ドン)」が待っていて「誕生日おめでとう、よく来たね」なんて出迎えてくれました。右も左もわからない状態の私は楊冬に頼りながら旅行中に見つけた「我が家」に向かいました。

家を仲介してくれたOさんに鍵をいただいて無事に引っ越しも終了しました。

楊冬は「仕事がある」ということで彼の職場であり北京で最も歴史のあるライブハウス「MAO」に向かったのですが、後から自分が合流出来るように地図を書いてくれました。

とは言え最初の頃は中国語も北京の土地勘もない自分なので知らない場所に行くのはかなり大変、地下鉄で最寄りの駅まで移動した後は道行く人に声をかけて身振り手振りでなんとかたどり着きました。幸い「MAOの近くまで来ればわかる」と楊冬が言っていたのですが、お国柄なのか外まで聴こえるような爆音でライブをしていたので見つけ易かったです(笑)

中国で初めてのライブハウス、わくわくしながら扉を開けたのですが思わず「………」と黙ってしまいました。500人程度のキャパシティーに客が100人以下、PA席から見ていてもお世辞にもいいと言えないライブが繰り広げられていました。

「今日はあんまり有名なバンドがやっていないんだ」なんて楊冬もフォローしていましたが、この日のライブは無名のローカルバンドが演奏していました。(普段は良いバンドが演奏していることも多いですよ!)

日本ではありえないですが、海外の有名バンドからローカルな無名バンドもこの「MAO」で演奏します。例えば日本では渋谷AXなどで数千人規模の単独ライブを開催しているフィンランドのメタルバンド「Children of Boddom」もこの「MAO」でライブをしています。

※「Children of Boddom」は中国でも人気のあるバンドで実際に「MAO」ライブも1万円近い高額チケットにも関わらず超満員でした。

北京には小規模(~300人程度)及び中規模(500~2000程度)のライブハウスが少ないことなど理由はたくさんあるのですが、誰でも気軽に海外の有名バンドも演奏したステージに立てるというのは日本ではありえないことですよね。

ライブが終わる前に帰ったのですが、帰り道は早速迷子になって2時間くらい家の近所を彷徨った忘れられない誕生日&引っ越し記念日になりました。



第十三回『Just Push Play』

2016年8月26日 / Let it Beijing



(写真)象棋(中国将棋)


数日も経つと迷わずに家に帰れるくらいには土地勘も付き、少しずついろんな場所に顔を出すようになりました。

幸いにも言葉がわからなくても不思議と友達は増えていき、それが言葉の勉強にもなっていきました。(もちろん北京に住んでいる日本人の方々や、日本語のわかる中国人の方々にも本当によくしていただきました)

日本でアイドルやアニメに楽曲を提供していたこともあって中国にもたくさん存在する「宅男(宅女)」=オタクと呼ばれる人達は特に興味を持ってくれて輪が広がっていきました。

しかし、そういった日本に興味を持ってくれている人達だけでなくもっといろんな人と仲良くしたいなぁ…と思い立ってあることを勉強し始めました。本来は語学を学んでしまえば意思疎通は早いと思うのですが、音楽家なので言葉よりももっと早く通じ合えるものに惹かれたんだと思います。

それは「象棋」(中国将棋)です。

北京ではいたるところに中国将棋で遊んでいる人達を見かけます。そこら辺の道ばたから飲食店の中まで場所は様々ですが、本当に身近な文化として存在しています。(仕事の合間に指してたり、仕事しながら指してたり)

不思議なことに必ずといっていいほど周りを取り囲むギャラリーもいて、「それは違う!」「こっちに指せ!」と、ヤジが飛んでいます。文化の違いなのか「将棋なんだから口出しちゃダメ」みたいなものはないようです(笑)

特に私の住んでいるエリアは老人も多く毎日象棋を飽きることなく繰り返していたので、ルールを覚えて「ねぇねぇ、おじさん。ちょっと混ぜてよ」というように手振り身振りで入れてもらい数少ないボキャブラリーの中から「我是日本人」(私は日本人です=外国人なんで言葉は話せません…という意味で使ってましたけど笑)と言って座って対局が始まりました。

当時は向こうが何を言っているのかはわかりませんでしたが、音楽も言葉が通じなくてもルール(譜面)さえあればプレイが出来るので気にせず指していました。

「象棋」も日本の将棋と違うものの(チェスに近いです)、競技人口が数億人と言われる頭脳の格闘技なので当然わかりやすさと奥深さが共存した絶妙なルールで駒を動かしていきます。

引っ越した頃は殆ど語学を勉強しなかった代わりにコンピューターを相手に毎日象棋だけ指していたので、なんと最初の対局から勝ってしまいました。

もちろん「我是日本人」(私は日本人です)と言われて油断したんだと思いますが、将棋盤を持ってきている人(毎日指してる人)に勝ってしまったので囲んでいたギャラリーも騒がしくなっていました。

向こうもムキになって「もう一局やるぞ!さっさと駒を並べろ!(というようなことを言っていたんじゃないかなぁ?と想像)」と急かしてきて、毎日のように指す仲になるまでは時間がかかりませんでした。



第十四回『Dad Where Are We Going』

2016年8月26日 / Let it Beijing



(写真)「爸爸去哪儿2」の映画ポスター


象棋を指しながらのんびり暮らしていたのですが、半年も経つ頃には交友関係が広がっていく中で音楽制作の話も出てくるようになりました。

最初はやはり日本人ということでゲームやアニメなど日本が最先端を走っている分野が多く、中国作品の主題歌やBGMなどをやらせていただいていました。

実際に日本にレコーディングに行った案件などもあり非常に楽しくやらせていただいているのですが、同時に「もっと中国の誰でも知っているような作品をやってみたい」という気持ちも出てきました。

そんなちょっとしたモヤモヤを抱えた日々が続く中でひょんなことから「爸爸去哪儿」の2015年公開の映画向けの主題歌の編曲依頼がきました。

中国のTV番組などにあまり関心の無かった自分ですら知っているいわゆる国民的番組だったので驚きましたが、いわゆるコンペ形式で最も良かったものを選ぶという形式でした。

中国の音楽業界でコンペ形式というのはあまり使わない方法なのですが、第一作目の「爸爸去哪儿」劇場版は140億円の記録的筆ヒットを記録していることもありいいものを選びたいという作品にかける気合いが伝わってきました。

中国人の作曲家のデモテープを聴く機会はあまりなかったのですが(日本でも同業者のデモテープを聴く機会はあまりないですけど)、キャッチーで日本でも全然流れていてもおかしくない雰囲気のメロディーでした。

1週間の期限が与えられ、編曲は基本的に2~3日あれば問題ないこともありじっくり作り込んだ第一稿を提出しました。

しばらく返事が来なかったので忘れていたのですが、「編曲をお願いします。打ち合わせをしましょう」というような返事が来て私が主題歌を編曲することになりました。

今となってはいい思い出ですが、この打ち合わせから信じられないような忙しさや理不尽な制作に巻き込まれていくのでした…。



第十五回『The Sound of Music』

2016年8月26日 / Let it Beijing



(写真)天娱のロゴ


早速打ち合わせの日取りを決めて双井という駅の目の前にある大きなビルの数フロアを占める「天娱」という会社に向かいました。日頃遊んでいる中国人に「天娱」と言えば誰でも知っているというくらいこちらのエンターテイメント系で有名な会社です。

早速音楽ディレクターの吴さんを紹介され、主要スタッフが集まる重要な会議に参加しました。皆さん活発に議論を進めていき音楽以外の部分は専門用語も多く聞き取れないのですが、いきなり耳を疑うような発言が出てきました。

「明後日挿入歌を使ったシーンの撮影があるのですが、挿入歌を新たに編曲してほしいです。」

今日は主題歌の編曲の話で呼ばれたはずなのでいきなり度肝を抜かれたのですが「撮影は明後日だが歌の録音を事前にする必要があるので明日の昼にはほしい」と、かなりタイトなスケジュールを要求されてしまいました。

前回書いたように出来れば2〜3日もらえると嬉しい編曲を18時間後にはほぼ完成形を制作してレコーディングスタジオに着いていないといけないとなると結構大変です。納品して終わりならいいのですが、歌録りをしてMixingという作業をして…と徹夜でクリエイティヴな仕事を中国語でやる…となると相当体力も使います。

また、その日は妻の知人と会食の予定があり大好きな北京ダックを食べにいくことで頭がいっぱいだったこともあり引き受けたくなかったのですが、ここでOKと言わないと話が進まないことがわかったのでとりあえずOKと言ってみることにしました。不幸中の幸いなことに編曲する楽曲が「孤独な羊飼い(サウンドオブミュージック)」と聴き慣れた楽曲なので、制作自体は問題なく進みました。

と、毎日のように唐突に案件をお願いされる段取りがあってない状態が常に続いていくのでした。

※下記URLは主題歌です。

日本からはこちら

中国からはこちら



第十六回『SING LIKE TALKING』

2016年8月26日 / Let it Beijing



(写真)映像スタジオのエントランス


挿入歌が無事に終わり、主題歌の制作が始まりました。
基本的にはほぼ1発OKだったのですが、「2種類作りたい」と言われたり、「3種類作りたい」に変わったり、コロコロ変わるので大変だったりします。
結局1種類だけ使われたそうですけどね、個人的にはお蔵入りのロックバージョンが好きだったんだけれども。。。

レコーディングの現場にも行くのですが、当然本人が歌うので現場には超有名人が来ます。が、正直無知な自分は「ぽかーん」としていました。
日本にいた頃もアイドルや声優さんと現場で会う機会があっても正直関心がなかったので似たようなものではあるのですが、後日友人に話すと「羨ましい」「一緒に撮った写真とかないの?」なんて言われるのは日本も中国も変わらないですね。

中国では歌録音の際に指示を出す人(ヴォーカルディレクションと日本では言います)のギャラが作曲家より高い場合があるくらい歌にこだわるのですが、音楽ディレクターの吴さんはかなり耳がよく指示も的確でかなりレベルが高かったですね。
歌唱力も含めて歌関連に関しては中国のほうが圧倒的に日本よりもこだわりを持っていて技術的にも高いように感じました。

もちろん街中の人みんなが上手いというわけではないですよ、人口が多いのでその分才能のある人はいくらでもいるということです。ただ中国語は音程があるので、そういった部分は歌唱力にも関係あるのかもしれませんね。

そして、この作品の私が携わる制作が終わったと思った矢先にもう一つお願いをされました。

「中国のミュージシャンと一緒にこの作品の劇伴をやってほしい」

私は「また日程とか無茶だらけなんだろうなぁ〜…」と、予感を感じながらもOKと即答しました。



第十七回『You’ve Got A Friend』

2016年8月26日 / Let it Beijing



(写真)ディレクターの吴さん(左)と作曲家の文軒(右)さん


「劇伴」と言われて何かわかる人は少ないと思いますが、映画やドラマのBGMのことです。
バラエティーやその他のBGMも基本的には同じなのですが、映画やドラマの場合は映像との親和性が重要になります。

基本的には日本も中国も同じなのですが、今回の「爸爸去哪」は撮影場所がフィジーのため南国感のある音を要求されます。

正直音楽に関しては何にも問題はなかったのですが、この案件は本当に日本ではあり得ないことがひたすら起きていきました。

例えば

「社長も含めて関係者で映像チェックをする」と言われて15人ほどが集まり会議を始めようとすると別のスタッフがやってきて「今日はまだ映像が出来ていないので、後日になります」と言われてその日は何もせずに解散したり

本来は「第一稿は一週間で制作をお願いします」と言われていたものが3日に変わったり

ここは中国なので郷に入っては郷に従おうと思いましたが、このプロジェクトの音楽ディレクターの吴さんも「中国でも稀なケース、どうか誤解しないでほしい。」と、申し訳なさそうに言っていました。

今回は映画の音楽を私と文君で半分ずつ制作しています。
文さんも理不尽な制作に怒り心頭の様子でしたが、大変な案件をお互いに協力しあうことで友情が芽生えていきました。

幸い彼は日本車に乗り日本食も大好きでJ-POPも詳しい(椎名林檎さんのファンでした)こともあり、打ち解けるのも早かったんですけどね。

中国はよく会って打ち合わせをする文化が強いので毎日のようにどこかで会うのですが、連日議題に挙がる無茶振りに頭を悩ませながらも制作は続いていきました。



第十八回『Surprise, Surprise』

2016年8月26日 / Let it Beijing



(写真)映画関連のスタジオ


音楽制作も無事に終わり、映像と音を合わせる作業をしました。

実はこの作業は本来は作曲家の仕事ではないのですが、何故か今回は私が口を出すことになりました。

「北京市内からは遠く離れた場所にある」と言われて車に乗り込み、一時間以上もかけてスタジオに着きました。100Kmくらい離れているのかな?もはや北京ではないですけどね(笑)

スタジオに着くと「ここ全てがスタジオなの?」と、驚いてしまいました。

大きなスタジオ



(写真)大きなスタジオ


これまでも中国で日本にはないくらい立派なスタジオは数多く使わせていただいたのですが、そこには大型ショッピングモールのような巨大ビルが佇んでいたからです。

この巨大ビルの中にアップした写真のような部屋がいくつも入っており、機材も超一流のものが揃っています。

私が日本を離れた理由のひとつが日本では時間や予算を気にせず制作することが出来ないということがありましたが、こういった優れたスタジオで自由に作業出来ることも中国でやる面白さだと思っています。

全ての工程が終わる頃には無茶振りに応え続けた音楽制作チームの間には強い絆が生まれ、現在も仕事に関係なく会える仲になりました。

そして、誰がやってくれたのかはわからなかったのですが、公開された映画には嬉しいサプライズがあったのでした。



第十九回『The End』

2016年8月26日 / Let it Beijing



(写真)録音に協力してくれた日本の音楽家も(日本)になっています


映画が旧正月(今年は2月半ば)に合わせて公開されました。

私はこの映画の音楽を手がける際に数えきれないほど見ているので正直どうでもよかったのですが、妻が見たいというので蓝色港湾という北京でもオシャレなエリアの映画館に行くことにしました。

チケットは1人80元(約1600円)と何度も無料で見てきた立場からすると高額に感じたのですが(笑)、とりあえず人生初の海外の映画館です。もちろん映画館なのでシステムは日本と大差はないのですが、料金の形態は大きく異なっています。というのも中国では同じ北京市内でも映画館ごとに価格が大きく違うのです、蓝色港湾の映画館は比較的割高な部類と言えます。

私が見に行ったのは公開から1ヶ月ほど経っていたのですが、お客さんもたくさん入っていました。内容は次のセリフを言えるくらいにもう見飽きていていたのでどうでもよかったのですが、作品が終わって流れるエンドロールで思いもよらないサプライズがありました。そこには確かに自分の名前が書いてあったのですが、あるはずのないオマケが一緒にクレジットされていました。

「河原嶺旭(日本)」

正直この作品のオファーを受けた時期は今よりずっと日中関係が悪かったことや国民の誰もが知る作品なこともあり「名前を載せてもらえるのだろうか?」「最悪中国風のペンネームでも仕方がない」と割り切っていた自分がいたこともあり、これには少し感激しました。もちろん日本で活動していた際に(日本)とクレジットされる機会はありませんでしたが(笑)、中国におけるこの(日本)にはとても意味があるように感じました。

あとで聞いたのですが、この作品に携わったメンバーの一人が「せっかく外国の作曲家さんが携わったのだから…」と強く推してしてくれたそうです。載せることでデメリットになる可能性(日中関係が反日デモが起きていた頃レベルまで急転するなど)はあってもメリットはないので断るほうが自然ですが、毎日のように現場で話し合い時には喧嘩寸前になりながら一緒に作り上げた中で知らない間に「外国人」から本当の「朋友(友達)」になっていたのでごく自然に受け入れてくれたそうです。

この国は「朋友(友達)」とそれ以外の差が限りなく大きい、私はそう感じています。日本のように友達でもない人に(中途半端に)親切にするような文化は少ないように感じています。逆に友達のためなら何でもする、そんな印象すらあります。みんなこの国で一番大切なものは「关系」(関係)と言っていて、私自身それを実感させられる瞬間もあります。

しかし、そんな关系も一緒に一生懸命汗を流す中で自然に培われていくということを改めて認識した映画の制作となりました。



第二十回『Restart』

2016年8月26日 / Let it Beijing



(写真)音楽プロデュースにて参加した中国アニメ「妖怪名単」


前回までは中国の映画制作の話を書いてみました。

今回からは私がよく携わるアニメ・ゲームの分野の話を書いてみようと思います。

中国というと「海賊版」「偽物」という認識を持っている日本人も多いのですが、その認識は大きく間違っていると私は思っています。

例えば日本のドラマやアニメなどの多くは中国で無料で見れます。
これは非正規品、海賊版でしょうか?

答えはNo、殆どの作品は中国の大手動画サイトが「中国国内で無料で公開する権利」を日本から買っているのです。

例えば中国の大手動画サイト「搜狐」の主力作品のひとつが日本のアニメ「ワンピース」です。
このワンピースは当然日本から「中国国内で無料で公開する権利」を買い取っているので、正真正銘の正規品です。

動画を見ているユーザーが「搜狐」が日本から権利を買い取っているおかげで見れている。…という認識を持っているかどうかは別として、自然に正規品を見れる環境があります。
日本から中国の動画サイトを見れないという声をたまに耳にしますが「中国国内で無料で公開する権利」を買っている場合は逆に著作権を保護する為に中国以外からは見れなくなっています。

ということで、次回からは中国の作品に関わっている人達にスポットを当てて書いてみようと思います。