第十二回『Live at MAO』

2016年8月26日 / Let it Beijing



(写真)ライブハウス「MAO」


北京に到着すると「楊冬(ヤン•ドン)」が待っていて「誕生日おめでとう、よく来たね」なんて出迎えてくれました。右も左もわからない状態の私は楊冬に頼りながら旅行中に見つけた「我が家」に向かいました。

家を仲介してくれたOさんに鍵をいただいて無事に引っ越しも終了しました。

楊冬は「仕事がある」ということで彼の職場であり北京で最も歴史のあるライブハウス「MAO」に向かったのですが、後から自分が合流出来るように地図を書いてくれました。

とは言え最初の頃は中国語も北京の土地勘もない自分なので知らない場所に行くのはかなり大変、地下鉄で最寄りの駅まで移動した後は道行く人に声をかけて身振り手振りでなんとかたどり着きました。幸い「MAOの近くまで来ればわかる」と楊冬が言っていたのですが、お国柄なのか外まで聴こえるような爆音でライブをしていたので見つけ易かったです(笑)

中国で初めてのライブハウス、わくわくしながら扉を開けたのですが思わず「………」と黙ってしまいました。500人程度のキャパシティーに客が100人以下、PA席から見ていてもお世辞にもいいと言えないライブが繰り広げられていました。

「今日はあんまり有名なバンドがやっていないんだ」なんて楊冬もフォローしていましたが、この日のライブは無名のローカルバンドが演奏していました。(普段は良いバンドが演奏していることも多いですよ!)

日本ではありえないですが、海外の有名バンドからローカルな無名バンドもこの「MAO」で演奏します。例えば日本では渋谷AXなどで数千人規模の単独ライブを開催しているフィンランドのメタルバンド「Children of Boddom」もこの「MAO」でライブをしています。

※「Children of Boddom」は中国でも人気のあるバンドで実際に「MAO」ライブも1万円近い高額チケットにも関わらず超満員でした。

北京には小規模(~300人程度)及び中規模(500~2000程度)のライブハウスが少ないことなど理由はたくさんあるのですが、誰でも気軽に海外の有名バンドも演奏したステージに立てるというのは日本ではありえないことですよね。

ライブが終わる前に帰ったのですが、帰り道は早速迷子になって2時間くらい家の近所を彷徨った忘れられない誕生日&引っ越し記念日になりました。



Mine Kawahara

投稿者について

Mine Kawahara: 河原嶺旭(かわはら みねあき) 1988年10月18日生まれ。 神奈川県横浜市出身。 17歳から音楽を始め、20歳でテレビドラマ「メイド刑事」挿入歌で作曲家デビュー。2011年にAKB48に提供した『風は吹いている』が160万枚を越えるヒットとなり『アイドルと同世代の作曲家』として注目を集め、同年の年間作曲家売上第三位を獲得。アニメ・ゲーム関係の仕事も数多く手がけており、雑誌のコラムの執筆や教育関係など仕事の幅は多岐にわたる。2013年より、北京・上海を中心に活動している。