第二回『Separate Ways』

2016年8月23日 / Let it Beijing



(写真)レコード会社のパーティーに出席


全ての始まりは2013年6月末のことです。
私は海外に活動の場を求めるため、お世話になっていたマネジメント事務所を離れる決断をしました。それは同時に日本ではなく海外に活動の場を求めるという意思表示でもありました。



実はその頃北京に来るなどとは全く考えておらず、アフリカや南米なども含めた全世界の中で拠点を探そうと思っていました。音楽で言えば一般的にアメリカやヨーロッパなどが選択肢に挙がると思いますが、むしろ自分はアジア(東南アジア)・アフリカ・南米といった国々での活動を考えていました。どうせ海外に出るのならば制作だけではなく『文化途上国での音楽教育がしたい』という気持ちがあったからです。



私自身17歳と決して早く音楽を始めていなかったのですが、それでも音楽をしてご飯を食べるという自分にとって最高の暮らしをすることができました。



しかし、それは日本には音楽の大学や専門学校だけでなく身近な近所にも音楽を習える環境があったことは大きな要因だと思っています。



まだまだ音楽教育が盛んではない地域で音楽を教えるということは世の中に何か貢献ができるような気がしたこと、そして私自身が更に音楽家として成長するために必要だと思ったことでもありました。



中国は遥か昔から世界の文化を牽引してきた国であり素晴らしい文化を持つ国ではあるものの、私のやっている分野においてはまだまだ途上国であると思っています。



前々からボランティア活動には興味があり、青年海外協力隊(JICA)などの説明会や興味のある分野の報告会に定期的に足を運んでいました。あくまで自分が海外赴任をするというよりも今後音楽をしていく中でボランティア活動にも参加したいと思っていたので、その貴重な体験談を参考にしたいと思っていたからです。その中で僕の心を掴んで離さない、本当に素敵な活動がありました。



ウガンダの中等学校での音楽プロジェクトです。



まずはこの動画を是非見ていただきたいと思います。ウガンダの子供達が描いた未来が音楽になっています。



http://www.youtube.com/watch?v=MqHOHJ_R674

この動画を見て大きな衝撃を受けました。テーマやクオリティの素晴らしさはもちろんですが、同世代の発起人がスグにこのプロジェクトの発起人にコンタクトを取り、メールでのやり取りを経てお会いする運びになりました。メールをした時点ではまだ現地での活動をされていたため、少し時間が空いてのご対面となりました。


新宿の駅で待ち合わせをしたのですが、慣れない駅での待ち合わせに15分程電話を片手に走り回ったのを覚えています。たどり着いた先に少し年上の好青年という雰囲気のOさんが笑顔で迎えてくれました。言葉は覚えていないのですが、最初の一言二言でグっと心を引き寄せる大きな人だな、という印象を受けました。限られた東京滞在の中で貴重な時間を割いてくれたこともあり、現地での活動や今後のこと など駆け足でお話していきました。今後も海外に関わろうとする強い意思とウガンダでの苦労を楽しそうに話す彼に何か大きな魅力を感じていました。



この日を境に私は人生の次の選択を考えるようになりました。



日本で音楽を続けるのか、海外に出て何かをするのか。



このまま日本で続けていけば一般的には幸せな人生かもしれませんが、この先結婚して子供がいて…となってからは一人で海外に出ていけるわけがないこともなんとなく感じていました。チャンスは今しかないかもしれない、ここで決断しないと後で後悔するのではないか…。



考えれば考えるほどに止まらなくなっていく中で、6月には完全に抑えきれなくなっていました。世界中の子供達と音楽をしてみたい。こんな素敵な笑顔をみてみたい。僕自身もこんな笑顔になってみたい。


私はまだ音楽を学ぼうと思っても簡単には学べない人が存在する国での活動を決めました。もちろん作曲家としての活動も平行して続けていく中で、その国の最前線を支える作曲家として活躍していける よう一層の努力を誓いました。



私はフリーランスになったその日に多くの家族や仕事の仲間、友人など多くの人に近い将来日本を離れて活動していく旨の電話をかけました。そしてFacebookに強い意志を持って『海外に活動の場を求めます』というような文章を書き込みました。



この書き込みが私が北京に来るキッカケになるなど、その当時は思いもしませんでした。


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Mine Kawahara

投稿者について

Mine Kawahara: 河原嶺旭(かわはら みねあき) 1988年10月18日生まれ。 神奈川県横浜市出身。 17歳から音楽を始め、20歳でテレビドラマ「メイド刑事」挿入歌で作曲家デビュー。2011年にAKB48に提供した『風は吹いている』が160万枚を越えるヒットとなり『アイドルと同世代の作曲家』として注目を集め、同年の年間作曲家売上第三位を獲得。アニメ・ゲーム関係の仕事も数多く手がけており、雑誌のコラムの執筆や教育関係など仕事の幅は多岐にわたる。2013年より、北京・上海を中心に活動している。