今や日系企業や関連会社で働く大陸の中国人社員、日本と関係する仕事に従事している中国人は合わせると何千万人という数に上ります。職場や組織における中国人は、普段友人としてつきあう時とはまた違った顔を見せてくれます。中国は悠久の歴史を誇る大国ですが、いわゆる“市場経済下”で仕事をするという歴史は実はまだ浅く、ビジネス体の組織の一員としてあるいはビジネスの現場で働く中国人は、時として我々日本人が思ってもみなかった反応や行動を示すことがあります。このコラムでは、野村総研の現地法人や清華大学との共同研究センターの設立に上海と北京で従事してきた同社主席コンサルタント・松野豊さんが、自身のこれまでの経験を思いめぐらし、職場の中国人のリアリティを描きだしていきます。
ところが設置したその週末、その石碑に汚い落書きをされてしまった。「中国万歳!日本××~(いわゆる日本をののしる言葉)」と書かれてしまったのだ。僕はたまたま週明けの月曜日は大学に来なかった。月曜日の晩にスタッフから電話が来た。「松野さんの会社を記した石碑にひどい落書きをされました。今それを消しているところです。設置場所を“目立たない場所”に移した方がいいと思います」
お倉入りしてしまった石碑。うっすらと落書きのあとが...…
翌日火曜日、大学に行った。行く途中運転手に聞いてみた。僕の運転手はうちの研究センターの総務を兼ねていてオフィス関係のこともいろいろやってくれる。いつもなら車に乗るとすぐいろんな大学の出来事やうわさを教えてくれる運転手が、その日はなぜか寡黙だった。「うちのセンターの石碑に落書きされたんだって?」「え?ああ、そうそう。でもあの石碑デザインが悪いよ、作りなおした方がいい」「今、どこにあるの。見たい」「あ、もう倉庫に持っていってしまった」……なんか歯切れが悪い。僕に何か隠していることでもあるのかな。
大学に着いた。「石碑、見せてよ」と僕が言うと、彼はしぶしぶ保安に言って倉庫の鍵をもらい僕を案内した。小さな物置のようなところにその記念の石碑は無造作に置かれていた。落書きはかすかに跡が見えるが、丁寧に消されていた。「何て落書きされたの?」「……」なんか小声で言われたけど、よくわからなかった。言いたくないようだった。そしてまた言った。「このデザイン良くないよ」
オフィスのスタッフと協議した。「何で倉庫にしまったの?落書きを消せたんだからそのまま置いておけばいいじゃないの。ただの悪質ないたずらでしょ?」しかしスタッフは神妙な顔で言った。大学では以前にも日本企業の寄付で改修された建物に飾ったプレートにクレームがついたことがあるらしい。何とそのクレーマーはれっきとした清華大学教授で、ネットでその写真を公開しかつ学長に講義のメールを出したそうだ。だから今回の我々の石碑もネットなどで騒ぎにならないように、とりあえず倉庫にしまうことにしたそうだ。
これを「事なかれ主義」ということもできよう。清華大学は社会問題化するのを極度に恐れる体質がある。私のいるオフィスの例がそうだ。このオフィスは改装前は寮として使われており、オフィスに改造するまでは一般人がたくさん“住んでいた”。なぜ大学の寮に一般人が住んでいたかはここでは紙面の関係で触れない。そしてそうした人を立ち退かせるために大学は保証金を払ったのだが、何とその金額に納得しない人がまだ居座っているのだ。つまり我がオフィスの一部分には、まだ未改装で立ち退きを拒否した人のスペースが残っているのだ。よく新聞などに出ているように、中国では強制立ち退きは日常茶飯事なはずだ。でも大学はそれをしないらしい。事を荒立てたくないのだ。
「事なかれ主義」以外にもうひとつ気がついた。たぶん僕にひどく気を使っているのだ。つまり僕の会社は寄付をしたのだから大学にとってはお客さんだ。今回の石碑落書きはそのお客さんに大変恥をかかせた、いや、というより中国人の醜い面を見せてしまった。松野さんはとても不愉快だろう、だからできるだけ僕を刺激せずに静かに今回のことを処理したい。
中国人は個人としてつき合えば、純粋であけっぴろげだ。でも自分たちの恥となることについてはできるだけ隠したいという行動をとる。清華大学のれっきとしたエリートでも中国人はこんなことをするのか、と馬鹿にされたくない気持ちもあるのだろう。読者は意外に思うかもしれないが清華大学への寄付金合計で一番多いのは日本企業なのだ。だから日本企業は大事にしたい。僕のように中国に来てくれる日本人に不愉快な思いをさせたくはない。じゃあ堂々とこういうことはしないようにと大学に公示すればいいと思うのだけれど、そういうことはやれない。日本企業と蜜月であると思われるのは、それはそれで困るのだ。
ひとりひとりの中国人は自分の経験と価値観をもとに日本人とつき合ってくれる。もちろん日本を快く思わない人もいるし、好きになってくれる人もいる。でも職場のような団体の中の一員になると、みんな日本に対して構えてしまう。
日本人も同じ面があるかもしれない。職場で一緒に働いているのに、なぜか中国という“国家”と相対しているような気になってしまう。だから僕らは中国という“団体”とつき合うのではなくて“中国人”とつき合うべきなのだ。その心得がないとこの複雑で二面性を持つ中国を理解することはできない、僕はしみじみそう思う。
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松野豊
本職:経営コンサルタント、現在:北京の清華大学研究者
本籍神奈川県、実は大阪人。北京在住。
京都大学大学院で環境を専攻し、1981年に野村総合研究所入社。
環境政策研究、先端技術調査、経営システム改革などを手掛けた後、2002年、突如会社からひとり中国上海に派遣され、現地法人野村総研(上海)諮詢有限公司を設立、約3年総経理を務める。
いったん帰国後、2007年再び北京に赴き、今度は清華大学と共同研究センター(清華大学・野村総研中国研究センター)を設立し、理事・副センター長に就任。
現在は中国の経済・産業の研究に従事。専門は中国政策、経営システム改革。