第16回:顧客サービス

2016年9月11日 / カイシャの中国人



(写真)飛行機が遅れて、空港の窓口に殺到する乗客


 中国はもともとみんな国有企業だったせいで、お店の接客とか官庁の窓口などの対応はとても悪い、つまり「顧客サービス」という意識が低い。日本人が中国に来て誰もが最初に感じることだ。でも近年は相当良くなってきたと感じる。日本だって昔は悪かったと言う人もいるぐらいだから、中国もこれから徐々に良くなっていくことを期待したい。

 中国で顧客サービスという概念がなかなか育たないのは何故だろうか。実は僕は第2回で「公私混同」について既に書いているが、今回これから書くことはちょっと違っていて、「公私遊離」とでも言うべき事例だ。3つぐらい例をあげてみよう。

 一つ目は、顧客サービスが本来、顧客の立場に立って行われるビジネス行為であるはずなのに、なぜか企業(つまりサービスをする側)の都合が優先してしまう例だ。僕が最初に上海で会社を設立した時にオフィスの情報ネットワークを整備したが、トラブルが起こって業務に支障をきたしてはいけないので、外部のサービス会社に情報システムのヘルプデスクを委託することにした。いわゆるホットラインってやつだ。
 
 複数の業者にサービス業務の見積もりをお願いした。でもそのサービス内容を見て少々驚いた。ホットラインというのは「トラブルがあった時に迅速に対応する電話」という意味なのだが、その会社の契約書案には電話番号が5つほど書いてある。僕がなぜ5つもあるのかと聞くと、「担当者は5人準備します。上から順番に電話をかけて、出なかったら次の人にかけてください」という説明。1つの電話番号にできないのかと聞くと、「いや、担当者は自分の電話が鳴った時しか出ないのです」。「じゃあ、5番目の人までかけて誰も出なかった時は?」「また1番目からかけ直してください」

 要するにサービスする側の都合に合わせろということだ。これでもホットラインと言えるのか。2002年頃はこの手のサービス業者は少なかった。サービス業も結局は需給バランスだから、中国経済も落ち着いて売り手市場でなくなったら変わっていくのだろう。それが証拠に例えば、上海の日本料理屋などは競争が激しいせいか、かなり顧客サービスが良い。また今、外国企業の誘致競争が激しくなっている開発区などでは、区のトップが携帯番号を教えてくれて、「24時間、いつでも対応します」なんていうすごいサービスもある。

 第2は、顧客がどう思うかを思い巡らすことがないという例だ。僕が日頃から気になっていることのひとつにレストランの「賄い飯」がある。皆さんも見たことがあると思うが、レストランでは閉店間際になると、従業員が食事を始める。日本人の感覚だと、従業員はお客様が全部いなくなってから、あるいは店の奥など見えないところで食べたりするものだ。ところがまだお客がいても、隣のテーブルで堂々と食べ始めるのにはいつも驚く。

 もう勤務時間を終えたのだから、というのはその通りだけど、なんか講演を見終わってから舞台裏を見せられた時のようで、どうも心地よくない。もっと凄い例をあげよう。その1、飛行機のスチュワーデスが飛行中に、空いているビジネスクラスの席に座って休んでいた! その2、デモの警備にあたっていた警官が勤務を終えた後、集団で堂々と信号無視して道路を横切り、帰って行ったのを目撃した!

 第3の例は、仕事中に自分の立場を忘れてしまうことだ。ある日、上海から北京に向かう飛行機が急に何かの事情で飛べなくなった。その表示が出たとたんに、乗る予定だった乗客は航空会社の窓口に殺到した。昼間だったので大半はビジネス客だ。代わりの便は出すのか、他の航空会社への振替えをしてくれるのか等々、みんな聞きたいことは同じだ。

 窓口は人だかりで、当然誰も並んだりしないため身動きが取れない。こういう場合、僕のような外国人はどうしようもない。ただ遠巻きに状況を見守っていた。するとその時、窓口にいた航空会社の係員が突然叫んだのだ。「みんな黙れ!俺たちだって状況はわからないんだ!」一瞬、群衆が静まり返った。いくら何でもお客にこんなこと言っちゃだめでしょう。

 我々は仕事をしているときは、会社を代表して顧客に相対している。だからその瞬間は“公人”の立場だ。でもこれらの例をみると、突然“私人”に返ってしまっている。だから「公私混同」ではなく「公私遊離」と呼ぼう。つまり仕事をしている人が突然、遊離して個人に返ってしまうという意味だ。

 日本人は「立場論」が好きだ。「・・・の立場で申し上げれば、云々」という発言を多用する。“カイシャの日本人”はいつも会社を背負っている感がある。中国だって国のリーダーたちは、すべて役職などの立場を踏まえて発言する。しかし僕がいつも接している“カイシャの中国人”は、あるとき突然遊離して個人になってしまうらしい。

 ところで、中国の会社でも顧客との関係で納得できるところもある。それは契約行為だ。上下関係がはっきりしている外注契約であっても、契約書の内容は対等を主張できる。僕が驚いたのは、上海市政府との契約でもこちらが要望を出せば条文を変更してくれることだ。こんなことは日本の官庁ではあり得ない。契約条文は1文字たりとも変更させてもらえない。もっとも中国では契約書に書いてあることでも、後で平気で変更しようとすることが多いから、契約書の修正なんかあまり気にならないのだとも思うけど。

 「お客様は神様」という概念は日本式ビジネスの基本だ。そう言えば中国だって「為人民服務」という立派な言葉があるではないか。中国人の友人にそう言うと、彼は苦笑いしながらこう言った。「これはサービスしてやる、という上から目線の言葉ですよ」