第5回:腹に入る

2016年9月11日 / カイシャの中国人





 中国の食文化の豊かさについては、世界中の人が論評しているので解説は不要だろう。中国は大きく、地方によって気候、習慣や言葉も違うので、食べるものや料理の仕方が違うのも当然だ。ちなみに中国の4大料理とは、広東、四川、江蘇、山東の各料理を指すらしいが、それから派生したと思われる湖南、北京、上海、雲南など特徴ある料理が数多くある。中国の食文化はとても多様だ。
 さて今回の話は中華料理のことではない。中国人と食事の関係についてである。日本でも昔から「腹が減っては戦ができぬ」とか「その話は俺の腹に入らない」といった言い方をする。”腹に入る“とは、理解する、納得すると言った意味だが、要するに人間、ちゃんと食べないと他のことがみんな疎かになってしまうという意味なのだろう。僕は常日頃から、世界で中国人ほどこの言葉がふさわしい国民はないと思っている。

 国が貧しかったころの中国人は食事が何よりの楽しみだったことは理解できるが、豊かになった現在でも、中国人にとって食事は生活の中でとても重要な部分を占めている。中華料理は円卓でわいわい言いながら食べるのが習慣だし、そのせいか食事中の中国人はとてもやかましい(中国人が食事中で唯一静かなのは、蟹を食べるときらしい。肉を一生懸命穿るのでしゃべっている暇がないから)。

 我々日本人は黙々と箸を動かして静かに食べるのが習慣だ。小さいころから親に「食べ物を口の中に入れたまましゃべるのは行儀が悪い」と教えられてきた。でも中国人はそんなことはお構いなしだ。中国に初めてきた人は、うら若き女性がレストランのような公共の場所でも平気で食べ物をテーブルの上に吐くことや、中国人が食事をした後のテーブルの汚さを目の当たりにしてみんな唖然とする。中国人にとって食事は、ストレス発散の場でありコミュニケーションの機会でもある。大げさに言えば、中国人の食事は“魂を開放する場”なのである。

 前置きが長くなった。我々日本人は、会社は仕事をする場所で食事は個人の生活だからこのふたつはあまり関係ないと思っている。しかし僕はあるとき、職場の中国人が仕事と食事を同じ生活の中で同期させているということを知った。僕が上海の老板だったときこんなことがあった。その日は重要な仕事があって、あるプロジェクトのメンバーはみんな最後の追込みに入っていた。時間は午後6時。僕は言った。「よしあと1時間でこのプロジェクトの報告書が仕上がりそうだ。みんなもう一息だ。7時を目標にがんばろう。終わったらみんなで食事をしようじゃないか!」

 ところが、これを聞いてある社員がポツリとつぶやいた。「もう6時じゃないですか。まず飯を食いましょう。食事を終えてから仕事の最後の仕上げをしましょうよ」。「あと1時間ぐらいで終わるんだから、先に仕事終えたらどうだ?その方がすっきりだろう?」「え~、7時まで食事もしないで仕事するなんて耐えられません」。なんと、メンバーみんながこの社員の言葉にうなずいたのだった。

 中国人にとっては、食事が仕事の犠牲になるなんて耐えられないのだ。結局、メンバー達はまず先に1時間ぐらいかけて夕食を取り、その後会社に戻って夜8時半頃にようやくプロジェクトの報告書は出来上がった。僕なんかは食事をしてから仕事をしたことで、とても眠くてかえって生産性が悪かったような気がしたけど、社員はみんな喜々としていた感じだった。

 中国では「吃饭了吗?」という会話が「こんにちは、元気か?」といった挨拶替わりに使われる。お昼とか夕方の中国人からのメールにはこの言葉が添えられていることが多い。僕の運転手は常日頃、日本の会社は残業が多いことを聞いて同情してくれるが、あるとき僕が、「日本にいるときは夜十時まで食事をしないで残業し、家に帰って十二時頃晩御飯を食べていた」と言うと、腰を抜かさんばかりに驚いた。でも「日本の仕事は忙しく、徹夜になったこともある」といっても、運転手は時にはそういうこともあるだろう、という反応だ。睡眠は忙しかったら削ることもいた仕方ないが、食事を粗末にする生活は断じて許せないということなんだろう。

 蛇足になるが、日本の会社では何かの行事の打上げとかで宴席を設けても、若い社員などは何かしら理屈をつけて参加しないことが多い。夜のプライベートな時間まで上司の小言を聞きたくはないということだ。でも僕の経験では、中国の会社だと宴会の出席率はとても高い。最初の頃は、外食は贅沢でめったに食べられないものが出るからみんな出席するのかなと思っていたけど、豊かになった今でも相変わらず宴会にはみんな参加する。

 やっぱり食事は中国人にとって一種のパラダイスなのだ。“腹に入る”ことは職場であれ何であれ生活の根本なのだ。たまに出張で日本の会社に帰ると、若い社員が自分の席でこそこそとコンビニのおにぎりを頬張りながらパソコンに向かっているのを見て思わず同情してしまう。僕らも、食事という儀式を仕事と関係なく楽しむことも心掛けてみる必要がありそうだ。