第14回:通訳依存の罠

2016年9月11日 / カイシャの中国人



(写真)日中のような似て非なる国家間においては、通訳は生命線になる


 最近、日本では中国語を習う人が増えてきたが、仕事で中国語を使いこなせる人材はまだまだ少ない。だから中国のビジネスにおいては通訳の存在がとても重要だ。少し前になるが、空調メーカー・ダイキン上海の総経理を訪問したときに、こうおっしゃったことが今でも強く印象に残っている。「中国でのビジネスで何が重要かと言えば、それは通訳ですよ。かなり高給でも構いません。重要な人との会話や交渉の場において、自分の意思が伝わらないとしたらこれはビジネス上、致命的ですから。」
 そう言えば僕も、最近は多少なりとも中国語を解するようになったからか、会議の場などで通訳の方の言葉を聞いていて「あれ?」と思うことが結構ある。言葉は確かに訳しているのだろうが、その人の言いたいこと、つまりニュアンスが相手に伝わっていない。しかしもっと重要な罠に嵌っている。話しをしている日本人自身が「自分の言いたいことが100%相手に伝わっている」と思い込んで話を進めてしまっていることだ。

 僕のドタ勘では、中国人との会話に慣れていない日本人と普通レベルの通訳の組合せの場合は、言っていることのニュアンスは70%ぐらいしか相手に伝わっていない感じだ。日本語には独特の言い回しがたくさんある。もちろん中国語の方も多くあるだろうが、日本語の特に「遠回しな表現」、「へりくだる表現」は相当な力量の通訳でないと相手にニュアンスも含めて正確に伝えられないと思う。

 ちょっと例を挙げてみよう。「この話はなかなか進まないので、お互い隔靴掻痒の感がありますな」「そういう風なやり方は、我が社では御法度なんです。」「私はあの会社では、面が割れているので。」「そうですね、時節柄そういうイベントはやめておいた方がいいと思いますが。」

 僕の研究センターの助理(実はこの文章を中文翻訳している!)にこれらの表現をみて直感でどう訳すか聞いてみた。「隔靴掻痒(かっかそうよう)」は、聞くとわからなかったが字を見せるとわかった。中国語も同じで意味も同じだからだ。「御法度(ごはっと)」は中国語で「教条」と訳した。これだと根拠のない禁止事項みたいに聞こえるので、日本語の意味とは逆だ。コンプライアンスを強調する日本企業の意図は伝わらない。

 「面が割れている」は難しい中国語で“対立する”という意味に訳した。これだと誤解されてしまう。日本語では“素性が知られている”というポジティブな意味なので、この翻訳だと反対の意味になる。自分では謙遜したつもりの言葉が相手に伝わらない。

 最後の「時節柄」。これは図らずも今、現地の日本人が常用している言葉だ。中国語では「関健時刻」、つまり“肝心な時”と訳した。たぶん大きな誤解にはならないだろうが、これでは”まわりの様子を窺いながら“という日本人独特の行動心理は伝わらないだろう。

 さて僕はあることに気がついた。普通日本人は相手が外国人である場合、できるだけ誤解が生じないように分かり易い言葉を使おうとするはずだ。しかし僕の経験によれば、日本人はなぜか中国人を相手にすると難しい言葉を使いたがる傾向がある。もっと正解に言えば“中国語由来のような”熟語をやたらと使いたがる。例えば四文字熟語とか諺だ。

 日本人は、なぜ中国人相手だとこういう言葉を使いたがるのか?その理由は、中国人と言葉を交わすと何か親近感というか、文化を共有していることを確かめたいという感情が出てくるからではないだろうか。実は、根底に中国の文化に対する尊敬の念のようなものもあるのだと思う。中国人も四文字熟語(成語)をよく使うし、日本語に訳すとき優秀な通訳は言葉の由来や奥の意味を補足して伝えてくれる。だから日本人も中国の人と話す時は、難しい言い回しを多用したくなるのかもしれない。

 例えばアメリカ人相手に話す時にはそういう言い回しは使わず、もっと通訳のしやすい直接的な言葉を使うはずだ。所詮、表音文字を使う欧米人には、熟語の持つ深い意味なんて話しても解りっこないと思うからだ。やっぱり日本人と中国人の間には深い文化的な繋がりがあるのだ。様々な局面における日中の誤解の真の原因は、ひょっとしたら日本人自身が使う日本語にあるのかもしれない。