その4 『言論NPO』代表・工藤泰志さん:救援・甘いもの・ウーロン茶

2016年8月31日 / 私の出会った日本人

「また太りました!?」
 工藤泰志さんと再会した中国人は口を揃えて言った。
“太った”——。この表現は今の中国では褒め言葉でも何でもない。50過ぎの外国人、とりわけ平均よりも太めの日本人に対し、当人に遠慮なくそう言えるということは、中国メディア界に身を置く彼らと日本の『言論NPO』の理事長を務める工藤さんがどれだけ親しいかを物語っている。
 
 工藤さんには、筆が進まなくなると立て続けにタバコを吸うという、記者にありがちな癖がある。ただ、大多数の男性記者と違うのは、甘いものに目がない、というところだ。デスクにあるお菓子類を食べ尽くしてしまってもなお書けない、そんなとき彼はタバコに手を伸ばし煙の中で原稿と格闘するのだった。
工藤さん
工藤さんが運営する
『東京ー北京フォーラム』は昨年第6回を迎えた

 工藤さんが“太った“ことは今回の大地震と少なからず関係している。
「私は青森県出身だから東北人の気質をよく分かっています。東北人は自分がどれだけ切羽詰まっていても、もっと困っている、助けを必要としている人がいると気遣い、救援は自分たちではなく他のもっと辛い状況の人たちに、と目を潤ませて言うのです」
 彼は中国の記者たちにそう言った。地震発生後、原稿を書いていないときでもストレスを強く感じ、常に何かを口にせずにはいられなくなった。何を食べているのかを意識することもないまま体重だけが増えていった。
 工藤さんのこの特徴を知る人は多くいる。数か月かそれ以上ぶりに再会すると、彼がその期間どんな状態にあったのか、比較的リラックスしていたのか、それともストレスが多かったかを体型の変化から判断できるのだ。ひとまわり肥えた工藤さんが、旅の疲れを滲ませつつ目の前に現れれば、記者たちは彼の地震後のストレスにさらされた日々を容易に想像できるのだった。
 工藤さんが東北人について語った時、中国人記者の多くは普通の日本人の姿を思い浮かべた。今回あれだけ大規模な地震と福島原発事故が発生したにもかかわらず、海外に助けを求める日本からの声はほとんど聞こえてこなかった。東京電力はアメリカにも、IAEAや関連組織にも自ら援助を求めなかったので、いったい日本の政府や企業は何を考えているのか!?とまで思わせることとなった。しかし工藤さんの言葉を耳にしたことで、日本人の気質を知り、人に頼らずに自分で困難を克服しようとするその態度に納得すれば、日本に対する敬服の念までもがわき起こってくるのだった。
 地震後の2、3週間は、日本国内の援助活動の実施に混乱が見られていた。
「阪神大震災の時と比べて今回は、民間ボランティアの行動が迅速かつ経験豊富で、皆自分用の食料と生活用品を持参した上で被災地に入ろうとしました」
 工藤さんはそう言った。しかし多くの救助隊が被災地までの道を阻まれていたうえ、ボランティアの多くもどこに向かえばいいのか分からないといった状況で、災害下でこそ大きな力を発揮すべき『言論NPO』として、全くなすすべを知らず、工藤さんはただ焦りを募らせていた。そして彼は救援の呼びかけをしたり、政治家・官僚や他のNPOと救助対策について話し合う時以外は、甘いものを食べ続けることでその焦燥感から逃れようとしたのだった。
「甘いものばかり食べてはいけませんよ。お茶を飲んでください」
 やはり中国メディアに携わる古い友人に勧められ、工藤さんは中国に来て以来積極的にウーロン茶を飲み始めた。

 現在彼は、中国の力を借りて共に震災に立ち向かう方法を中国メディア関係者と話し合っている。非常に難しい課題である。第二次大戦後の日中関係はこれまでずっと助ける側(日本)と助けられる側(中国)であり、それが逆となるのは今回が初めてだからだ。言論NPOとしてその解決策を迅速に示さなくてはならない。
 活気あふれるその話し合いの場で、彼はウーロン茶を飲み続けている。折よくそこには甘いものが置かれていない。
 


ChenYan

投稿者について

ChenYan: 会社経営者 1960年北京生まれ。 1978年に大学に進学して日本文学を専攻した。卒業後に日本語通訳などをして、1989年に日本へ留学し、ジャーナリズム、経済学などを専攻し、また大学で経済学などを教えた。 2003年に帰国し、2010年まで雑誌記者をした。 2010年から会社を経営している。 主な著書は、「中国鉄鋼業における技術導入」、「小泉内閣以来の日本政治経済改革」など多数。