その16 早坂裕さん:宮城発・スプレー塗装の革新

2016年8月31日 / 私の出会った日本人





 仙台市内から1時間近く車を走らせると郊外の加美郡に入った。窓から見える景色は見渡す限りの田んぼに時折民家が交じる。大きな集落はないようだ。東北地方の過疎は想像以上に進んでいるように思えた。
 加美電子工業の本社工場はその田んぼのど真ん中にある。ほかには、近くに第一・第二工場が、そして上海、江蘇省呉江にも自社工場がある。

 社長室で早坂裕さんとお会いした。血色がよく人当たりが優しそうな、日本の経営者の典型のような方だ。
「3月11日、私は上海の空港に到着したところでした。しかし、日本で大きな地震がありわが社が被災したことを知り、すぐにチケットを手配してとんぼ返りしたのです」
 早坂さんは言った。
 すでに仙台空港は閉鎖されており、新潟を経由してなんとか翌日には到着できたという。「既に工場ではスタッフが機械のメンテナンスをしていました。その時“私たちは必ず復興できる”と確信したのです」
 早坂さんは続けた。
 加美電子工業は部品にスプレー塗装や印刷などの表面加工を施す会社だ。日本の携帯電話や海外自動車メーカーの多くの部品がここで塗装・印刷されている。
「以前、スプレー塗装の際には有害なVOC(揮発性有機化合物)が排出されていましたが、希釈剤を有機溶剤からCO2に替える技術を開発したことで、その排出を大幅に削減しました」
 宮城県にあるこの会社のスプレー塗装技術はもちろんのこと、企業として目指しているものがよくわかるだろう。
 加美電子工業はこの革新的な技術とともに順調にマーケットを開拓している。被災後の生産ライン復旧の迅速さはもちろん、さらに大きく飛躍する強さを持ち合わせている。
「江蘇省呉江の経済開発区に新しい工場を建設しているところです。中国の携帯電話市場、自動車業界の規模拡大に合わせて私たちの中国事業も強化しなくてはなりませんから」
 早坂さんは自信に充ち溢れていた。
 加美電子工業がスピーディな海外展開を進め被災を克服し、さらに大きく飛躍する姿が目に見えるようだ。


ChenYan

投稿者について

ChenYan: 会社経営者 1960年北京生まれ。 1978年に大学に進学して日本文学を専攻した。卒業後に日本語通訳などをして、1989年に日本へ留学し、ジャーナリズム、経済学などを専攻し、また大学で経済学などを教えた。 2003年に帰国し、2010年まで雑誌記者をした。 2010年から会社を経営している。 主な著書は、「中国鉄鋼業における技術導入」、「小泉内閣以来の日本政治経済改革」など多数。