その28 清水美和さん : 文革の影響を受けた記者

2016年9月1日 / 私の出会った日本人

 2012年4月10日、東京新聞の論説主幹清水美和さんが亡くなった。享年58。

 私が清水さんと初めてお会いしたのは2003年頃だったと思う。その後も幾度となくご一緒する機会があり、2006年にとある経済誌でコラムを順番に担当することになってからは、彼の記事をより興味深く読んでいた。
 中国の政治に明るい清水さんの記事は、中国現代政治に関するものが多く『中国問題の内幕』という著作もある。日本語の“内幕”は中国語の意味“不正を暴く”よりも“内情”というニュアンスに近いだろう。
 清水さんの情報源がどこかは詳しくは知らない。一時的に人々の話題に上る有名人についてなどは、私ならば記憶に留めないどころか分析したり関連情報を集めることもないだろうが、清水さんは知り得た内情を詳しく整理・分析した。今彼の本を読み返せば、そこに非常の多くの史実が反映されていることに気付く。

 私は後に中国問題の専門家から、清水さんが1977年に京都大学経済学部を卒業したこと、在学中は全日本学生自治会の委員を務めていたことを聞いた。77年ならば、中国の文化大革命が日本に及ぼす影響はかなり小さかったと思うが、多くの内部抗争があった自治会という組織で委員を務めたということは、彼の政治闘争に対する感覚の鋭さが容易に想像できる。
 清水さん愛読の“ML”とはマルクス・レーニンの略称であると周りの人間は長い間考えていたが、文化大革命の重要人物である毛沢東と林彪を指すことが後になって分かった。これには中国人も驚くだろう。清水さんは60年代の終わりに学生運動をした世代よりも10歳ほど年下だ。私は左翼の活動家を知ってはいるが、清水さんのように新聞社に勤めるような人物は非常に稀だ。日本の大手新聞各紙が原子力政策を支持する中で、「脱原発」の見解を論説主幹として示したことは、その経歴と少なからず関係があるだろう。
 清水さんは中国の政治に精通していたが、東京新聞を代表する社説を書く立場にあれば日本国内はもちろんアメリカ等の国際問題に対しても独特の見解を持つ必要がある。中国専門家としてスタートしながらその役割をきっちりと果たすのは並大抵のことではない。

 2011年、日本記者クラブでお会いしたのが最後になった。濃い目のほろ苦いコーヒーを飲みながら、話題は中国経済に始まり徐々に日本経済へ移っていった。民主政権後の政策に対する清水さんの分析は実にすっきりと理解できる。民主党の経験不足というよりも党内部のアメリカ志向とポピュリズムが理由で、今後数年内日中関係に転機は訪れないとのことだ。これを聞いて民主党に対する過度の期待は徐々に消えていった。一度の会話から私の日本政治に対する判断に影響を与える——清水さんはその数少ない人物の1人だった。

 残念なことに清水さんは遠くに旅立ってしまった。あちらの世界からどんな風にこの世の中を眺めるのだろうか。腹を立てることも多いかもしれないが少なくとも病で苦しめられることはないだろう。
 清水美和さん、どうぞ安らかにお眠りください。


ChenYan

投稿者について

ChenYan: 会社経営者 1960年北京生まれ。 1978年に大学に進学して日本文学を専攻した。卒業後に日本語通訳などをして、1989年に日本へ留学し、ジャーナリズム、経済学などを専攻し、また大学で経済学などを教えた。 2003年に帰国し、2010年まで雑誌記者をした。 2010年から会社を経営している。 主な著書は、「中国鉄鋼業における技術導入」、「小泉内閣以来の日本政治経済改革」など多数。