その25 山名健司さん : 日中が共有できる経験から

2016年9月1日 / 私の出会った日本人

 





 山名健司さんが四川から戻ると、北京は既に帰宅ラッシュアワーで一番渋滞する時間帯だった。日本国際協力センターの総務部長として数十名の救援活動経験者と共に四川に行き、現地の被災市民やボランティアと交流活動をして来たところで、私と会った時の山名さんの顔は長旅の疲れを隠せない様子だった。
 国際交流と言えば多くの人は文化やスポーツの分野を思い浮かべるだろう。
「ここ数年は防災や救援の分野で日中共有の経験が多くあり、国際協力センターもそうした分野を交流プロジェクトに加えたのです」
 山名さんは言った。
 
 日本国際協力センターは1977年の設立以来数多くの国際交流活動に関わってきた。例えば留学生の募集・受け入れや国際交流の専門家に対する通訳の提供などだ。
「今回は東日本大震災の救援ボランティアを組織し、四川大地震のボランティアや自治体との交流を目的に訪中しました」
 センターがこうした活動に参加するのは今回初めてとのことだ。一行は11月24日に北京入りしてすぐ四川に向かった。
「現地で四川大地震のボランティアと会い、すぐに互いの経験に共通点が多くあることがわかりました」
 多くのNPO・NGOが被災地救援活動に参加したのも日中変わらない光景なら、そこで目の当たりにした苦しみ——家族や家を失った被災者やその後の就職難——もまた日中共通のものだった。
「救援活動が一段落した後は、被災者に対する心理的配慮の重要度が増してきます」
 四川の状況を見てきた山名さんは、震災後間もなく1年を迎える東日本の各地にもこうした配慮が重要になってきていると感じた。

ジャーナリスト・陳言 山名健司さん : 日中が共有できる経験から

 山名さんは四川で日中両国の大きな違いも目にした。
「四川は綿陽(四川大地震で最も大きな被害があったところ)を全く新しく作り直したのです」
 山名さんは驚きを隠せない様子で言った。日本だと同じようにはいかないことだろう。
日本政府が津波の被害を減らすために更に高い防潮堤を築いたり、新しい場所に居住区を作ったり、といった話はまだほとんど耳にしていない。
「日本は被災者に対する心理的なサポートが比較的多いと思います」
 山名さんは続けた。物質的に豊かな日本、援助物資よりも被災者に対する関心や思いやりがより必要とされる場合が多々ある。そうした日本の経験も今回山名さんのメンバーを通して中国のボランティアたちに伝えることができたのだった。
 山名さんは自身が発見した日中両国の救援活動における共通点と相違点、そして数々の情報交換を通じて、今後も多くの分野で市民レベルの日中交流を押し進めなければならないと感じた。国際交流センターが組織した救援ボランティアの日中交流は今回が第一回だが、これからも他の分野での交流や、更に掘り下げた交流が期待できるだろう。


ChenYan

投稿者について

ChenYan: 会社経営者 1960年北京生まれ。 1978年に大学に進学して日本文学を専攻した。卒業後に日本語通訳などをして、1989年に日本へ留学し、ジャーナリズム、経済学などを専攻し、また大学で経済学などを教えた。 2003年に帰国し、2010年まで雑誌記者をした。 2010年から会社を経営している。 主な著書は、「中国鉄鋼業における技術導入」、「小泉内閣以来の日本政治経済改革」など多数。