その5 ワタナベさん :ハンカチ落とし―バブルのあとに残ったものは―

2016年8月31日 / 私の出会った日本人



(写真)建設ラッシュの北京


「家を買いましたか?」
「何軒買いましたか?」
 私が2003年に中国に戻ってからの数年、しばしば投げかけられた質問である。しかし実際のところ、50代以上、そして北京のような場所ではこの手の質問に答える必要はない。こぞって家を買おうとするのは大抵30前後の若者で、その偏狂的ともいえる熱心さ、着々とターゲットを手中に収めている姿は羨むばかりである。
 私にも30前後の頃があった。1980年代の終盤、かのバブル経済が、日本にいた私の肩をかすめて行くのを感じた頃だ。

建設ラッシュの北京
建設ラッシュの北京

 当時の東京は、すでに贅沢三昧の時代だった。最先端の現代建築に囲まれ、超一流の料理に舌鼓を打ち、いち早く新商品が手に入る場所、そしてそれを支える極めて勤勉なサラリーマンたち――。東京にはそんな世界の“最上級”が集結しており、それに伴うかのように経済も“沸点”に達しようとしていた。
  
「家を買うべきですよ!世の中何でも作り出せるけれど、土地だけは増やせませんから」
 当時30代前半だったワタナベさんは私に言った。
 その頃、私の頭の中では家というものは国からあてがわれるものであり、政府の高官などは広いところ、一般市民はそれなりのところ、農民に至っては自分で建てるものだった。そして日本にはこんなにたくさんの埋立地があるのに、ワタナベさんはなぜ土地は増やせないなどというのか、とても不思議に思ったものだ。
「ハハハ!わかってないですね、君は。埋立地ができたことで地球の面積は増えましたか?」 
 彼は私に尋ねた。
 当然増えてなどいない。大学で法律を学んだ彼はその頃司法試験に向け準備中だった。弁護士資格を得るまでの間、とある事務所で働いていたのだった。法律を学ぶ人は他人とは違う視点を持ち合わせていてごく抽象的な部分からでも物事をはっきりと見通せるものなんだな、と私は思ったものだ。
 収入も高くなかったし、司法試験のために相当の精力を傾けなくてはならなかったが、ワタナベさんは当時成功していた若者たちと同様にマンションを買った。東京の閑静な高級住宅街のひとつである目黒区で、ワンルームタイプを二部屋買った。
「東京に出てきて働いているような人に貸せるんです。借り手も探してくれると購入時にディベロッパーが約束してくれました」
 ワタナベさんは満足げに話してくれた。彼の住んでいた賃貸マンションから事務所までは1時間半かかっていたが、目黒の部屋からなら30分ほどだった。
 一部屋は賃貸にまわし、一部屋は自分用として住む――。ワタナベさんは手堅かった。私の記憶が正しければ、当時30平米未満のその部屋は3000万円くらいだったと思う。彼の10年分の給料に相当する額だ。でも一部屋を貸すことができれば、彼の1カ月分の給料とほぼ同額の賃料が入ってくる。
「日本の不動産価格の上昇局面を加算すれば、遅くとも6、7年で元をとることができるでしょう。不動産価格は毎年二桁ペースで上昇するでしょうから」
 日本経済の戦後40年あまりの発展過程を踏まえ、ワタナベさんは結論を出した。

バブル後の東京



(写真)バブル後の東京


  
 今北京の人々が、この20年前のワタナベさんの姿を目にしたとしたら、今後20年の給料を全てつぎ込んで北京の二環の内側にワンルームの部屋を買うと想像したら、どんな言葉が出てくるだろうか?
  
20年ぶりにワタナベさんと再会した。60代に見えなくもない白髪のその人は今も同じ事務所で働いていた。
「価格は下がり続ける一方だし、ローンの負担も重いので、ふたつとも売却してしまいましたよ」
 彼は言った。この20年来、日本のほとんどの場所で不動産価格は下がり続け、ピーク時の約6分の1にまで落ち込んでいる。頭が切れるワタナベさんだから悲惨な状況までには陥らなかったにせよ、不動産投資に失敗したことで、その後の飛躍のチャンスを失ってしまったと言えるだろう。もちろん彼は職を失ってはいないから、まだいい方なのかもしれない。がしかし当初の目標であった弁護士の資格を得るには至らなかった。
「給料が上がらないどころか、ボーナスも減る一方です」
 彼は力なく言った。80年代の日本でまだ若かった彼らは、バブル時代の重い負担が足かせとなって、50代になった今も社会を支える人材になりきれていない。社会を新しい発展段階へと導く中堅どころのパワーを思いがけず失った日本、その社会のどんよりとした暗さはそんな彼らの失速と密接に関係しているのではないだろうか。
 20年前の東京では、かなりの人が家を買おうとしたため不動産価格の上昇を招いた。一方で賃貸物件の借り手の減少が、所有者のローン返済を困難にした。地球の面積についての見通しは明るかったワタナベさんだったが、この付帯してきた小さな問題について歴史から学べるものはなかったようだ。ハンカチ落としのババをうまくパスできないままゲームが終わってしまい、いまワタナベさんの手の中にハンカチは持っている、ということか。
 今回の地震による建物の被害はほとんど見られず、東京は変わらずその現代的な容貌を保っている。依然として一流の味覚を楽しめ、原宿ファッションは目に鮮やかだ。これらとはもう縁がないかのように見えるワタナベさんは、すでに手放したその二部屋の20数年ローンを早く完済するために、せめて残業を増やすことはできまいかと考えている。
 今の日本で、彼に
「家を買いましたか?」
「何軒買いましたか?」
 と尋ねたとすればこれはもう皮肉以外の何物でもない。


ChenYan

投稿者について

ChenYan: 会社経営者 1960年北京生まれ。 1978年に大学に進学して日本文学を専攻した。卒業後に日本語通訳などをして、1989年に日本へ留学し、ジャーナリズム、経済学などを専攻し、また大学で経済学などを教えた。 2003年に帰国し、2010年まで雑誌記者をした。 2010年から会社を経営している。 主な著書は、「中国鉄鋼業における技術導入」、「小泉内閣以来の日本政治経済改革」など多数。