羽田空港、東京駅、そして新宿の長距離バスターミナルなどでは、リュックサックを背負い被災地に向かう人の姿がよく見られる。彼らは特別な組織やグループに属しているわけではなく、一個人のボランティアとして、困っている被災者の助けになりたいという一心で被災地に赴く。日本におけるボランティア活動は、もはや一種のスタイルとして確立されており、海外からの目には、自らの襟を正させるような尊敬すべきスタイルとして映っているといえるだろう。
日本政府もこうしたボランティア活動に対してさまざまな便宜をはかり、ボランティア活動の広がりを推進している。衆議院議員である辻元清美さんはそうした中で非常に重要な役割を担っている。
大地震発生2日後の 2011年3月13日に、辻元議員は被災地救援活動を行う災害ボランティアをまとめる専門の役職として「内閣総理大臣補佐官」を命じられ、彼女自身も岩手、宮城そして福島の各被災地に赴いている。
救援活動に最も必要とされているものは何か、被災地ではどんなスキルを持つ人が必要か、誰がボランティアをまとめていくのか、ボランティアやNPOと協力すべきはどの部署か―。地震直後はそうした県レベル、市レベルの対応がうまく進んでいなかった。辻元議員は自身の阪神大震災での経験や各NPOと過去に築いた関係を生かし、そして政府としての立場も踏まえ、ボランティア活動の条件を整えていった。
「被災地に赴けば、そこに来ていたほとんどすべてのNPO,NGOに私の知り合いがいました」
辻元議員は言った。
30年前、学生時代に自ら設立したピースボートでの活動をはじめ、さまざまなNPO活動経験を持ち合わせる辻元議員、その世界で彼女を知らない人はいない。彼女のようなNPO専門家が国会議員の中にいれば、政府とそうしたNPO間における情報の共有・伝達もかなり効率がよくなるはずだ。
「地震発生後は多くのボランティアが被災地に駆けつけようとしましたが、まずはそうした多数のボランティアよりも先に、被災地の状況を把握するためのチームを派遣しなくてはなりません。被災地までのルートは各救援部隊と緊急物資を輸送する車しか通れませんから、まずはそうしたチームに特別通行証を発行してもらいました。ガソリンも不足する中で、この通行証があったおかげで途中の給油も優先して受けることができました」
辻元議員は議員会館でそう話してくれた。今回の大規模なボランティア活動による被災地救援は、16年前の阪神大震災とは大きく異なり、政府レベルからのサポートが大きく効力を発揮している。
「海外からもボランティアやNGOが多数来日し、数千人が被災地に赴きました」
辻元議員は言った。欧米人、中国人や台湾人、そして在日中国人なども次々と被災各地に救援の手を差し伸べている。
「救援活動において、そうした外国人ボランティアに最大限力を発揮してもらうためにはどうすればいいのかを考えました」
辻元議員は新しいボランティア活動方式の構想を練った。今回の地震と津波、そして特に福島の原発事故の影響で、日本に旅行を計画していた外国人の多くがその計画をキャンセルしている。
「原発から数百キロの距離にある岩手県や宮城県は、繊細な日本の食文化を誇る風光明媚なところです。ところが今回のことで観光客の客足が突然途絶えてしまいました」
辻元議員はこうした現象に心を痛めている。観光客が来なければ地方経済の回復にはさらなる時間がかかってしまうからだ。
「もし外国人ボランティアを乗せた飛行機が毎週1機やってきて、被災地復興活動を終えた夜には近くの温泉地で温泉と日本料理を、そして帰国前に日本の風景も楽しんで帰っていただければ、被災地の観光業が真っ先に復興するのではないかと思うのです」
彼女は興奮気味に語った。
観光を兼ねて被災地を訪れ、そのうちの1日、がれきの撤去や清掃など、それぞれが自分なりにできることをして帰っていく。そしてその小さな流れが集まって大きな流れになる――
そうしたボランティア活動が一種のスタイル、被災地が復興に向けて動き出すためのひとつのスタイルとなり得るのではないだろうか。
数十年前に多くの若者を率いて諸外国との民間交流を重ねていた辻元議員、彼女は今、さらに多くのボランティアとともにその新しいスタイルを実践している。
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その1 匿名
ChenYan: 会社経営者 1960年北京生まれ。 1978年に大学に進学して日本文学を専攻した。卒業後に日本語通訳などをして、1989年に日本へ留学し、ジャーナリズム、経済学などを専攻し、また大学で経済学などを教えた。 2003年に帰国し、2010年まで雑誌記者をした。 2010年から会社を経営している。 主な著書は、「中国鉄鋼業における技術導入」、「小泉内閣以来の日本政治経済改革」など多数。