野松先生の車はハイブリッドカーだ。
ハイブリッドカーは、日本でかつて使われていたMD(ミニディスク)やMO(光磁気)と同様に、本来は中国国内にマーケットがあって然るべきであるのに、それがないまま今に至っている。もともと中国国内に関連技術がなかったこと、政府が経済レベルでその開発を推し進めていなかったことが、上記のいずれもが中国に普及していない原因だろう。そしてハイブリッドカーがMDやMO以上に世界じゅうで大流行していたころ、中国だけはまだ蚊帳の外だった。
だから野松先生が一般消費者としてハイブリッドカーを選んだのは、私にとって軽い驚きたった。
現在、私の知人のうち何人かがハイブリッドカーを所有している。そのうちひとりは国立公園に勤める公務員だ。家はとても裕福で、彼女のお母さんはもともとヨーロッパの有名メーカーの車を買うように薦め、お金も一部出してくれると言っていたそうだが、彼女が最終的に選んだのは日本製のハイブリッドカーだった。
「国立公園の職員として環境保護に気を配らなくてはなりません。車を使わないのがいちばんですが、勤め先の公園がとても広いのと仕事で外出することも多いので、運転するならハイブリッドカーがいいと思いました」
と彼女は言った。公園の管理事務所の車も当然ハイブリッドカーであり、ためらうことなく同じタイプの車を自分用に選んだのだった。
もうひとりは大学の学長をしている。ある日大学のOB会のあいさつの席上、買ったばかりのハイブリッドカーも話題に取り上げ、そこにいた人たちに今後自家用車を購入するのなら、自分の車のようなハイブリッドカーがいいと薦めた。
「購入して1カ月あまりが過ぎました。毎日乗っていて気づきましたが、以前の車よりもだいぶガソリンの節約になっています」
彼はそう語った。
学長がどこかのメーカーの宣伝をしているようにはまったく思わなかった。この話を聞いた元学生たちはむしろ、母校に対して、そしてオピニオンリーダーの役割も果たしている学長に対して、その環境保護意識の高さに好感を持ったのではないだろうか。
野松先生は大学教授だ。
「工業区の近くに住んで20年あまり、私はひどい喘息持ちです。以前は車を運転していましたが、喘息になったのを機にやめました。車は空気汚染になり、他の人まで喘息になってしまいますから」
彼女はそれだけの理由でもう何年も車を運転していなかった。
先生は最近再び運転するようになった。大学は交通が不便な郊外にあり、仕事で外出するにも車が必要なことが多い。先生ももう若くはなく、毎日歩くのも自転車やバスを利用して通勤するのもあまり現実的ではない。しかし、車を買う決心がついた最大の理由はハイブリッドカーの登場だ。
「普通の車に比べて価格は少し高いですが、省エネと環境保護という観点からすれば十分受け入れられるものでした」
先生は言った。
数年前、ハイブリッドカーの販売台数は世界で100万台を記録した。2011年3月には300万台を超えている。
「中国での販売台数は約1万台です」
とある海外メーカーのセールスマンが言った。中国メーカーが開発したハイブリッドカーは、2010年前後に続々と登場している。
中国のニューリッチ層、官僚やオピニオンリーダーは、お金はあっても野松先生のような責任感に欠けている。運転を長い間やめていた野松先生がハイブリッドカーを選んだのは、彼女自身の喘息が理由だ。理念+自らの体験に基づく感覚――中国以外の国でハイブリッドカーがよく売れている理由のひとつかもしれない。
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その1 匿名
ChenYan: 会社経営者 1960年北京生まれ。 1978年に大学に進学して日本文学を専攻した。卒業後に日本語通訳などをして、1989年に日本へ留学し、ジャーナリズム、経済学などを専攻し、また大学で経済学などを教えた。 2003年に帰国し、2010年まで雑誌記者をした。 2010年から会社を経営している。 主な著書は、「中国鉄鋼業における技術導入」、「小泉内閣以来の日本政治経済改革」など多数。