その11 鈴木さん:神社の宮司

2016年8月31日 / 私の出会った日本人




茨城県日立市は東京から東に140キロ、福島の原発からは100キロ圏内の地方工業都市だ。私の乗った車は工業区を走り抜け、熊野神社の前で停まった。

 神社の神職者は通常「宮司」と呼ばれ、職位は分かれているものの、他の宗教のように様々な肩書があるわけではない。神社の神職者=宮司と思ってよいだろう。
 神社の入り口では作業着姿の鈴木さんが私たちを待っていた。作業場から出てきたばかりの彼からは、機械油のにおいがかすかに感じられた。左胸には彼が勤務する工場のバッジ、腕には緑十字の腕章、工場の安全管理をする立場かと思われたが、後になって彼が部長であることを知った。
 そして鈴木さんは熊野神社の宮司でもある。

「毎年2回、大きな祭祀行事があります。会社の創立記念日である7月15日と、新年の仕事始めの日です」
鈴木さんは言った。境内には先日の大地震で倒れた石灯籠の痛々しい姿があった。
 参道のわきには、手水舎という水が湧き出ている場所があり、参拝客は皆そこで手と口を洗い清める。
「大きな祭祀とは別に年に4回の祭祀行事があります。2月3日は祖先を祀り、7月1日は安全祈願、12月1日は火を鎮め、12月29日は厄払いをします」
鈴木さんは続いて説明してくれた。その安全祈願とは安全な稼働を祈るもので、工場が立ち並ぶこの場所にふさわしく、宮司を務めているのが工場の部長ということにも納得できる。
「昨年は会社創立100周年でしたので、7月15日には現職の社長に加えて元社長3人と前社長も参加し、熊野豫樟日命(生産の神)と天地創造の神を参拝しました」
鈴木さんは言った。





 
 元社長の1名は敬虔なクリスチャンだが、彼も日本の神に向かって一礼二拍手一礼して敬意を表したそうだ。神社内に神の肖像などはなく、木箱の上にお供えに用いる酒器2客と小皿2枚が置いてあるだけだ。奥には鏡があり、外光を反射させてうまく取り込んでいる。拝殿の前には日本語で「狛犬」と言う一対の像がある。その名は犬とついているが、中国の大きな建物の前にある獅子の石像によく似ている。
 熊野神社は桜の名所でもある。樹齢百年近くのものも数本あるという。桜の樹齢が百年を超えることは珍しいそうだが、ここの桜は壮健そのものだ。
「茨城の桜は東京より1,2週間遅れて咲きます。満開の頃には花見客がたくさんやってきます。今年もそうでした」
鈴木さんは言った。地震の後でも変わらず咲いた桜――その桜を愛でる人も変わらずやってきた。桜の木をライトアップしたりその賑やかな参拝客に対応したり、宮司としての鈴木さんは桜の時期もとても忙しい。
 鈴木さんは今回作業服姿のまま熊野神社を案内してくれた。おそらく祭祀など行事のときだけあの儒学者に似た正式な服装をするのだろう。
 日本の某神社は中国人に特別な感情を抱かせているが、その他の神社は古来から地域や住民の生活に深く根付いている祈りの場所である。日本には三千以上の熊野神社があるという。その中には鈴木さんのように普段は別の顔を持っている宮司が少なからずいるのかもしれない。


ChenYan

投稿者について

ChenYan: 会社経営者 1960年北京生まれ。 1978年に大学に進学して日本文学を専攻した。卒業後に日本語通訳などをして、1989年に日本へ留学し、ジャーナリズム、経済学などを専攻し、また大学で経済学などを教えた。 2003年に帰国し、2010年まで雑誌記者をした。 2010年から会社を経営している。 主な著書は、「中国鉄鋼業における技術導入」、「小泉内閣以来の日本政治経済改革」など多数。