栗原さんはそんな私の気持ちを察してくださったのだろうか、話題を日中の文化交流に移した。彼女は現在日本中国文化交流協会の理事も務めている。1956年に設立されて以来55年間活動を続けているその協会は、日本の文化各界のそうそうたる顔触れが会員として名を連ねており、各会員による会費で運営されている。日中関係が微妙になった際にもそれぞれの力を発揮して協会の活動を維持し、日中の文化交流を推し進めてきた。
栗原さんはちょうど協会の常任理事定例会に参加したばかりとのことだった。2011年上半期の交流活動として、中国の文化部長との座談会を開催し中国作家協会の会員を日本に招待する一方で、日本からも芸術家や出版界の専門家を中国に派遣している。また協会設立55周年を記念する席では、会長や理事長らが日中文化の共通点や相違点などについて講演会を開催したそうだ。下半期も更に多くの交流活動が予定されている。
栗原さんがロシア文学に傾倒し、愛読書がトルストイの『戦争と平和』であることは私も知っていたので、彼女が演劇について話してくれた際も『アンナ・カレーニナ』だけは理解することができた。彼女は1974年に日ソ合作映画『モスクワわが愛』に主演、『白夜の調べ』(1978年)、『未来への伝言』(1990年)でも非常に重要な役柄を演じている。栗原さんがロシアと交流してきたのと同様、中国との文化交流についても重要に考えていることは、彼女と実際に会い、日中文化交流協会の活動について聞く機会があったからこそ分かったことだった。
栗原さんは謝晋(シエ・チン 映画監督)や濮存昕(プー・ツンシン 俳優)など、中国人数人をすらすらと挙げ、彼らとの交流についても話してくれた。しかし私にとって前述の2名以外は聞き覚えがない名前ばかりだった。90年代以降、中国映画も日本映画もあまり観ていなかったせいだろう。私にとって映画といえば、それこそ『サンダカン八番娼館 望郷』や『愛と死』など日本映画数作品なのだ。陳凱歌(チェン・カイコー)、張芸謀(チャン・イーモウ)や馮小剛(フォン・シャオガン)によるここ10年ほどの作品を観たことはあるが、何だかごまかされているような気持ちになっただけで、人生や人の尊厳について考えさせられるような深い味わいを作品に感じたことはない。
目の前の栗原さんが3、40年前と変わらないように、私が映画に対して抱く感覚も当時のままなのかもしれない。彼女がスクリーンで活躍していた時代こそが黄金時代だという思いは今後も変わることがないだろう。
ChenYan: 会社経営者 1960年北京生まれ。 1978年に大学に進学して日本文学を専攻した。卒業後に日本語通訳などをして、1989年に日本へ留学し、ジャーナリズム、経済学などを専攻し、また大学で経済学などを教えた。 2003年に帰国し、2010年まで雑誌記者をした。 2010年から会社を経営している。 主な著書は、「中国鉄鋼業における技術導入」、「小泉内閣以来の日本政治経済改革」など多数。