
鋳造工房の電気炉では鉄を溶かしている最中だった。地震後の停電で炉が動かなくなれば溶鉄は鉄の塊に、そして炉も使い物にならなくなってしまう。
「幸い発電機がありましたので、すぐにそこから送電し炉内の鉄が塊になることはありませんでした」
及源鋳造は1852年に設立されている。明治政府の成立よりも十数年前のことである。そんな伝統ある会社だから危機対応にも長けている。準備が周到だったからこそ今回の地震で商品などの損害は少なくなかったにせよ、工場の要である電気炉を守ることができたのだ。
続いての困難は原料の不足だった。物流システムが発達している日本では、例えば商品の発注を受けたその日に原料会社に電話をすれば翌日か翌々日には原料が届く。そしてすぐに商品を製造し納品する。原料であれ製品であれ在庫を少なく持つということは、日本の大多数の企業にとって財務上の負担が減るということだ。日本の中小企業が厳しい競争に対応すべく迅速に立ち回るひとつの要素だろう。しかし、物流システムが発達しているからこそ、それが機能しない場合経営にどんな影響を及ぼすのかを考慮する機会は全体的に少ないと言える。
「原料が来なければ何も作れません。大型クレーンがなければ工房も修繕できません。地震による交通への影響、ガソリン不足が原因です。自分たちでできる範囲はなんとかやってみましたが、大型設備がないことには努力しても限りがありました」
社長は言った。
製品を納期通りに納品できれば何よりだが、状況は厳しい。
「地震を納品延期の理由にすることはできません」
震災後、及川社長は在庫を確認するとすぐに運送会社に連絡し、同時に自分たちで工房を修繕し始めた。
「3月28日(地震発生から17日後)、電気炉が動き始め生産を再開することができました」
社長は親しい人の忘れもしない誕生日であるかのようにその日を語った。
約千年前に京都から岩手県の丘陵にやってきた職人は、そこに質の良い砂鉄があることを知り、日常に用いる各種鉄器の名産地となった。日本には他にもいくつか良質の砂鉄が採れる場所があるが、そこでは主に日本刀が作られている。一方でここ岩手は千年もの間、鉄瓶や鉄鍋など鉄器製造の伝統を守り続けている。
「私たちは震災からさほど期間をおかずに鉄瓶を作り始めることができました」
及川社長のその言葉には“千年鉄器”を作り続けるという強い決心と、プライドがにじんでいた。
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その1 匿名
ChenYan: 会社経営者 1960年北京生まれ。 1978年に大学に進学して日本文学を専攻した。卒業後に日本語通訳などをして、1989年に日本へ留学し、ジャーナリズム、経済学などを専攻し、また大学で経済学などを教えた。 2003年に帰国し、2010年まで雑誌記者をした。 2010年から会社を経営している。 主な著書は、「中国鉄鋼業における技術導入」、「小泉内閣以来の日本政治経済改革」など多数。