石島幹也さんと知り合ってから大分経った。彼の髪にも白いものが混じり始めたものの、つややかで血色のいい顔は以前と変わらない。日本人男性にとってスキンケアは珍しいものではなくなったのだ、ましてや石島さんは化粧品会社に勤めているから尚更だ、などと考える。
震災後、新橋にある石島さんのオフィスの喫茶スペースで会うことになった。エレベーターがまだ動いていなかった頃だ。そばには大きなスーツケースがおいてあり、私の視線を感じた石島さんは、
「お昼が済んだらこのまま出張なんですよ」
と言った。
話題はやはり震災のことが多くなる。特に私は被災地の取材から戻ったばかりで、その惨状を目の当たりにしていたということもあるだろう。日本は対口支援(中国の政策:中央政府が地方政府(省や市)に対して支援対象地区を割り当て、インフラ整備などの事業を行わせること)という方式がなく、被災地の復興は自らの力によるのみという現状や、衣食は足りているものの将来への不安を拭えない人々の沈んだ表情が私の心から離れなかった。
「被災地支援活動として会社から専門スタッフを派遣し、スキンケアやメイクの方法を伝えたり、実際に被災地の方にメイクをしました」
石島さんは言った。
企業の特性を生かし得意分野で被災地を支援するのはとてもいいことだ。しかし、スキンケアやメイク技術先進国である日本、初めて日本を訪れた中国人は日本人女性が皆しっかりお化粧していることに驚くほどだ。被災地の人々にとって化粧品会社からの“気持ち”は果たしてどれくらい伝わるものだろうか、と私は心の中で思った。
「お化粧してきれいにしている女性を見れば嬉しいですよね。そしてお化粧した方も相手が明るい表情で自分を見れば気分がいいでしょうし、自信にもなります。メイクにはそういう力があるんです。そして私たちは被災地の方々にメイクを施す際のプロセスを重視しています。誰かにお化粧をしてもらうということは、一人で鏡に向かうのとは違って会話が生まれます。これも一つのコミュニケーションだと考えています」
石島さんの言葉から、被災地でお化粧してもらった人々の表情やその場の和やかな雰囲気が私にも想像できるような気がした。
お化粧の後まるで別人のように明るくなった、という年配の女性が何人もいたという。石島さんはメイクによる支援活動に更に自信を持った。メイクは自分の沈んだ気持ちを隠してくれるだけでなく周りの人を明るくし、それが日常を取り戻す自信にもつながるだろう。救援物資では埋められない心の隙間がある。一度のメイクが果たした効果は小さくないだろう。
石島さんの引き締まった表情が心持ちから来ているのは当然だが、毎日のスキンケアの賜物という部分も多くあるのかもしれない。日本から戻って時折考えるのは、日常生活を少しだけ明るくする、こうした日本のスタイルが中国でも広まらないだろうか、ということだ。
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その1 匿名
ChenYan: 会社経営者 1960年北京生まれ。 1978年に大学に進学して日本文学を専攻した。卒業後に日本語通訳などをして、1989年に日本へ留学し、ジャーナリズム、経済学などを専攻し、また大学で経済学などを教えた。 2003年に帰国し、2010年まで雑誌記者をした。 2010年から会社を経営している。 主な著書は、「中国鉄鋼業における技術導入」、「小泉内閣以来の日本政治経済改革」など多数。