その時の話題は日中の経済成長段階の違いや、2008年末に発表された中国政府による4兆元の景気刺激策がもたらす効果等だった。日立経営陣の一員である大野さんは数字に対して敏感で、投入額が4兆元、つまり当時のレート換算で57兆円と知り、その経済的な意義を感じられたようだった。
半時ほどお話して大野さんのオフィスを後にした。社屋の前で大野さんの写真を撮り、別れの挨拶をという時に突然お煎餅の包みを差し出された。
「最近はお店も大分減ってしまいましたが、実は大森はお煎餅で有名なんです。私はこのお店のお煎餅が好みでしてね」
そういえば私は以前、大抵の日本の食品は北京で手に入るけれども美味しいお煎餅はとても少ない、ということを日立勤務の友人に話したことがあった。何かのついでに言っただけで自分でも忘れていたそのことが思いがけず大野さんの知るところとなったようだ。IT部門のトップでもある大野さんの情報収集の細やかさが感じられた出来事だ。
大野さんが北京にいた3年間にも取材や会食等で何度かお会いする機会があった。大野さんは大学の先輩でもあり同窓会でもご一緒したが、やはり年長者ということで同じテーブルにつけば多少緊張したものだ。
大野さんが帰国する少し前、比較的ゆっくりとお話する機会があった。この3年間で印象深かったのは、リーマンショックによって中国の経済成長が減速するどころか逆に加速したこととのことだ。
「2011年には中国での売上が全体の13パーセントを占めるようになりました。額として1000億元です」
大野さんは得意げに言った。換算すると約140億米ドル、リーマンショックへの対応と同時に速いペースで成長を遂げたのは並大抵のことではない。中国業務拡大に対する大胆な姿勢と中国経済を正確に捉える広い視野で、世界経済が最も困難なときにあっても積極的に攻めて行く、大野さんにはそんな決心があったのだc 中国に数年滞在して太ったという人が少なからずいるが、大野さんには特に変化が見られないようだ。相変わらずスリムなスーツとネクタイを着こなしている。社員の中に混じってしまえば彼が中国で1000億元の売上を誇り数万人が在籍する企業のトップだとはわからないかもしれない。堅実さと綿密さ、そして業務展開における決断力は数字から読み取ることができるだろう。日本での更なる発展を私は確信している。
ChenYan: 会社経営者 1960年北京生まれ。 1978年に大学に進学して日本文学を専攻した。卒業後に日本語通訳などをして、1989年に日本へ留学し、ジャーナリズム、経済学などを専攻し、また大学で経済学などを教えた。 2003年に帰国し、2010年まで雑誌記者をした。 2010年から会社を経営している。 主な著書は、「中国鉄鋼業における技術導入」、「小泉内閣以来の日本政治経済改革」など多数。