建設ラッシュの北京
建設ラッシュの北京
当時の東京は、すでに贅沢三昧の時代だった。最先端の現代建築に囲まれ、超一流の料理に舌鼓を打ち、いち早く新商品が手に入る場所、そしてそれを支える極めて勤勉なサラリーマンたち――。東京にはそんな世界の“最上級”が集結しており、それに伴うかのように経済も“沸点”に達しようとしていた。
「家を買うべきですよ!世の中何でも作り出せるけれど、土地だけは増やせませんから」
当時30代前半だったワタナベさんは私に言った。
その頃、私の頭の中では家というものは国からあてがわれるものであり、政府の高官などは広いところ、一般市民はそれなりのところ、農民に至っては自分で建てるものだった。そして日本にはこんなにたくさんの埋立地があるのに、ワタナベさんはなぜ土地は増やせないなどというのか、とても不思議に思ったものだ。
「ハハハ!わかってないですね、君は。埋立地ができたことで地球の面積は増えましたか?」
彼は私に尋ねた。
当然増えてなどいない。大学で法律を学んだ彼はその頃司法試験に向け準備中だった。弁護士資格を得るまでの間、とある事務所で働いていたのだった。法律を学ぶ人は他人とは違う視点を持ち合わせていてごく抽象的な部分からでも物事をはっきりと見通せるものなんだな、と私は思ったものだ。
収入も高くなかったし、司法試験のために相当の精力を傾けなくてはならなかったが、ワタナベさんは当時成功していた若者たちと同様にマンションを買った。東京の閑静な高級住宅街のひとつである目黒区で、ワンルームタイプを二部屋買った。
「東京に出てきて働いているような人に貸せるんです。借り手も探してくれると購入時にディベロッパーが約束してくれました」
ワタナベさんは満足げに話してくれた。彼の住んでいた賃貸マンションから事務所までは1時間半かかっていたが、目黒の部屋からなら30分ほどだった。
一部屋は賃貸にまわし、一部屋は自分用として住む――。ワタナベさんは手堅かった。私の記憶が正しければ、当時30平米未満のその部屋は3000万円くらいだったと思う。彼の10年分の給料に相当する額だ。でも一部屋を貸すことができれば、彼の1カ月分の給料とほぼ同額の賃料が入ってくる。
「日本の不動産価格の上昇局面を加算すれば、遅くとも6、7年で元をとることができるでしょう。不動産価格は毎年二桁ペースで上昇するでしょうから」
日本経済の戦後40年あまりの発展過程を踏まえ、ワタナベさんは結論を出した。
バブル後の東京
ChenYan: 会社経営者 1960年北京生まれ。 1978年に大学に進学して日本文学を専攻した。卒業後に日本語通訳などをして、1989年に日本へ留学し、ジャーナリズム、経済学などを専攻し、また大学で経済学などを教えた。 2003年に帰国し、2010年まで雑誌記者をした。 2010年から会社を経営している。 主な著書は、「中国鉄鋼業における技術導入」、「小泉内閣以来の日本政治経済改革」など多数。