中国で今後数年、十数年と発展し続ける可能性があり、また政府が重点産業と位置づけるものとして、多くの人が環境保護や新エネルギー関連の産業を挙げるだろう。
そうした技術を集結させたスマートシティ事業も、大いに考えられる。
「すでにスマートシティ関連のプロジェクトを数十件抱えています」
新エネルギー産業技術総合開発機構(NEDO)北京事務所代表の後藤雄三さんは言った。
しかし、そのことを手放しで喜べるわけではないようだ。なぜなら中国ではそうしたプロジェクトのひとつひとつに対して実現可能かどうかを判断する必要があり、それは困難を極める作業だからだ。都市化を進めようとしている地方の市町村の多くは新しいコンセプトのもとでのスマートシティ建設を頼りにしているが、実際に計画を進めようとすれば、そのプロセスは十数年、いや数十年前と大して変わらないことがわかる。一方で、経済発展方式が変化した現代の中国で都市化が進むのは歴史の必然であるが、スマートシティ建設となれば、従来の都市計画とは設計や予算の段階から大きく異なってくる。
「計画はどれも素晴らしいのです。しかし実行できるか否かの結論を出すのはとても難しい」
多くの案件を前に、後藤さんは困った様子で言った。
都市設計の段階にある現在の中国、多くのプロジェクトが素晴らしいプレゼンテーションとともに提案されている。打ち合わせにやってくる中国人担当者の話を聞けばその可能性に心躍らされることもしばしばだ。しかし中国の技術力だけでその計画を進めるのと、日本の技術を導入するのとでは大きな差が出てくるだろう。後藤さんがスマートシティ計画地を調査すれば、多くの場合、まずはごみ処理施設を作ることが一番現実的であると感じるそうだ。壮大なプロジェクトも、ごみ処理施設の建設から始めるのであれば話はシンプルになるかもしれない。
「中国側の責任者が一体誰なのか、わからないことも多々あります」
後藤さんは続けた。
新語“スマートシティ”は経済と関連づけて語られることが多い。そして基本的に政府部門のすべてが絡んだプロジェクトとなる。市長や地方の発展改革委員会が一斉に発言するものだから、一体どの部門の誰が実際の担当者なのかわからないということが頻発するとのこと。
後藤さんは経済産業省出身だ。
「同じようなことが日本の政府部門でも起きていました」
後藤さんがこうした事情を理解しているにせよ、中国のそれはさらに複雑な構造であり、対応は非常に難しいだろう。
環境保護、新エネルギー、そしてスマートシティ、中国での商機は拡大の一途だ。しかし一方で、後藤さんは今日も頭を抱えている。
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その1 匿名
ChenYan: 会社経営者 1960年北京生まれ。 1978年に大学に進学して日本文学を専攻した。卒業後に日本語通訳などをして、1989年に日本へ留学し、ジャーナリズム、経済学などを専攻し、また大学で経済学などを教えた。 2003年に帰国し、2010年まで雑誌記者をした。 2010年から会社を経営している。 主な著書は、「中国鉄鋼業における技術導入」、「小泉内閣以来の日本政治経済改革」など多数。